藤井先生と25年

藤井先生との出会い

顔真卿が好きだ。顔真卿は王羲之という絶対的な存在の伝統が続く中、独自に「顔法」という筆法を創り出した。顔真卿は書の世界で革命を起こし、歴史を変えた。忠義に篤く、最期まで裏切ることなどしなかった。顔真卿はカッコ良かった。

中学時代、将棋は父親とスーパーファミコンの「初段 森田将棋」と指すくらいだった。森田将棋にはずっと勝てなかったが、四間飛車と美濃囲いを使うと勝てるようになった。四間飛車と美濃囲いが運命の戦法だった。

書店に行って四間飛車の本を探した。そこに藤井猛六段の『藤井システム』という本があった。帯かなにかに「歴史を変えた四間飛車」と書いてあった。運命の出会いだった。初めて買ってもらった棋書だった[*1]。

それから美濃囲いは☖7一玉型で指すのが最新鋭だと思い込んでいた。クラスで将棋を指すときも「☖7一玉が良い形なんだよ」とかドヤ顔していた。相手は天守閣美濃でも何でもない。

ほどなくして新聞に藤井猛六段 対 屋敷伸之七段の観戦記が掲載された。それがたまたま☗3九玉型の美濃囲いだった[*2]。そして藤井六段は勝った。符号の意味も分かっていなかったが、興奮したのを覚えている。

そしてその直後、藤井猛という棋士が竜王を獲ったというニュースを目にした。歴史を変えながら、さらにタイトルを獲るという成果を出したのだ。

将棋界に顔真卿がいた。

こうして私の思春期は藤井猛に支配された。

藤井先生の魅力

盤上の藤井先生

それから藤井先生のファンを25年も続けることができた。その最大の理由は藤井将棋にある。藤井将棋には数々の魅力が詰まっている。

藤井猛という棋士の最大の魅力は、その将棋の独創性と、出してきた結果にある。

藤井先生は新手のみならず、藤井システム、藤井矢倉、そして角交換四間飛車と言った、それまでの常識を覆す新戦法を確立し、将棋の新しい可能性を次々と開拓した。それらは決して奇策ではなく、研究に研究を重ね、あらゆる変化を体系化し、新しい理論を構築したものだった。

そして最も重要なことは、藤井先生はそうした独自の理論を実戦で提示し、勝ってきたことにある。谷川浩司竜王から竜王位を奪取し、羽生善治五冠の挑戦も退け竜王3連覇を達成した。A級も連続10期務め、棋戦優勝も果たした。

子どもの頃「ぼくがかんがえたさいきょうのせんぽう」のようなことは誰もが考える[*3]。でもそれは大抵は支離滅裂で、上手く行かない。しかし藤井先生はプロの世界で成功させた。藤井先生はあまりにもロマン溢れるストーリーを実現させた。

このようなストーリーは将棋ソフトが台頭した現代ではもう実現しづらい。例えば藤井システムは将棋としての最善を突き詰めたものというより、「絶対に穴熊に組ませない」という目的の中で最善を目指したものだ。攻めずに組み合った方が将棋として最善であったとしても、藤井システムは攻めて行けるなら攻める。ここに藤井先生の思想が詰まっている。それはハイリスクハイリターンな選択でもある。時には失敗することもある。しかし藤井先生は目的を達成するために、初手から一手一手に意味を持たせ、ようやくその攻めを実現させ、ここ一番の勝負に勝ってきた。

藤井先生はこうして「一手」の価値を高めてきた。将棋に対する考え方、研究姿勢も藤井先生の魅力である。この姿勢には、プロ棋士からも憧れの声が上がる程だった。

ーー藤井さんの振り飛車は他の人と何が違うと思いますか。
阿部 本質は「絶対この戦法でよくしてやる、優勢にする」という気構えではないでしょうか。たとえ後手だろうと手損しようと、手詰まりに追い込むだけではなくポイントをかせぐ、そういう気迫を感じます。いま角交換振り飛車はかなり注目されていますが、それは超速が出たことでゴキ中が大変になっているからで、逃げているところもあるじゃないですか。藤井さんが新しい戦法を指すときは、必ずよくしてやるとすごい研究をします。その気構えが違うんです。
勝又清和『突き抜ける!現代将棋』第38回「なぜプロは藤井将棋に憧れるのか」[*4] / 将棋世界2012年11月号(日本将棋連盟)

この「阿部」は藤井先生の弟弟子の阿部健治郎先生だ。

現代将棋は猛スピードで80手台まで進められ、そこから勝負するようなこともある。しかし藤井先生の将棋は本当に初手から一手一手である。2手目☖8四歩を潰そうとしたこともあった。右四間飛車を封じるために初手☗6六歩を考えたこともあった。相振り飛車を必然化させるために矢倉を指した[*5]。藤井先生の将棋は初手から「藤井猛」が表れている。

新戦法の中で最も有名な藤井システムは1995年の初登場以降、特に藤井猛竜王時代の2000年前後、文字通り将棋界を席巻した。プロアマ問わず四間飛車が大流行した。藤井先生に憧れてプロになる棋士もいた。インターネット将棋でも振り飛車党が多かった。四間飛車に急戦を挑んでもそこは藤井先生の土俵だった。藤井システム対策に居飛車党が相振り飛車を指すこともあった。それは藤井システムへの対策を打ち出せなかったことを意味する。藤井先生が振り飛車全盛の時代を築いた。ただ、藤井システムは寄ってたかって研究され、徐々に苦しくなっていった。2006年の朝日オープン五番勝負が藤井システムの最後の花道となった[*6]。

もっとも、藤井システムが苦しくなったとはいえ、藤井システムは端攻めの攻防を進化させ、玉の位置を自由なものにした。局所的には藤井システムの考え方は現代将棋の礎となっている。当然に見える手を後回しにして少しでも優先すべき手を探すこともそうだ。藤井システムが、藤井先生がパラダイムシフトを起こしたのは間違いなかった。

藤井システムが苦しくなってから藤井先生は藤井システムをファーム落ちさせ、指さなくなった。そして勝率3~4割の時代を迎えた。角交換振り飛車を含む色んな振り飛車、そして居飛車を指し始めた。しかし居飛車においても藤井先生は人と同じことはしなかった。藤井矢倉という「藤井」の名がつく新しい戦法を開拓した。角交換振り飛車も開拓と整備を進め、角交換振り飛車の本家と言われるようになった。この間にA級陥落、さらにはB級1組も陥落した。新しいことを試みるというのは本来このような結果になってもおかしくないのだ。藤井システムの成功は奇跡だった。藤井システムの成功があった分、余計に苦しかったに違いない。

それでも、2010年に王座戦挑戦者になった。2012年には王位挑戦者となり、B級1組復活も果たした。試行錯誤の成果が出てきたのだ。そして手数を増やした藤井先生は、ファーム落ちした藤井システムを徐々に復活させ、2016年には銀河戦優勝を果たした。見事な復活劇を見せてくれた。

戦法の変遷と出してきた結果を見るだけでも、藤井先生の棋士人生にドラマを感じる。藤井先生は奇跡を何度も起こし、将棋ファンに夢を与え続けてくれた。

藤井将棋の魅力は序盤だけではない。

藤井将棋は中盤にも魅力がある。終盤がない程中盤でリードを広げ完勝劇を見せることがあるし、少し悪いところから豪快に局面を複雑にしていくこともある。

佐藤康光先生は、かつて藤井将棋について「リードした差の広げ方は棋界一かとも思わせる」と評した[*7]。藤井先生は独自に築き上げた序盤で作戦勝ちにすると、それを具体的な良さに結び付け、時には一気に勝ちまで持っていく。藤井先生の完勝譜である。昔から評価値があれば、藤井先生の将棋でも間違いなく「藤井曲線」と言われていたはずだ。相手もプロであるにもかかわらず、藤井先生が敷いたレールの上を走るしかなくなっている。「終盤がない」と評されることもあった[*8]。短手数で吹っ飛ばす様は痛快そのものだ。

第12期竜王戦七番勝負第1局
鈴木大介六段 対 藤井猛竜王
(主催:読売新聞社、日本将棋連盟)
わずか66手で勝利した(藤井先生が後手の居飛車側)。玉が手つかずの状態だが先手はなすすべがない。この時初めて藤井先生の将棋をBS中継で観戦し、興奮したのを覚えている。

プロの世界、当然一方的に勝つだけの将棋ではない。少し苦しい時の藤井将棋も魅力的だ。かつて藤井先生はその剛腕な棋風から「ハンマー猛」と言われていたこともあった。悪い局面を複雑にするのは常識ではあるが、その強引さがまた独特なのだ。

 対局室のあちこちでまだ熱戦がつづいている。それらを最後まで見たが、藤井対土佐戦だけで十分堪能した。そして、こういう気分になったのは、晩年の大山将棋を見たとき以来だと思った。序盤にやや苦しい形になり、それを腕ずくで複雑な戦いにするところなど、そっくりなのである。
河口俊彦『新・対局日誌』 / 将棋世界2000年1月号(日本将棋連盟)

理論的な藤井将棋と豪快な藤井将棋。相反する二面性が藤井将棋に内在する。理知的な側面に覗かせる生身の人間性。そのどちらも垣間見えるのもまた藤井将棋の魅力だ。

藤井将棋は終盤にも魅力がある。藤井先生の終盤は「ガジガジ流」という名前がついている。相手が固めているところに大駒をばっさばっさと切って、小駒で確実に削り取っていく特徴があるので「ガジガジ流」と言う。

第11期竜王戦挑戦者決定戦第3局
藤井猛六段 対 羽生善治四冠
(主催:読売新聞社、日本将棋連盟)
重い☗4一金が振りほどけないガジガジ流の攻め。高勝率を誇る羽生先生の後手居飛車穴熊に土をつけ、竜王挑戦者に名乗りを上げた。

将棋には最善手があり、理論的には終盤は誰が指しても同じようになるはずだが、藤井先生は終盤にも個性を発揮した。

 こうなるとまた検討が活気づいた。次々に案が出て、いちいちもっともと納得させられるが(羽生、佐藤、郷田といった人達だから、説得力があるのは当然だ)、実戦で指された手は、ことごとく検討されなかった手だった。藤井竜王は、そういった形で、ライバル達に力を見せつけたわけだ。
河口俊彦『新・対局日誌』 / 将棋世界2000年1月号(日本将棋連盟)

藤井先生の序中盤は結局は終盤を見据えたものだ。ガジガジ流と言うと泥臭い響きだが、勝ちやすい局面を作った藤井将棋の終盤では美しく決める必要はない。「勝てば何でもいい」というのは藤井先生の言葉だ。それがかえって勝負へのこだわりを、序盤からのこだわりを感じさせる。

藤井将棋は受けにも魅力がある。藤井先生は振り飛車党だが攻め将棋であり、攻めの方がクローズアップされることが多い。しかし受けも非常に強い。特に美濃囲いにおいて、思いもよらない手筋をいくつも披露し勝ってきた。

第14期竜王戦七番勝負第2局
藤井猛竜王 対 羽生善治四冠戦
(主催:読売新聞社、日本将棋連盟)
左図から☗6九歩☖5八竜☗6八飛!として右図。竜を消しただけでなく、6八に歩を残したのが巧み。遠くから飛車を打てなくなっており、☖5八飛なら☗4九金打と弾ける。
第53期王位戦挑戦者決定戦
渡辺明竜王 対 藤井猛九段(先後反転)[*9]
(主催:新聞三社連合、日本将棋連盟)
左図から☖4一歩☗3二飛☖6二金引!として右図。驚愕の手順。絶妙な金引きで、と金を残したのに後手玉への迫り方が難しくなっている。
第27期竜王戦1組ランキング戦5位決定戦第2回戦
佐藤天彦七段 対 藤井猛九段(先後反転)
(主催:読売新聞社、日本将棋連盟)
左図は☗7一銀を狙っている。しかし藤井先生の指し手は☖5二同金!☗7一銀☖9二玉☗4一竜☖9三角!☗5二竜☖6一金!☗6二金☖5二金☗7二金☖7一角☗同金☖8二銀☗7二銀☖7一銀☗同銀成で右図。藤井玉は寄らず、ここで攻めに転じることができた。☖9三角☗5二竜☖6一金の凌ぎ方は鈴木大介先生も「この将棋で初めて知りました」という[*10]。

藤井先生は「非エリート」と言われることがある。これまで挙げた独特さは、藤井先生が非エリートだからこそということだ。

 驚きの第一は、藤井新竜王の強さである。強い強い、本当に強い。正直言ってこれほど強いとは思わなかった。四段になった頃の評価を思えば、近来稀な大化けした棋士ということになる。新竜王には、そういったエリート棋士にない魅力がある。
河口俊彦『新・対局日誌』 / 将棋世界1999年1月号(日本将棋連盟)
「羽生さんがスーパーコンピュータだとすれば、僕はフリーズばかりするオンボロパソコンです(笑)。頭の回転が遅すぎる。本当は本能で指したい。

 でもポンコツのエンジンでも高性能マシンに勝てるのが、将棋の面白いところ。エリートじゃなかったから、将棋をつまらないと思ったことがないんです」
高川武将『<非エリートの思考法> 藤井猛「常識を打破して頂点に立った男」』
/ Number783号(2011年8月4日号)(文藝春秋)[*6]
 これは非常に概念的なはなしだが、たいがいの強い棋士は将棋を拡散する方向で考えてゆく。なぜならばそうした混沌としたカオス的な状況こそが力の出やすいところであり、そこの力を武器に勝ってきた歴史がひとりひとりの棋士のなかにあるからだ。ところが藤井は、常に狭く単純化することを考える。もちろんそれで勝てなければ単なる弱い棋士なのだが、勝つから凄いのである。
 そして筋に暗い。これは筋という感性が、棋士の無意識的感覚のマジョリティであるから、将棋観がまったく違う藤井にとっては当然のことである。
先崎学『吹けば飛ぶよな』 / 週刊現代2014年12月20日号(講談社)

いわゆる羽生世代。羽生先生の将棋は、もちろん見えないところでとんでもない苦労があるはずだが、華やかに見えた。本筋の将棋、何手も先の詰めろ逃れの詰めろの応酬。羽生先生の将棋が最善で最強の将棋だった。藤井先生の将棋は確かに羽生先生とはまったく異質だった。でもそれが良かった。藤井先生だけの将棋観がある。これまで挙げてきた魅力は全部藤井先生にしかない。藤井先生だけの将棋で勝ってきた。羽生先生の挑戦を退け、竜王を防衛した。夢物語ではなく現実だ。

様々な棋士が羽生先生を倒すために工夫を凝らした。その結果、皆棋士としての個性が強くなった。佐藤康光先生の緻密で独創的な将棋、森内先生の鉄板流、中川先生の力強く盛り上がるような将棋、丸山先生の激辛流、郷田先生の格調高い将棋、深浦先生の粘りある将棋、久保先生の華麗な捌き、鈴木大介先生の豪快な振り飛車、木村先生の責めるような受け。挙げていけば限が無い。将棋界は面白いのだ。どの個性に、どの棋士に惹かれてもおかしくない。それでも結局、藤井将棋が一番好きだった。誰とも意見が合わない将棋でも、異筋だと言われても、そこに藤井先生の理論があり、藤井先生の自信があった。それで藤井先生は勝ち進んできた。藤井システムが苦しくなっても、また新しい道を切り拓いてくれた。非エリートと言われても、私にとって藤井先生は最初に見たときからずっと変わらずヒーローだ。

ずっと同じような将棋だったら、あるいは誰かと同じような将棋だったら、ここまで藤井将棋に熱中することは無かった。しかしいつ見ても藤井将棋は新しく、新しいのに藤井先生らしい将棋であった。こうして飽きることなく藤井先生の将棋を25年見続けることができたのである。

盤外の藤井先生

藤井先生は盤外でも魅力のある棋士だ。昔、藤井ファンにファンになったきっかけを聞いてみると、藤井将棋のみならず、大盤解説や語録、著書など、将棋以外の理由を挙げる人も多かった。

藤井先生の大盤解説は面白い。普通にやれば地味になってしまう大盤解説会だが、藤井先生はファンが楽しめるような工夫をいつも考えている。

将棋の解説では、実際には難しい変化が潜んでいたとしても、着目すべき観点だけに絞り、結論と理由を端的に言い切ることで分かりやすさを提供してくれる。具体例を提示したり、類似の局面と比較したりすることで、より説得力を持たせてくれる。藤井先生の解説は「ファンに伝わるように」という工夫が感じられる。

将棋の解説の時に限らず、雑談やインタビューに応じるとき、藤井先生は意図的にユーモアを交え、ファンを飽きさせないようにしてくれる。藤井先生の解説会では笑いが絶えない。投了が近くなると少ししんみりする。敗者の気持ちを知っている。そして将棋と同様、いつも新しい話を用意してくれている。同じテーマだとしてもいつも新しい切り口で話をしてくれる。その日の将棋ファンだけでなく、長年の藤井ファンであっても飽きさせない。「鰻屋」の話[*11]のように、ファンの琴線に触れ、藤井語録として長年語られ続けることもある。

第53期王位戦の前夜祭、ファンからの質問コーナーがあった。「ご自身を駒に例えると」。その時私は挑戦者の藤井先生と話していたが、「こういうのは面白く答えないとね」と言って颯爽と壇上に向かい「駒を並べた後に余る歩です。これまで野球でも補欠だったり、そういうのばっかりだったので、私の人生は駒の余り歩です!」と答え、会場の爆笑を誘った[*12]。

藤井先生の棋書も面白い。藤井先生の著作活動は間違いなく藤井先生の功績の一つだ。技術的な内容はもちろん、文章そのものも最高だ。『藤井猛全局集 竜王獲得まで』にはそのすべてが詰まっている。

藤井先生の研究内容は相当深いもので、プロレベルであってもなかなか理解できないとも言われる。それを本にするとき、藤井先生はできるだけ分かりやすくするためにパターン化した。

「○○型藤井システム」「○○型美濃囲い」等、型を作ってそれぞれの変化を掘り下げて解説した。構造化されているので読み手も整理しやすいし、定跡書は辞書のように使えるようになった。何より自分の好きな型を作ることができた。私はすっかり☖6四歩型美濃囲いの愛好家になった。

手筋を呪文のように強調して覚えさせることもある。例えば対5筋位取りでの「☖6四歩には☗9八香、☖7三桂には☗6九飛」。本当に重要なところを端的に強調し、理由もあわせて解説してくれる。一度覚えれば忘れにくいようにしてくれている。

藤井流格言も生まれてきた。「5筋の歩を突かない美濃囲いは、銀損や角損でもいい勝負」[*13]、「攻めるとは交換して持ち駒を増やすこと」[*14]等々。藤井先生の理論がアマチュア向けに表に出てきたのだ。

藤井先生の棋書は、本当は難しい変化が潜んでいたとしても、初級者であっても理解できたような気がするし、すぐ真似してみようという気にさせてくれる。初心者が読んでもプロが読んでも、それぞれのレベルで納得できるところが異なるので、いつ読んでも新しい発見がある。

私は四間飛車しか指さないが、四間飛車は藤井先生の棋書と棋譜だけで勉強した。それだけでも将棋倶楽部24の最高レートは2000点を超えた。

藤井先生の文章も良い。技術的なところから離れた文章だ。情景が見えるような文章で、静かに胸を打つ。私が初めて藤井先生の文章に触れたのはおそらく『ブルーマウンテン』だった。

 鈴木大介六段の声が耳に入ってきた。よくしゃべり、そして楽しそうだった。
 彼はいつも通り明るく快活で、私はいつも通り無愛想で静かだった。
 一年前の自分の姿が思い出された。挑戦者だった去年は楽しかった。楽しく楽しくて仕方なかった。夢中で階段を駆け上がっているうちに、竜王のイスに手が届いていた。
 竜王としての一年はあっという間だった。
 挑戦を受ける側は辛い。細くて高い平均台の上を落ちないように必死で歩き続けなければならない。三連勝しても苦しかった。
 第四局、負けた夜は飲めない酒を飲まずにはいられなかった。大阪でC級2組の順位戦に負け、部屋に帰っても悔しくて眠れず、その時も飲めない酒を飲んで、シャワールームで倒れて起き上がれなかった。そんな何年も前のことを思い出しながら飲んだ解禁当日のボージョレ・ヌーボーは苦い味がした。熱い珈琲が飲みたかった。
藤井猛『ブルーマウンテン』 / 第十二期竜王決定七番勝負激闘譜(読売新聞社)

藤井先生というのはアツい男に違いなかった。こうしたショートエッセイの他に、自戦記、将棋ペンクラブ大賞の受賞の言葉、『藤井猛全局集 竜王獲得まで』等のまえがき[*15]、ユーモアを含めない時の藤井先生の文章が藤井先生そのものを表している。静かでありながら、将棋にアツく、人間味に溢れている。

そう、ファンに見せてくれるユーモアのお陰で忘れがちだが、基本的に藤井先生はアツい人間だ。「生涯でベスト1の逆転負け」という羽生先生とのA級順位戦、盤上に駒を投じて投了した。実際に駒を投げるのは決して良いことではなく真似してはいけない。しかし藤井先生の勝負にかけるアツい想いが見える出来事でもあった。

少し話が逸れたが、結局これまで挙げた盤外の藤井先生の魅力は、藤井先生のファンサービスに他ならない。どれもこれもファンのために藤井先生が工夫していることである。

最近ではAbemaのチーム西山のTwitterチーム藤井のTwitterでそれを感じた。藤井先生がTwitterに現れたのは驚きだったが、藤井先生のつぶやきはどれも画像付きで、ファンを楽しませてくれた。本当に、全部のつぶやきで画像付きだった。藤井先生の日常や藤井先生の詰将棋。内容は藤井先生ご自身のことのつぶやきであったが、間違いなくファンのためのつぶやきだった。

藤井先生は将棋にはとことん厳しく、ファンにはとことん本当に優しい。これまで十分に楽しませてもらったが、これからもイベント、著書を楽しみにしている。とりあえず『藤井猛全局集 竜王三連覇とA級の激闘』が届くのが待ち遠しい。

藤井先生のファンとして

藤井ファン歴25年とは言っても、25年も藤井ファンで居続けさせてくださった藤井先生が凄い話で、私はただ「藤井将棋好き好き愛してる」と言い続けただけである。山本博志先生とは違って背負うものが無く、面白い話など一つもない。

ただ応援サイトを運営していたのはちょっと特殊なので、その辺りを中心に振り返ってみたい。

藤井先生が竜王であった2000年頃、初代の藤井先生応援サイトがあった。これは伝説的なホームページで、藤井先生とファンのチャット企画、藤井先生提供のプレゼント企画、「たつの落とし物」という藤井先生の日記もあった。藤井先生の奥さまが大吉が出るまでおみくじを買われていたお話もあった。強烈なファンサービスである。藤井先生と管理人さんの信頼関係が見えて安心感があった。

ある時、第3回インタビュー企画の質問が募集されていた。藤井先生が回答してくださるというものである。思い切って「座右の銘は何ですか?」と掲示板に書き込んだ[*16]。

当時の応援ホームページのスクリーンショット

間接的とはいえ、これが藤井先生との初めてのやり取りであった。今でも当時の管理人さんには感謝している。

応援サイトを通して藤井先生はとにかくファンに優しかった。昔から「ファンのために」ということを考えてくださる先生だった。

私は地方に住んでおり、藤井先生と直接交流することは無かった。観戦記や将棋雑誌で藤井先生の情報を追いかけることが主であり、基本的に藤井将棋や藤井先生の著書、そして観戦記が楽しみで、それで十分だった。

藤井先生が竜王であった3期、竜王位記念扇子の揮毫は「創志」「涓滴」「究悟」だった。どれも藤井先生らしく、気に入っていた。毎年扇子を買った。「創志」と「涓滴」の扇子は使い方が荒くボロボロにしてしまった。今手元に無いのが残念だ。中でも「涓滴」は特に藤井先生の将棋に対する姿勢をよく表しているようで、一番のお気に入りだった。2003年頃、将棋倶楽部24に「kenteki」というハンドルネームで登録した。以来ずっとハンドルネームは涓滴(kenteki)で通している。

地方在住ではあったが、大盤解説会やJT杯日本シリーズの大会で近くまで来てくださったことがあった。井上慶太先生と
井上「これ(涓滴)って何て読みますの?」
藤井「けんてき岩をなんちゃらかんちゃらって長い言葉があるんですよ」
井上「ほー」
なんて適当な会話をしていたのが面白かった。指導対局も色紙サイン会も外れたけど、遠目から見れるだけで満足だった。JT杯では藤井先生が勝って握手していただいた。大興奮して自分が何を言ったか覚えていないけど、ふよふよした柔らかい手だったのを覚えている。これが棋士の手だ。

将棋界は不思議と応援サイト文化があって、2000年代は色んな棋士の応援サイトがあった。藤井先生の応援サイトは同じ時期に複数あるほど人気があった。しかし2005年頃、いよいよ藤井先生の応援サイトが無くなる時がきた。

そこで自分で藤井先生の応援サイトを作ることにした。自分のために藤井先生の情報をまとめておきたいのと、藤井ファンが交流する場があった方が楽しいんじゃないかなというくらいの気持ちで。

情報収集力も無かったので、ひとつ前の管理人さんに勝敗情報を拝借しても良いか相談したら快諾された。歴代の管理人さんたちも、何も藤井先生が嫌になって応援サイトを閉鎖したのではない。藤井ファンも優しかった。

2006年、応援サイトを作った。ドメインは fujii-system.com とした。最高のセンスだ。少しして将棋仲間の提案で「鰻屋本舗」という名前がついた。良い名前だと思う。

しばらくはのほほんとやっていたが、その内イベントレポート等で藤井先生のお写真をサイトにアップすることになった。藤井先生に許可を得る必要がある。でも毎回毎回?非現実的だ。いっそのこと藤井先生公認扱いしていただくのが良いのではないか。

悩みに悩んで、図々しくも藤井先生にお手紙を書いた。ファンであること、応援サイトを作ったこと、写真を載せるために公認扱いにしていただきたいことを書いたと思う。藤井先生の署名が入った免状が欲しいので名人か竜王を獲ることを期待しているみたいなことも書いた。免状は今でも申請していない。大盤解説会で見かけたりJT杯で握手したことはあっても、自己紹介しながらのコンタクトはこれが初めてだった。

ひと月程経った頃だったか、藤井先生からのお返事はメールでいただいた。本人証明のために家族旅行の写真が添付されていた。内容も快諾だった。天にも昇る気持ちで部屋を走り回る藤井ファンの姿が想像できるだろうか。

応援サイトに「藤井猛九段公認」という文言がついた。

歴代の応援サイトで私が楽しませてもらったように、応援サイトの目標を「藤井先生と藤井ファンの架け橋」とした。藤井先生を応援する藤井ファンの場でもあり、藤井先生から藤井ファンになにか伝えられる場にもしたかった。

藤井先生を応援する藤井ファンの声は多かった。藤井ファンを続けられた最大の理由が藤井将棋の魅力であることは間違いないが、藤井ファンが藤井先生の勝利を喜んでいる様子を見るのも楽しかったこともある。みんなで藤井将棋に感情移入しているようだった。

藤井先生から藤井ファン向けのイベントやコメント掲載も実現することができた。掲示板もたまーにご覧になっていたようで、書き込み内容について藤井先生と話をしたこともある。『我自我自』という揮毫はこの応援サイトから生まれたもので、今でも使われているのは感慨深い。タイトル戦挑戦時のコメント、居飛車を指し始めた時のコメント、鰻屋本舗の節目の時に頂いたコメント、銀河戦優勝時のコメント、家族旅行のプライベート写真。他にも藤井先生にしていただいたことはたくさんある。応援サイトが藤井先生のノイズになっていないか心配なこともあったが、いや実際ご迷惑をお掛けしたこともあったはずだが、ファンの声援を「一服の清涼剤」と仰っていただいたことは嬉しかった。

極めつけはアクセス数の記念で藤井先生の方からサイン本企画を持ち込んでくださったことだ。「遠くに住んでいてイベントにも参加出来ず、なかなかサインを手に入れる機会がないファンの方にもチャンスがあるように」と言って[*17]。涙が出るほど嬉しかった。

こういう話をすると、プライベートで藤井先生とよくやり取りをするのかという質問をされることがある。実際には応援サイトのイベント相談以外でやり取りをすることはほぼなかったし、当然プライベートでお会いすることなどなかった。

応援サイトの運営では個人的な心得もあった。それは「藤井先生に迷惑を掛けないこと」に集約される。例えば以下のようなことは徹底した。

  1. 社会的なルールだけでなく将棋界のルールも守ること(例えば棋譜や局面図を勝手に掲載しないこと)

  2. 品行方正でいて、汚い言葉遣いをしないこと

  3. 不必要に藤井先生にコンタクトを取らないこと

  4. 応援サイト管理人は何の特権もなく、いち将棋ファンと変わらないことを意識すること

1つ目と2つ目はそもそも人として当たり前のことだ。

3つ目も当たり前のことで、極力藤井先生の邪魔になるようなことはしたくなかった。『ブルーマウンテン』に出てくるマスターの距離感の取り方が良いなと思っていた。

 店ではカウンターの右奥が指定席。結婚前は一人で、結婚後は二人で、今は三人でくつろいだひと時を過ごす。妻は常連さんやマスターの奥さんとおしゃべりすることも多いが、元来無口な私は、そんな時でも新聞に目を通したりしながら、一人静かに珈琲を飲んでいるのが常だ。時々好物のチーズケーキを食べながら。
 一人で店を訪れると、マスターは私の気持ちを察してか、一言も話しかけて来ない。プライベートな時間を大切にしてくれる、その静寂の中で飲む一杯の珈琲が疲れをいやしてくれる。
藤井猛『ブルーマウンテン』 / 第十二期竜王決定七番勝負激闘譜(読売新聞社)

こういう気遣い方ができるような人になりたかった。

4つ目は、自分の行動によって他の将棋ファンに「応援サイトを立ち上げれば棋士の先生と繋がりが持てる」と思う誤解を与えてはいけないと考えていたからだ。将棋界は棋士とファンの距離が近すぎる。自分の行いで藤井先生に危険が迫るようなことは絶対に避けたかった。

とは言え、私もなんだかんだで顔が広くなり様々な縁も生まれた。単なる藤井ファンであるにもかかわらず多くの方に良くしていただいた。不思議で仕方がなかったが、良い子にしていたご褒美だと考えておく。感謝が絶えることがない。

自分を聖人君子のように言っても仕方ないので白状すると、当然そんなにできた人間ではないので、応援サイト上の表現で藤井先生から注意を受けたこともあった。非常に心の狭い人間でもあるのでTwitter上で喚き散らかして将棋仲間から注意を受けたこともあった。注意していただいたことは本当にありがたかった。藤井先生も含めて良い縁に恵まれた。

それに、将棋界で事件が起こるたびに、見聞きする情報が嫌になって将棋ファンを止めようと思ったこともあった。棋譜中継も面白くないと思って日本将棋連盟モバイルを退会したこともあった。でも結局は藤井先生の将棋が見たくて元に戻っている。今でも将棋を楽しめているのは藤井先生のお陰だ。藤井先生には感謝しかない。

仕事が忙しくなると応援サイトもだんだん更新ができなくなった。今ではTwitterのみで日々「藤井将棋好き好き愛してる」とつぶやいている。

Twitterであっても基本的な心得は応援サイトを運営しているときと変わらない。ただ、どんな将棋であっても良いと感じたところをつぶやくようにしている。「論理立った批評もなく、良く分かってもいないのに貶す」風潮が嫌いだから。最近はだいぶ減ったが、藤井先生が逆転負けを喫したときに「ファンタ」と揶揄する声は見かけるたびに腹を立てていた。棋士へのリスペクトもなく、評価値や結果だけを見て棋士をめちゃくちゃに言うのはまったく理解ができない。その将棋は、その将棋を迎えるまでに長い時間をかけて研究されてきた下地があり、序盤から緻密に作戦を練り上げ、ひとつでも間違えると奈落の底に落ちてしまう中で、何時間も時間を掛けて慎重に慎重に手を積み重ねてきたものだ。棋士の生活もプライドも掛かっている。それを一手間違えるだけで揶揄できるはずもない。ただ私も批評できるほど将棋を理解できていないので、良いと思ったところをつぶやくことで心無い声に密かに反発している。

とは言え、Twitterで多くの藤井ファンとリアルタイムで藤井将棋を観戦できたのは、間違いなく楽しかった。プロにも藤井将棋好きが多くいる。それをうまく拾う中継記者がいた。それに盛り上がるファンがいた。

2011年のB級1組順位戦第7回戦の中田宏樹八段戦[*18]、藤井先生は6連敗で崖っぷちだった。藤井システムが苦しくなってから、藤井先生自身も苦しんでいた。対局は千日手になった。22時近くから始まった千日手指し直し局、そこで5年ぶりに藤井システムを発動させた。「出た!藤井システムだ」控室が沸いた。藤井ファンも沸いた。深夜2時17分、藤井先生が勝った。しかしこの年、B級2組に陥落した。

その翌年。2012年の王位戦挑戦者決定戦の渡辺明竜王戦[*9]、この大一番でも藤井先生は藤井システムを発動した。控室の想像を遥かに超えた手順の応酬、沸き上がる悲鳴、「コンピュータにゃあ、わかるめえ」、藤井勝勢、「ひとつ、ひとつだ」、「ふたつ」、渦巻く悲鳴、猛追する渡辺竜王。しかし直後に出た渡辺竜王の落手を藤井先生は見逃さなかった。藤井先生が勝った。この時、将棋中継のお陰で、控室と観戦する将棋ファンは完全に一体となって盛り上がっているような錯覚に陥っていた。この時以上の盛り上がりを知らない。この年、B級1組に再昇級した。

藤井将棋は人々を魅了する。藤井先生が指す一手一手には、藤井先生の思想、研究、苦労があることを想像させる。藤井将棋は初手から楽しめるし、注目しなければならない。それなのに実戦では研究の世界とはかけ離れた、余りにも劇的な展開を見せる。そして、ここ一番で勝つ。藤井先生の勝率が下がってもその魅力はなんら衰えることはなかった。むしろ新しい魅力に気付かされた。歳寒くして然る後に松柏の凋むに後るるを知る。

今では控室に棋士が集まることは減り、通常の対局で控室の盛り上がりが聞こえてくることはほぼなくなった。外向けでないプロ棋士の声を聞いてまた盛り上がりたい。

2012年は王位戦挑戦の年だが、私が藤井先生に初めてお会いした年でもあった。柏将棋センターで行われた名人戦の大盤解説会。厳密にはJT杯で握手したこともあったが、自己紹介してお話するのはここが初めてだった。手紙やメールではない生の藤井先生。今にして思えば藤井ファンになってから15年、応援サイトを開設して7年経ってのことだった。大盤解説会は王位戦挑戦者決定と王位戦七番勝負第1局の間に行われ、絶好の応援機会でもあった。藤い屋のもみじまんじゅうを持って行った。「あっ、好きですよ、もみじまんじゅう。」藤井先生はここでも優しかった。

ちなみに藤井先生からは「けんてきさん」と呼ばれる。揮毫の言葉にさん付けなので、藤井先生もちょっと変な感じに思っているかもしれない。

王位戦は行ける限り現地の大盤解説会に行った。七番勝負に負けはしたが、将棋の内容はもちろん、藤井先生のタイトル戦を応援しにあちこちに行くというのは本当に楽しかった。前夜祭等で藤井先生とお話できるのも嬉しかった。1998年~2000年の竜王戦は現地に行くという発想が無かったが、王位戦で全力で楽しんだ。好きな棋士を応援しに現地のイベントに参加するというのは、将棋ファンにとって最も楽しいことの一つだと思う。

それまで一度もお会いすることは無かったのに、藤井先生が出演するイベント等に参加することで年に数回お会いするようになった。他愛のない会話しかしていないが、十分楽しかった。

指導対局は2013年~2015年の間に4回受けた。棋譜はどれも大事に取ってある。「これまでは位を取らせないように頑張ってましたけど、今日は取らせて指しましたね」なんてことをさらっと仰ってくださったこともある。藤井先生の記憶力に驚いたし、何より嬉しかった。久々にまた指導対局を受けたい。

応援サイトを立ち上げた当初は藤井システムがファーム落ちした直後でもあり、藤井先生の勝率も良くなかった。応援サイトが変に作用していないか不安になることも無い訳では無かった。ただ、藤井先生からコメントをいただいたことや、藤井先生から企画を持ち込んでくださったことでそうした不安も和らいだ。そして何より、王座戦挑戦、王位戦挑戦、そして銀河戦優勝を果たした。将棋で結果を示してくださったのが本当に嬉しかった。

応援サイトはおそらく今後も更新できないが、いつかは藤井先生の功績をまとめたサイトにしたいと思っている。藤井猛博物館。だいぶ先になりそうだけど。

藤井先生も50代になり、過去と同じような活躍は見込めないかもしれない。しかしこれからも藤井先生の対局は続いていく。今でも一局一局が楽しみなのは変わらない。きっとこれからも新しく、藤井先生にしか指せない将棋を見せてくれるに違いない。将棋ソフトによる研究が主流になり、ますます誰もが同じような形を目指しかねない時代だからこそ、藤井先生のような独創的な将棋を求めている。またさらっと「☖8四歩を絶滅できなかったか」みたいなことを言って欲しい。

これからも応援しています。

脚注

[*1] 初心者が読むような本ではない。

[*2] この藤井猛六段 対 屋敷伸之七段戦は対穴熊藤井システムの変化でたまたま☗3九玉型美濃囲いになったもので、対左美濃藤井システムの定跡書である『藤井システム』とはまったく別の将棋。当時はそれすら理解できていなかった。

[*3] 子どもの頃考えた最強の囲いはこれ。実戦で指したことは一度も無い。

ぼくがかんがえたさいきょうのかこい

[*4] サブタイトルが突き抜けている

[*5] こちらの記事の(4)にこの構想が書かれている。この企画は面白いので(1)から読んでいただきたい。

[*6] 「最後の花道」は藤井先生の言葉。この記事はWebでも読める。

[*7] 佐藤康光名人観戦記『藤井、完璧な指し回し』 第11期竜王戦七番勝負 竜王 谷川浩司 VS 七段 藤井猛 / 将棋世界1999年1月号(日本将棋連盟)

[*8] 河口先生は藤井猛新竜王誕生時、心底驚いている様子だった。

 驚きの第二は、第三局、第四局の内容である。あんな一方的な将棋が二局もつづいたのは、タイトル戦ではなかったのではなかろうか。なにしろ、王手が一度もかからなかった。
 もっとも、王手がたくさんかかったから熱戦というわけでないし、王手をかけずに負けたから大差の負け、というわけでもない。王手をかけるかけないは、内容と関係ないのだが、競り合いのあるなしの目安にはなる。つまり、第三局、第四局には終盤がなかった。
河口俊彦『新・対局日誌』 / 将棋世界1999年1月号(日本将棋連盟)

[*9] 当時の棋譜中継ページは今も残っている。

[*10] 鈴木大介解説『将棋戦型別名局集2 四間飛車名局集』(発行:日本将棋連盟 / 販売:マイナビ出版)

[*11] 「鰻屋」の出典。鰻屋のくだりが有名だが、その前段もカッコいい。

「このところ勝ってないからいろいろな方がアドバイスしてくださるんですが、“ゴキゲン中飛車は優秀なのに、なぜやらないの”といわれたときは、カチンときました。こっちは優秀かどうかで戦法を選んでない。指してて楽しいかどうかなんだから。いい悪いは二の次なんです。最近は居飛車党でも四間飛車を指す人がふえましたが、戦法の好き嫌いがないっていうのがまた、僕には不思議です。しかも、にわか四間飛車党が結構いい味出すんですよ(笑)。でも、こっちは鰻しか出さない鰻屋だからね。ファミレスの鰻に負けるわけにはいかない」
山岸浩史『盤上のトリビア』 / 将棋世界2004年5月号(日本将棋連盟)

[*12] 本当は銀だった。直前で羽生先生が「銀」と答えていたので変化した。

[*13] この格言には「注意書きをよく読んで、用法用量には充分御注意ください(笑)」という藤井先生の注意書きがある。しかし、5筋不突きの美濃囲いは堅いんだということを印象的に教えてくれる格言である。

[*14] 藤井猛『四間飛車上達法』(浅川書房)より。山口恵梨子ちゃんねるの藤井先生の講座「【将棋講座】藤井猛九段の攻めの基本理論 攻め駒の増やし方編【初心者必見】」も同様の話をしている。

[*15] 将棋情報局編集部のTwitterで『藤井猛全局集 竜王獲得まで』のまえがきが読める。

[*16] インターネットに初めて「書き込む」ということをしたと思う。ハンドルネームは「亀仙人」だっと思う。意味はない。

[*17] 5名の方に1人5冊まで、手持ちの本に揮毫をするという超太っ腹企画。藤井ファンから藤井先生(将棋会館)に本を送り、藤井先生からファンの方に返送していただいた。今考えても信じられない企画。しかも応援サイトに揮毫中の写真を送っていただいた。本当にありがたい。

[*18] 名人戦棋譜速報で棋譜コメントつきで並べることができる(有料)。


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