街撮りは写真日記にも見える
街撮りを楽しんでいて気づくことは、写真で綴る日記に見えること。
ただ歩き回ってシャッターを切っているだけでも、その足跡やその時の気分がちゃんと順に写っていて、「何故そのモチーフを選んだのか」という確認ができるのだから、これはもう日記と同じだと思った。
中華街に足を向けたら、混んでいた。
その様を記録的に撮ってみるけど、選んだ構図にはやっぱり気持ちが入っている。
コロナ禍が忘れられつつある今、観光地としての中華街は以前よりも歩きにくい。
それは、安・近・短を求める人達に対応して、食べ歩き用の料理を扱う店が急激に増え、買い求める人の列と立ち食いを楽しんでいる人達によって、歩くスペースが狭くなってしまったからだ。
だからこんな写真を撮ってしまったりする。
感情的になって撮る時は、色を考えずに撮ってしまう事が多い。
だからそんな感情的な写真はモノクロに仕上げる事になるのだけど、スナップとしては感じてシャッターを切る事に意味や面白さがあるので、どうしてもモノクロにした写真が多くなってしまう。
ちなみに、色を意識すると構図の構成が変わる。
明るさと暗さによる構図に加えて、色合いや色と色のコントラスト等も考えるので、自分の場合はどうしても咄嗟に撮る写真とは違った撮り方になってしまう。
ランチタイムが終わって、人通りが一段落した時に撮ったこの1枚。
赤と黄色、赤と緑、その配置を考えて歩行者の位置を予測して撮っている。
でもこうなっちゃうとスナップっぽくないので、作品的な観点で構図を決める。
・・となると、被写体に意識を誘導したくなる。
なので、時計を気にして歩いている人狙いを決め、センターに差し掛かるタイミングを狙ってみた。
休憩したくて入ったビルに、こんな面白いモチーフがあった。
先が見えない毎日でも、おぼろげながらに見えている社会構造はあって、それを目隠しするかのようにウェブ上に溢れる情報が目に飛び込む。
そんな日常を感情的に撮っているので、やっぱりモノクロにしたくなってしまう。
そしてもう少し歩いたところでベンチに座り、こんな写真も撮っている。
自分が立っている場所は常に変化し続け、それを意識しないと変化にさえ気づかないのが生活だけど、ちょっと足下を見れば道が変化する事が見えるはず。
そしてそれを指摘できるのは、客観視できる視点を持てる人だけなんだ・・という考えを構図の中に仕組んでいるけど、それもまぁ、個人的な撮影の楽しみの一つなのだろう。
この日はちょうど満月だった。
ランドマークタワーの最上階から見えた景色はとても艶やかだったので明るく光る水面と観覧車のライトアップとの色のコントラストを狙ったけど、これはもう「月が綺麗ですね」というだけのカット、になる。
そしてそれもまた、日記的に大事なカットだなぁ・・と思うのですね。
それにしてもRF24-50mmはnoteにアップするサイズまで縮小するなら、実に優秀な画質を出してくれると思う。しかもISが付いているから1/4秒のスローシャッターでも止まるのが嬉しいし、何より小さくて軽い(210g)のがありがたい。
ただ、それでもやっぱり望遠が欲しくなる時はあって、そういう意味では24−70や24−105といった標準ズームが必要になる。
となると、標準ズームをメインに使って、超広角の16ミリや食べ物撮りにも使える28ミリか35ミリを持ちたいけど、今使っているミニショルダーバッグには入りきらないのが問題だ。
でもね、たまに望遠を使いたいシーンに出会う事はあるのが、悩ましい。
標準ズームも望遠ズームも大きくて重いので、小さなショルダーのみで動くのは無理となり、だったら・・と仕事仕様な装備になりやすい。
そして目立つ・・・と。
と言う事で目下の悩みは、RF85mm F2 MACRO IS STMを導入するかって事。
ヨドバシ価格で93,500円で、RF24-105mm F4Lより小ぶり&軽量だから良いと思うのだけど、EF85mm F1.4L やEF100mm F2.8Lを持っているので、サイズと重さだけで買うのは悩ましい。
で、結局、RF70-200mm F2.8Lを持ち出しちゃう事もしばしば。
そんな悩みも「カメラの楽しみの一つ」なんだと思うようにしないと、いけないのでしょうね。
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