題名について考える

 本を書く仕事をしていると、避けて通れないのが「本の題名を考える」ことである。何しろ長い時間とエネルギーをかけて執筆した本であり、その売れ行き次第では家族一同がおまんまの食い上げになるわけであるから、そりゃあもう必死で考えざるを得ない。

 しかしこれを言うとたいてい驚かれるのだけれど、著者には本の題名をつける権利はないのである。もちろん意見は聞かれるが、最終決定を下すのは出版社の編集会議であり、書き手はそこに参加できない(少なくとも筆者が今まで書いてきた社では)。もちろん本を商品として世に送り出すのは出版社なので、題名をつける権利があるのは当然といえば当然なのだが、書いた側としては少々切ない話ではある。

 であるので、汗水垂らして書いた自分の本に、「えーマジかよ」と頭を抱えたくなるタイトルがつくこともありうる(あの本とかあの本とかは、そういうケースだったんではと思う)。幸い筆者の場合は、そこまでひどいと思えるタイトルをつけられたことはないが、自分の案の方がよかったんじゃないかなーと思うことはやはりある。

 もちろんどういうタイトルが正解であったか、確かめる方法はない。同じ内容で違うタイトルをつけた本を別々に販売して、どれが売れるか確かめるくらいしかないだろうが、わざわざそんな実験をする出版社はないだろう。ちょっと結果を見てみたいので、どこかやってくれないかとも思うが。

 もちろん、著者自ら素晴らしい案を出して、編集部に納得してもらうのが一番いいに決まっている。ということで毎回こちらとしてもうんうん言いながら考えるが、結局最初にポッと浮かんだ案が一番よかったりする。

 ヒットしている本の傾向を参考にするのは、当然考えるべき方法だろう。今回の新刊「番号は謎」というタイトルは、大ヒットした漫画作品「進撃の巨人」をヒントにしたものだ。

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 「進撃の巨人」というタイトルは、「ん?」と違和感を感じさせるタイトルだ。日本語としては「巨人の進撃」か「進撃する巨人」とすべきだろう。だが、この違和感が「引っ掛かり」となって聞いた者の心に残り、ヒットにつながったのではと思う(その後、作中で「進撃の巨人」の意味の種明かしがなされ、これがまた見事であった)。

 筆者の本も、普通にタイトルをつけるのであれば「番号の謎」だったのだろうが、ちょっとそれでは当たり前すぎるかなと思い、ちょっと違和感を感じさせるつながりにしてみた。

 この案を編集部に提案したところ、会議では「番号が謎」という案も出たらしいが、結局著者の勘に任せるということになり、筆者の案で出版されることになった。売れなければ筆者の責任である。どうだろうかなあ。

 新書の題名は、やたら長いものが増えたり、「~の品格」「○○力」ばっかりになったりと、いろいろ流行り廃りがある。このへん、定量的に研究してみても面白そうだなと思うのだが、まあそのうち考えてみるのである。

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