人それぞれの恐怖

 また水害が起きた。気候変動の影響もあってか、ここのところは毎年のように大きな天災が起きており、危険度は年を追って増していると思える。だが地理学科卒の友人に言わせれば、「ひと目見てそこはダメだという場所に、次々に家が建てられている」という。水害危険地域には、不動産会社から告知するよう去年から義務づけられたらしいが、どこまで機能するか怪しいものである。

 第三者の防災アドバイザーみたいな人がいればいいのかもしれないが、それでも被害はなくなりはしないだろうなと思う。以前、水害で新築の家を失った人のインタビューを見たが、「危険地域であることはわかっていたが、浸水する『かもしれない』というだけで、いい物件を見送る気はしなかった」と言っていた。リスクをどう受け止めるかは人それぞれで、もし「この土地には50年に一度洪水が来る」と言われたら、筆者であれば絶対に住む気がしないが、わりと平気な人もいるのだろう。

 新型コロナウイルス関連でも、人々のリスク評価は全く割れてしまっている。ものすごく神経質になり、家に閉じこもったりマスク警察みたいなことを始めたりする人もいれば、平然と飲み歩き、コロナなんざただの風邪だと言い放つ者もいる。ワクチン接種のために朝から行列する人もいれば、どうしても打ちたくないと頑張る者もいる。ネットを見ていると、サッカーや野球はできてるんだからオリンピックだって大丈夫だろという書き込みも、決して少なくはない(そんなわけねえだろと思うが)。この一年半、同じ国で同じコロナ禍を見てきていながら、なんでここまで受け取り方が違うのだろうか。

 リスク評価は、個人の中で一貫しているわけでもない。あることにはえらく慎重なのに、別のジャンルでは平然と無謀なことをやらかす人間もいる。筆者も基本的には慎重な人間であると思うが、わざわざ何日もかけて全国を車で走り回り、運転を誤れば谷底に落ちて命はないような酷道を走ったりもしてきた。今だって、一万数千人のフォロワーの前で、頼まれもしないのにいらないことを書き連ね、炎上や個人情報漏洩のリスクに自ら身を晒している。見る人から見れば愚の骨頂、リスク管理を知らない無謀なすっとこどっこい野郎ということになるのだろう。

 その他、虫が恐い人、高いところがダメな人、雷が恐い人、4とか13のような忌み数を極端に嫌がる人など、恐怖の対象は様々だ(Wikipediaの「恐怖症の一覧」をご覧あれ)。もちろんこれらはその人の積んできた経験に左右されるが、生まれつきの要素も大きいことだろう。

 恐怖心やリスク感覚というのは、かくも人によってバラバラだ。これは、恐怖心が多様であることが、人類にとって必要なことだからではないかと思う。

 非常に極端な話、今回のコロナワクチンを全人類が歓迎し、みなが喜んで接種したとしよう。しかしその後になって、ワクチンは実は猛毒であったことが判明したなんて場合、人類は絶滅してしまうわけだ。たとえば2~3割、ワクチンは恐いといって接種を忌避する人がいれば、人類はどうにか生き残ることができる(まあその場合、当然コロナにやられる確率も高い。ワクチンを打つほうが何百倍も分のいい賭けであると思うので、接種の順番が回ってきたら筆者はスキップしながら打ちに行く予定であるが)。

 また、恐怖心の薄い人、無謀な人というのは、当然ながら死んだりひどい目に遭ったりの確率が高い。だが、そういう人がいないと物事が動いていかないのも確かだ。小さな船と未発達の航海技術で大西洋を渡ろうなどと企てるのは、普通に考えれば大馬鹿者だが、彼らがいたおかげで大航海時代が来て、歴史が大きく動いた。現代でも、当時はマイナーな分野であったRNAの研究に身を投じ、その成果を元にベンチャー企業を興そうという、実に無謀な人がいてくれたおかげで、人類は救われようとしている。もちろんこれら一握りの成功者の影には、たくさんの失敗者がいるわけだけれど。

 恐怖心というのは、「これをやってはいけない」という心のブレーキとしての機能を果たす。死の恐怖みたいなものは全員が一律に持っていなければいけないが、そうでない恐怖心は人それぞれである方が、人類全体としては都合がいいということかなと思う。

 そう考えれば、意見の合わない奴、突拍子もない判断を下す奴がいても、多少は腹が立たない――かもしれない。ただ今回の新型コロナの場合は、無謀な奴が勝手に自爆するだけでなく、周りの他人にも迷惑を及ぼしてしまうのが厄介なわけだが。

 そして一番困るのは、恐怖心が薄くリスク意識の低い者が権力を握り、多数の人間を不当なリスクの中に叩き込んでしまう場合だ。どこぞの大統領とか某競技大会関係者とか、それぞれ思い浮かぶ顔があるのではなかろうか。そういうトップが出てきた時、スムーズに交代させられるのが民主主義の仕組みというやつなのだろうが、それがうまく機能しているかどうか、なかなか怪しいなと思う次第なのである。

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