母子像の変化

「カウパーの小聖母ラフェエロ1505年

絵画で「母子像」と言ったら、聖母マリアと幼な子イエスを描くもので、ルネッサンスの巨匠ラファエロ・サンティの作品よく知られていますね。
例えば(ラファエロは聖母子像をいくつも描いています)このカウパーの小聖母(1505年)では田園風景をバックにたたずむ聖母子が描かれ、清楚に微笑むマリアは柔らかな肌と伏し目視線は処女性を、幼子を支える優美な指先は母性と、女性に求められる2つの性質を表します。ラファエロは(依頼されたにせよ)信仰対象としてのマリアを、自分を守ってくれる世界の一面として感じていたのでしょう。

メアリー・カサット【眠たい子供を沐浴させる母親】1880年

次の母子像はマリアではありません。「眠たい子供を沐浴させる母親」(1880年)といい、描いたのは印象派のメアリー・カサットです。カサットはアメリカ人ですが、フランスに渡り、ドガと知り合うことで印象派に加わります。カサットは生涯独身で、子供もいないのですが、このような母子の絵を多く残しています。我が子を愛おしく見つめて抱く花親と純粋な子供の顔が柔らかな筆致と色彩で描かれており、そこには宗教的な要素はないものの母子の姿が神々しく感じられるのは、カサットが思い浮かべる理想の世界だったのかもしれません。

カサットの描く母親は普通の人間の母親なのでマリアのような処女性はありませんが、母性を描くにあたって、母親が我が子に向ける愛差しがあると思います。ラファエロなどが描くマリアの多くは幼子イエスの方を見ておらず、時に鑑賞者に視線を投げかけます(カメラ目線)。これは「画家にとってのお母さん」「みんなのお母さん」の視線であり、マリアの役割を描いた結果なのですね。ラファエロに限らず、多くの聖母子像においてマリアは目を伏せて処女性で神々しさを出していますが、それが聖母子像に求められていたマリアの描き方だったのでしょう。(一人イエスをしっかり見ている聖母子像を残している画家がいますが、それは別の機会に)

芸術家は自分が感じる「世界」を作品にします。ラファエロとカサットの作品には母子像という共通点があるものの、ラファエロのマリアは「聖母」であり、そこの処女性と母性で世界を描いています。カサットの母子像は彼女が思う理想の家族像(世界観)を描いたもの。400年近くの時代が離れて、母子が新たな捉え方で描かれたのです。

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