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社会人1年目の秋、通勤電車に乗れなくなった日


病院に行かなかったというだけで、当時の私の精神は半分向こう側に踏み入れていた感覚があります。

苦しかったときの話をしようか/森岡 毅


この本を読んで、その時のことに対する認識が進んだことが嬉しいです。

時間が経たないと振り返れないことが存在していて、振り返れた時は当時いた場所から遠くまで来れたからなんだと思います。


この本の終盤では著者が社会人として様々な経験をする中で、苦しかったときの話を挙げています。

その中に、グループの中で常に「出来る方」に入るのが得意だった学生時代から一転、社会人になった途端、最後尾からのスタートで一生懸命頑張っても中々前に進めない。最後尾からの立ち振る舞いを知らない私は、毎日毎日出来ない度に劣等感をとても強く感じ、心は削られていった。という一節があり、昔のことを思い出して泣きそうになりました。


教育担当がとても気が強く、更に我流を押し付ける女性だったこと


初期配属された支店がブロックを取り纏める母店で、純粋な仕事量も、雑用やイベント事も、土日の行事も多かったこと


ミスをすればするほど、周りの先輩達がみんなスーパーに見えて、ひどく落ち込んでいったこと


先輩からの可愛がられ方がわからず、孤独だったこと



毎日毎日職場に行くのが嫌で、でもそんなことに負けたくない自分もいました。


どうせ今日も会社でミスして怒られるんだ、誰も自分のことを求めてないんだと思うと、だんだん体が動かなくなってきます。


そしてある日、最寄り駅についた私は、いつもの通勤電車に乗れなくなって、駅を発車する車両を見送りました。



どうするか考えました。

このままもう辞めちゃってもいいんじゃないか。

別に今日、会社に行かなくたって人生は続いていくしそれでいいんじゃないか。




しかし、ここで行けなくなることで掴んでしまう「負け癖」を強く拒絶する心を、私はまだ失っていませんでした。


このまま辞めてしまえば、心の深いところに一生挽回出来ない傷を負い、どんなに素晴らしい転職先を見つけたところでそれは癒せないんだろうなと思ったのを覚えています。



次の電車に乗った私は、いつもより少しだけ遅い出勤で、1日を乗り切りました。


その後、後輩が出来、数十社の担当顧客を持ち、自分が責任を持ってやり遂げないといけない範囲をハッキリさせることで、仕事の優先順位がくっきりと明確に見え、飛躍的に周りからの評価も変わりました。



今となっては、あの出来事も必要なものだったんだという考えを持てますが、当時は出口が見えない暗闇を歩いているような感覚でした。



冒頭、紹介した本を読んで、こんな凄い人も同じような道を進んできたんだという安心感を持ちました。




人生の目標は豊かな老後を過ごすこと。

そこから逆算した日々を過ごします。



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