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麒麟が来る!

日付が変わり、いよいよ本日(2020年1月19日)、待望の大河ドラマ「麒麟がくる」の初回放送日となりました。

もう、この一年待ち遠しくて仕方なかったです。大河史上初めて、明智光秀に焦点が当てられるとのことですが、資料があまり残っていない光秀の生涯の前半部分も丁寧に描くとのことで、「お!攻めるな〜」と思いました。そういう意味でも、二重に楽しみな大河です。

これまでの光秀と言えば、信長に叱責されその逆恨みから本能寺の変を起こした人物と捉えられ、決してプラスのイメージではなかった人物ですが、今回のドラマでは、本能寺の変の動機としての怨恨説は一蹴され、2020年末までには、日本中において光秀のイメージが大きく覆る、そのような一年になると思います!

考えるに、戦国大名で本気で日本に平和をもたらし、世を「静謐(せいひつ)」しようと考えたのは信長だけだったと思います。上杉にしろ、武田にしろ、結局は自分の本拠地である越後や甲斐に拠点を置き続け、特に信玄の場合は、あくまでも、甲斐を中心とした周辺国への侵略戦争がメインで日本全体を統一するなんてことは最晩年まで考えていなかったと思います。

それに反し、信長は、尾張から美濃、安土と着々と京都に近づいていき、天下静謐の実現に奮闘します。当時の”天下”はあくまでも京都を中心とした畿内を指す言葉であり、室町以降荒れに荒れていた畿内に平穏=静謐を取り戻した上で、その平和を全国に布武する。それが彼が目指した「天下布武」プランだったと思います。

光秀も、この戦ばかりで乱れた世に終止符を打たなければいけないと心の底から考えており、信長に同調。家臣として仕え、信長の理想の実現に貢献していく傍ら、自らも、織田家No.1の家臣に上り詰める程信長からも信頼されていました。

しかし、京を手に入れ織田家が日本で最大の領土を得る地位についた後、信長の考えに変化が。。織田家に服従すると言ってきた大名を無理やり攻める(例:長宗我部征伐) など、織田家自身が、「静謐」を乱す要因となってきた。この変化を頭の切れる光秀は敏感に察知し、このイデオロギーの対立が本能寺の変を起こす根本的な要因となったのではと思います。

タイトルにある「麒麟」とは、信長の花押でもあり、平和な世しか現れない霊獣とされています。その麒麟の到来を目前にして、主君の路線変換のためにせっかくの麒麟が遠のいていく、自己否定にも繋がりかねないその矛盾する状況での光秀の苦悩や葛藤の果ての「本能寺の変」。これが、今回のドラマのクライマックスではないかと、超絶個人的な見解を、ドラマが始まる前に記録しておきます。

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