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ヴァザーリは実は超重要人物なのに

ジョルジョ・ヴァザーリ(1511-1574年)をご存じでしょうか?イタリアのルネサンスからマニエリスム期に活躍した、画家・建築家です。この人の美術史における功績は大きいのに、日本では一般にはあまり知られていない人なので、紹介します。

ヴァザーリの肖像

その1:ミケランジェロの弟子で、ミケランジェロとレオナルド・ダ・ヴィンチの尻拭いをした。


イタリアフィレンツェのヴェッキオ宮殿にある五百人広間(本投稿カバー写真)は500人収容の広間であり1504年にレオナルド・ダ・ヴィンチとミケランジェロが壁画の依頼を受けました。
ダ・ヴィンチは「アンギアーリの戦い」を、また、その対面にはミケランジェロが「カッシーナの戦い」を制作する予定でしたが。しかしダ・ヴィンチは制作途中のアクシデントがあり、また、ミケランジェロは教皇に呼ばれてローマに移ってしまったため、壁画は放り出されていました。それを完成させたのがヴァザーリの工房でした。
写真の通り大空間の壁画を、両巨匠に負けじとおらぬ絵で仕上げた力量はすごい。

ミケランジェロによる『カッシナの戦い』下絵(サンガッロによる模写)
ルーベンスによる『アンギアーリの戦い』の模写

その2:世界初の美術アカデミー「アカデミア・デッレ・アルティ・デル・ディゼーニョ」を創立


1563年にアカデミー創立を発案し、ミケランジェロらと創設しました。徒弟制度のみで引き継がれていた美術の技術を、教育機関を作って継承させるしくみをつくったのです。現在このアカデミーは、「フィレンツェ美術学校(Accademia di Belle Arti Firenze)」になっています。

フィレンチェ美術学校

その3:フィレンツェ公コジモ1世のお抱え芸術家


今でこそあまり重要視されていませんが、当時ヴァザーリは大変な尊敬を集め、メディチ家のフィレンツェ公コジモ1世のお抱え芸術家として、フィレンツェの建築や装飾の責任を担っていました。特に有名なのはヴェッキオ宮殿とピッティ宮殿を結ぶ通称「ヴァザーリ回廊」と呼ばれる建築群(アルノ川にかかる橋ヴェッキオ橋も)とウフィツィ美術館の設計。
これ以外にも多数の絵画や装飾、建築が残されています。

その4:ルネサンスの芸術家を総まとめした伝記集を執筆
画家・彫刻家・建築家列伝(通称「芸術家列伝」)はフィレンツェの芸術家についての様々な記述がされており、芸術文学の古典で最も有名で最も研究された本です。これが1550年に出版された影響はその後に続く芸術家に大きな影響を与えています。今でも美術大学の美術史の授業では必読らしいけれど、一般的には知られていないですよね。

画家・彫刻家・建築家列伝

こんなに当時と後世に影響を及ぼす功績を上げながら、(少なくとも)日本では一般的には知名度が低いですね。おそらくは「ミケランジェロの弟子」という2番手扱いされるのと絵画の多くが壁画であるため、日本の美術展で紹介されることが無いということが理由ではないかと思いますが、それにしても残念です。

今回はルネサンスの超重要人物なのに日本では一般的でないジョルジョ・ヴァザーリを紹介しました。

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