2000年、東部飲料の夏

2000年に発生した雪印食中毒事件。業界内は大きな騒動となり、販売店を畳むもの、新たな乳業メーカーの取り扱いをするもの(業界では併売店と言います)、あくまで雪印一社の専売店を貫いたもの、と大きなうねりとなりました。今では考えられないくらい強大な力を持っていた雪印は、一気にその力を失い、明治乳業にその地位をとってかわられる事となります。過去の経緯を振り返ると、乳業メーカーの業界順位は残念なことに、不祥事により入れ替わる事で今の順列になっています。(現在は明治→森永→雪印メグミルク)

少し、メーカーの肩を持つのですが、14780名の被害を出したと言われる食中毒事件ですが、これはあくまで自己申告ベースの件数であり、最終の診訂では4852名となりました。食品の健康被害に関わる事件では、このように大きく実際の被害者の数と大きく乖離する場合が多くなります。責任のほとんどが、製造者にあるとはいえ、メディアの報道・なりすまし申告、そして当事者のメディア対応(この事件では、社長の会見が皆さんの記憶に残っていると思います。)など、別の要因がさらに問題を大きくしていることも忘れてはならないかと思います。

さて、本題の「当時の東部飲料」。
6月27日に発生した食中毒事件の知らせが、FAXにて届きます。(これは今でも、何かトラブル等があれば同様の対応がありますね)
徐々に大きな騒動になり、当時お取引のあった、ジャスコ(イオン)やショージへ納品していた雪印製品の回収に動きました。大阪工場の総業は停止となりましたが、広島エリアの商品は、主に神戸工場製造でしたので、世間で広まったほどの大きな影響はない様でした。メーカーとしても返品された商品の補償と、3ヶ月分の売り上げ補償をしてくれたという事です。当時はチチヤスやカゴメ、コカコーラの取り扱いもあったので、全てがゼロになるわけではありませんでした。

その後、森永乳業との取引も始まります。この時期の事件を背景に取引が始まったと思っていたのですが、どうやら当時お取引のあった東広島市の量販店へ納品していた業者が廃業する事を受けて要請があったそうです。
とはいえ、この2000年代前半は、東部飲料にとって、激動の時代になった事は違いありませんでした。卸売業メインから個人宅配への転換。自販機業の撤退、チチヤス・カゴメとの取引解消(卸売業撤退に伴う形)、森永乳業の取り扱い開始、白バラ牛乳販売店の廃業に伴う引き継ぎ・大山乳業農業協同組合取引開始と、挙げるだけでかなり苦労の多かった時期に思えます。

特に、廃業する販売店の引き継ぎは、今でもあるあるですが、まず顧客名簿が無い、電話番号が曖昧、そもそも住所がない(地図でここって教えられる)が当たり前でしたので、卸売業が主流だった当社としても、メーカーさんの手も借りながらの作業だったようです。そんな中、ありがたい事に、いまだにお付き合い頂いているお客様もおられます。販売店も時代も代表も変わっても、変わらずご愛顧いただく事は、牛乳屋冥利につくのです。

※父の話なので、勘違いや時間のズレの可能性ある事をご了承下さい。


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