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「イラストレーター 安西水丸 展」に行ってきた

世田谷文学館にて開催されていた「イラストレーター 安西水丸展」に行ってきた。芦花公園(ろかこうえん)なる京王線の駅で下車し曇り空のなか閑静な住宅街をぬけ、5分くらい歩いたところに世田谷文学館はある。

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村上春樹が好きで読書にのめり込んだので安西水丸にはどことなく親近感があった。友達の友達のような感覚に近いかもしれない。

受付で検温と手指の消毒をさらりと済ませ来館日時と連絡先を記入しチケットを大人一枚900円で購入すると、目の前には安西水丸展のグッズ売り場が広がる。手にとってみたい欲求を我慢して展示場へ向かう。

2階の展示をくまなく見た。安西水丸の生涯にわたっての小説、漫画、絵本、エッセイそして広告などの作品群、さらには個人的な洋服、食器、酒などが展示されていた。ひとりの人、カップル、家族連れなどがいた。赤ん坊を連れたお客さんもいた。赤ちゃんはどんなインスピレーションを受けるのだろうかとぼうっと考えてしまった。わかるわけなどないけど。

写真撮影OKだったので、少しだけ写真を撮った。うまいようで下手で、下手だけどうまいようで、真似できないよな、すごい。

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絵描きなのに矢印を簡単にーーむしろ強い味方としてーー使ってしまう力の抜き具合がステキだ。

一本の線についての言及が心に残った。恥ずかしながら気づかなかったのだけれど、彼の作品でよくある構図として一本の線が絵を区切っている。(どうしてその作品の写真を撮影しとかなかったのだろう、、、)それは水平線であり、テーブルの端である。一本の線で世界が立ち上がる。

引越したばかりで洋服が少ないボクは、グッズ売り場でTシャツを二枚買ってほくほくした気持ちで帰り途についた。一番欲しかったTシャツは売り切れていたけれど仕方がない。

いろいろ心に浮かんだけれど一番印象に残ったのは写真をたくさん撮るお客さんだった。展示されていた作品をほぼすべて写真に収めていた。写真撮影OKの展示会だし好きなだけ写真を取ればよいのだけれど、どうしてか気になってしまった。

ボクは写真を撮ることがあんまり好きじゃない。あまりにも正確に現実を切り取ってしまう感じがする。曖昧なところがない(撮影方法によっては可能だろうけど一般的な話として)。

写真を撮るよりもじっくり作品を見て自分の感性と時間のふるいにかけて心に残るものだけ大切にすればよいのでは、なんて思ったりする。写真好きの人はきっと別の意見があるのだろうけど。

思い出すという行為が生きている人間の行為のなかでもっとも好きだ。何か大切なことが水底から浮かび上がってくるあの感じ。あまりにも大切なことを思い出すと現実の捉え方すら一変してしまうあの感じ。あの感覚を求めてわざと写真を撮らないのかもしれない。なるべく忘れてしまおうとすら思っている。そのおかげで仕事でもプライベートでも覚える能力が衰えたかもしれないけれど。

今後長く生きていくどこかの地点で、ああ、そういえば確か安西水丸の展示会に行ったっけ、そのときはたしか、、、みたいな瞬間が来ることを楽しみにしている。

(了)


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