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シチューとプログラミングと行動原理
小説を読んでいてシチューが出てきたんだけど
あーシチュー食べたいなー今度つくろーと思って
作るならホワイトソースからだな、と考えた。
そこでふと思った。なんで市販のルーじゃなくてソースから作ろうと思ったんだろと。
少し考えて思い至ったのは
市販のルーに「依存」したくないと考えていたということ。
「依存」ていうと、ちょっと難しいけど
ここでいう「依存」ていうのは、プログラミングをしている時に考えることで
あるプログラムがないと自分のプログラムが動かなくなる状態のこと。
例えば、noteにはfacebookでログインする機能がある。
facebookがいきなり壊れたらfacebookログインは動かなくなる。
それはnoteのプログラムにも影響がでるので「noteはfacebookに依存している」と言える。
(だからfacebookログインだけじゃなくてemailでの(より原理的な)ログイン方法を持っておこうね、ということにもなる。)
つまり、なんでシチューをソースから作ろうとしたかというと
市販のルーがなくても(ない場所に行っても、ない時代になっても)作れるからということ。
カレーだったらスパイスから作りたいし、ミートソースだったらひき肉とトマトから作りたい。
じゃあこれは僕がプログラマになってからこういう風に考え出したのか?というとそんなこともなくて、生まれてこのかたこういう考えをずっと持ってきたなあと。
より普遍的で世界でどこでも遊べるチェスとかポーカーが好きだったり
より原理的な生活ができるキャンプが好きだったりとか。
自分には何かに縛られたくない、「自由」でいたいという気持ちが行動原理の中で大きい割合を占めているなーと常々思っていたんだけど
シチューの作り方もその行動原理に繋がっていたわけだ。
はじめてのnote、おしまい。noteへの依存が増えました
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