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3.11 に想う。力尽きるまで生きたなら、お疲れさま と 送ってほしい。
とても 重いテーマ で
みんな 避けてる こと かもしれない。
でも だれも が
この いのち
いつか まっとう するんだ。
弱ってしまったり
病気 に かかったり
突然 の アクシデント に 見舞われたり
でも それ は
「死」は。
ぼくらが 生まれてきた
命 を つないできた 軌跡 と
おんなじ。
昼があって 夜がくる。
自然 な こと だと 想う。
いま は ことさら
死 を ニュース に するけど。
病気でもなんでも
生きられなくなるまで 生きたなら
「お疲れ様でした」
と送りたい。
ぼく は 弱い。
検査入院 で
点滴用の太い注射針を入れられたまま
病院 で 寝起きする だけでも
「これはキツい。もっと健康に生きよう。」
と 思うくらいだ。
生命維持装置 に つながれ
意志表示 も できない 状態 で
生きたい とは 思わない。
死亡率 より 大切 だと 思う。
別れ を 惜しむ のも
もちろん、自然なこと。
仮に
生きている たいせつ な ひと を 前に
延命措置 の 終わり を決める のは
ぼく が 軽々しく 言えること ではない。
けど
別れたくない という じぶん より
たいせつ な ひと 自身 の きもち
を 考えると
「痛い」
すら 言えない 状態 で 手を尽くされ
「まだ、こういう薬があります」
「こんな可能性があります」
と ずっと されるのは
・・・つらい よ。
若くて
手当て すれば 確実 に 元気 になる
そんな ひとたち に
お金 も 労力 も
託したい って 思う よ。
ぼく だって
保険 つかってる。
だれかが 命削って 稼いだ お金で
服薬 してる。
だから、今は仕事もできて
すきな 音楽 も
だんだんできてるんだ。
あたりまえ じゃない。
みんな に 支えられてるからだ。
だから
プロ である医師の皆さまも
真剣に考えて欲しい。
救うこと。の定義。
災害時 にも トリアージ が ある。
治療の優先度 を決めること。
重症だけど助かる見込みがあるのが最優先で
次に中程度
次に軽傷
助からない命 は
敬意をもって 見送る。
これは
ぼく は 日常 でも
たいせつ だと 想ってる。
資源 も 人材 も
全て 限り が あるから。
家庭 の 財布 も
医療費 も
国家予算 も
限り が ある。
救えない。手が届かないもの。
たくさん ある。
だから 使い方 は
だいじ に したいんだ。
ぼく は
すごく 助けられてる 側 だから。
よけい に 想うのかもしれない。
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