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いまを確かめる。振り返って言葉にする。

さんぽの帰りみち。雨が降り出した。
濡れたアスファルトの匂い。
なつかしくて
少し さびしい。

あのころ 地面 は ちかくて
そら は 大きく ひろかった。

いっぱい ころんで すりむいた。
公園 の じゃり に 混ざる ガラスのつぶ。
その なか に
ダイヤモンド が 1個 は ある って 信じてた。

なに か 変わった わけ じゃない。
ぼく は いま
のぞんだ ばしょ で 生きてる。

原っぱ や ひろいそら は ないけど
ちかく にも
この そら の 向こう にも
だいじ は ひと が いる。

あいかわらず 頼りなくて
たくさん 助けてもらって
お陰で少し
ほんとに すこし だけど
みなさま に 応える こと が できてる。
すきなこと も 少しずつ できてる。

気付いたら
おぼろげな 夢 目標 の 大半 は 叶っている。

■1:ぼく が ほんとに
   心から いいな って 想えるもの を 創る

■2:
 100人 に 1人 でも いい
 それを いいな って 感じる かた へ 届ける

■3:
 ぼく の やるべきこと を して
 誰に めいわく かける でもなく
 すきなこと も する。

3つ目は、みなさまに
助けられまくって 成り立ってる。

ぼくが ずっと 憧れてる
お兄さん お姉さん たち。

たくさん 愛 を くれた。
相手 への 気遣い。
大人 の マナー。
いっしょに いて たくさん 学んだ。

仕事しながら
夜、いっしょにスタジオ入って。
すき な こと 想いっきり やる。

その 笑顔 が 音 が
うれしくて 眩しくて

こんな 大人 に なりたい

生まれて初めて 
将来 へ 希望 を 持った。

はたらく って なにか知りたくて
コンビニ で バイトした。

1人で お店 してると
挨拶のトーン ひとつで
店内の雰囲気が変わると気付いた。

掃除 を 隅っこ までやると
広く 快適 になると学んだ。

お客様 も
 〇 丁寧な応対を求める人
 〇 機械のようにさりげないスムーズさを求める人
いろいろ、いらっしゃると知った。

気付いたら
フライドフードの売り上げNo.1になって
ぼくの売り口上が
店のバックヤードに貼りだされた。
……恥ずかしかったけど嬉しかった。

大学 を 卒業。
初めて仙台を出て、関東でシステムエンジニアになった。

仙台で組んでたオリジナルバンドを遠距離で1年続けた。
死にそうなほど 大変 だったけど
スタジオ に 入ると 生き返った。

連勤明け、翌日休みの夜
1人 カラオケ に入って
鼻血が噴き出た。バカだと笑った。

憧れの お兄ちゃん お姉ちゃん たちに
近付けたか 分からなかったけど

わっと録音した曲を
同じ社員寮に住むの同期たちに聴いてもらったり
小説書く ひと
音楽 つくる ぼく
クリエーター同志 で 語るのが楽しかったり
近くにある ご夫婦が経営するBar.でお酒の美味しさを知った。

グァバオレンジ や
香草をすり潰したカクテル。
何より ラム酒 を ロック で ちびちび 呑む のが 好きだった。

僕はとても酒が弱いので
Bar.の社長(マスターの奥様)の料理と
たくさん お代わりする お水 が 常 だった。

東急東横線沿い の
社員寮 の すぐ 近くの Bar.
また行きたいな。

会社では、ある先輩に社会人の基礎を叩き込んで頂いた。

ぼくは根が大雑把で
きちんとしたシステムを組んだり
誤字なく統一感あるマニュアルを創れるまで
毎日 たくさん 叱って頂いた。

人が変わる、成長するのは時間が掛かる。
それに付き合い、指導を続けてくれた。
ぼくに同じことができるだろうか。
ほんとにできるまで ずっと正面から言い続けてくれた。

優しく丁寧なアドバイスは できるけど、
まずい部分が直るまで指導しきるのが
いまでも ほんとうに ありがたく
感謝と尊敬しかない。

あのひとは
いまでも殺人的スケジュールで生き抜いているだろうか。

2年目から加速度的に忙しくなった。
クラウドシステムの部隊にいたぼくは
クラウドブーム到来と共に
先輩の部下として数名のチームをひっぱる立場に。

初めて使う制作環境や言語の技術面の確立
お客様とのやりとり
自分が担当するシステムのクオリティを
チーム全員分 死守。

音楽はできなかった。

音楽で学んだ
「できるまでやればできる」
という泥臭い哲学のもと
不器用でも必死だったが

時間も
体力も有限だ。
行き詰まることが増えた。

でも、先輩はぼくより遥かに忙しい。
「悪いけど、冨永の部分は冨永がなんとかしてくれ」
自力で調べ試行錯誤する術を磨いた。
先輩の力になりたかった。

3年目。夏頃から限界がきた。
からだ は 重く
神経 も 休まらなくなった。

役目をこなせない
音楽 も できなくなっていく
心底 いや だった。

秋、会社に出勤できなくなり、
クビの勧告がきて、

12月31日付で
ぼくは喜んで依願退職した。

「自律神経失調症」の診断だったが
2年後、うつ病と分かった。
大学の頃から、2~3年周期で再発を繰り返していた。

ぼくは あの世界で生きる未来 を想像できなかった。
いま考えても無理だと思う。
先輩はスーパーマンみたいに見えたけれど
ストイックな努力の人だ。
人に言わないけど、何度も倒れてる。

あの世界 でいまも頑張っている同期たち
尊敬と共に
とにかく心身を大切に生きて欲しいと願っている。

1番近しかった2人は
今でもTwitterで時々、近況を知ることができ
ほっとしたり うれしかったり。

離職を機に生きかた を 考えた。
どんな生き方ならつぶれずやり抜けるのか。

さいしょに浮かんだのが
感情をおさえ
いたみ も のぞみ も 蓋をしていた
ちいさいころ の ぼく

彼 が 笑ってくれる
そんな 生き方 が したい。

しんどい想い を したから
しんどい ひと が
立ち上がる のを サポートできるような
そんなことができたら
笑ってくれる 気がした。

理学療法士。

病気 や 怪我等のリハビリ専門職の1つ。
スポーツトレーナーになる人も居る。
指定学校を経て国家資格を取る医療職。

年明け入学試験を経て
専門学校へ入学が決まった。
体調も少しずつ良くなっていた。

そんな時だ。3.11。

……なにもできなかった。
確認できた事実を集め
これに乗じた詐欺などへ注意喚起をしたり。
たいせつ な ひとたち のぶじ を 祈った。
間違いなく最前線で奮闘している友人たちもいた。

そんななか、1つだけ明るいニュースがあった。
高校からの親友で音楽仲間が結婚式を挙げるのだ。

ぼくは 唯一 関東にいたから
友人代表として余興とスピーチをすることになった。

東北のみんなの分まで精一杯を届けたい。
ぼく は 久しぶりに
アコースティックギターを手に取った

Mr.Children『終わりなき旅』
を 弾き語ることにした。
2人の門出に東北のみんなと前に進みたくて。

ぼく は 殆ど弾き語りをしたことがなかった。
結婚する彼と、
相互フォロワー:齋藤でぃずぃ氏 達と共に演った
AST(アスト)というバンドで
Vocal. & Guitar. を演ったくらいだ。

バンドでは基本
エレキギターでリードを弾いていた。

個人で録音はするけど
ステージでメインボーカルするのは
なんだか落ち着かず。

ましてアコースティックギター弾きながら
は ぼくにとって大冒険だった。

でも 上手い 下手 じゃなくて きもち。
みんな の 祝意 と 決意 を 伝えたかったから。
がちがちに緊張しながら、その時を迎えた。

・・・。

ことば は 要らなかった。

新郎 新婦 ご両人の
職場のみなさまの全力の祝意で
催された結婚式。

ギター を 鳴らして うたった。
すぐに分かった。
その場 に 居る 全員 が

「この2人を祝福したい」

という 想い で
1つになっていること。

うた と ギターストローク で
ぼく の バランス が 危うくなってくると
彼 が ぼく に 駆け寄って
一緒 に うたってくれた。

奥様も加わってくれた。
気付いたら みんな で うたってた。
声がでないかた も いっしょ だと 感じた。

『 嫌なことばかりでは ないさ
  さぁ次の扉をノックしよう
  もっと大きなはずの自分を探す
  終わりなき旅 終わりなき旅 』

ぼくは また、
音楽 と ひと に 救われた。

4月から医学を学んだ。
3年制の専門学校が多いけれど
2年制の某学校が、
厳しいけどガッツリ学べるらしいと聞き入学。

同じ社会人卒の方も多く 良い環境だった。
1年で座学の殆どを吸収するのは大変だけれど
理系卒を活かして、勉強を教えるのもうれしく
とても充実していた。

2年目。いよいよ研修が始まる。
病院のリハビリ現場にいくのだ。
ひと の いのち に 関わる現場。

その頃から。
じぶん で 気づいてなかったけど
様子 が おかしかった。

授業で寝ることなどなかったのに
意識 が 飛んだり
アタマがうまく 回らなかったり。

ついには行きたいのに
登校もできなくなり
心療内科 を 受診 した。

そこで初めて、うつだと判った。

・・・少し、ほっとした。
つぶれる理由が分かったからだ。

精神疾患、障がいというのも
あまり気にならなかった

日常生活に支障が出ると
それをサポートするために診断名をつける
いわば

「当人に支援が必要かどうか」
というものだ と 学んでいたからだ。

ぼくは支援が必要だった。
だから退学して服薬・療養を始めた。

2~3年の療養を経て
当時、東京勤務だった父が仙台勤務となり家族で仙台に戻った。

社会復帰に向けて
リハビリがしたかった頃なので
10月から、就労移行支援という福祉サービスを利用した。

最大2年間、無料で使える、職業支援所のようなもの。
ぼく の 課題 は

・1人で抱え込む
・オーバーペースで頑張り過ぎる

スキル云々よりも
自分が安定して働けるように自分を管理する。
周りに、いまある問題を共有して適切に、助けを求める。
それが、再発防止のカギだと考えた。

事業所の通所初日。

スタッフさんに今日の体調を報告し、
体調に合わせて訓練する旨を伝える
というのをお願いして、始めた。

「調子が悪い」など

ネガティブな発言をするのが苦手だったので
これが共有できるようにならないと始まらない。

Excel、Word、PowerPointなどをやりながら
療養を始めた時からの
・規則正しい生活
・朝起きて、夜早く寝る
を続けた。

そのうち
もっと仕事に近いことをやりたいと考えた。

同僚と相談して出たアイデアがグループワーク。
チームで連携しながら何か創りたい。

事業所には様々な方が在籍されていた。
社会人経験豊富な方。若い方。
両者が協力して何かできたら
互いに学ぶことがあって
すごくいいんじゃないかと。

事業所に相談してぼくを含めた3人が
テストケースとしてやらせてもらえることになった。

出退勤記録をつけるExcelを、
より皆が使いやすいように改良するというテーマに決めた。

僕は主にプログラミング担当。アイデアを出し合って、進めた。
楽しいし、やり甲斐もある。

が、問題があった。

ぼくが熱中するあまり、作業を持ち帰って
訓練外の時間もあれこれ試行錯誤したのだ

通院している病院のアドバイザーが
この話を聞いて ぼくに諭した。

「訓練外の時間は、オーバーワーク」
「冨永さんは、ブレーキがきかない」
「だから、まずは時間で区切るしかない。」

事業所にも即刻、状況を共有頂き訓練時間外の作業禁止が決まった。

すごい と 思った。

この方(アドバイザーさん)は
どれだけの人を見てきたのだろうか。

ぼくは
「任せられる・頼られると、応えたくなる」
「熱中すると、視野が狭くなる」
という傾向がある。
大事な課題だ。

「できるまでやればできる」

を信条とするぼくは

「できるかもだけど、今はこの辺でやめとく」

が苦手だ。

でも、それができないと、とても危ない。
未だに切り替えは苦手だけど

「時間で区切る」

は ぼくの重要な活動指針だ。

そんなこんなで
たいせつな学びと共に
グループワークはしっかり完遂。

見やすいデザイン。
パソコン苦手なかたでも、登録しやすい流れ。
ぼく1人では絶対できないものができた。

その後は事業所が請け負った仕事に参加して
入力作業やPC機器 セットアップ
社内報づくり etc.
勤務時間 や 間隔 を伸ばし
フルタイム へ 徐々に近付けた。

安定して勤務するため
・しんどい時期はプライベートの予定入れない
・SNSもやらない
という自分なりの自己管理ができてきた。

音楽もぼくにとって
気合いの要る、とても大切なものなので
しんどいときは やらない。

そうして2年間の満了と共に、
今の会社に試験採用。

準社員から社員となり、事務職をしている。
障がいをオープンにし
・家族の支えが必須なので転勤不可
・免許はあるが、服薬してるし苦手なので運転不可
という条件を伝えた上で、勤務している。

上司が転勤するタイミングで
引継ぎや他拠点の応援作業が重なったり
引き継いだ業務が、
実務を自分1人の裁量で行うのがうまくできず、うつ再発。

約1年の休職もあったが

今は上司・先輩の配慮も頂き、
周囲のサポートのお陰で
復職して1年半くらいになる。

できることを
できるペースで着実に行う。

言葉にするのは簡単だけど、ぼくには難しい。

難しいけど、
長く続ければ、着実に成長できることに気付く。

限界を超えなくても、手が届く範囲の行動を繰り返せば、
だんだん余裕がでてくる。

失敗もする。当たり前だ。
やってみないと、分からないことだらけだ。

分かった反省を
上司や先輩と共有して
どうやったら上手くいくか
トライ&エラーを続ける。それが大事。

しばらくやって
行き詰まりの危険を感じたら

早めに相談するのも大事。
上司や先輩は視野が広く、解決方法も多く知ってる。

自分で頑張るのも大事。

だけど、周りと協力する関係をつくって
受けられる助け・アドバイスを頂きながら
予定通り仕事を完遂できれば、まずそれでOK。
いまのぼくは、そこにいる。

もっと自立して
みんなの手を煩わせないように
そう焦るときもあるけれど
背伸びして抱え込むのは、ぼくには危険。

こうして言葉にして
自分に言い聞かせ、整理する。
そんなのも大事だ、と感じた週末でした。

この長文を読んで頂いた方、ありがとうございました。
なにか、得るものがあったら幸いです。


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