はじめてのお説教

 あれは筆者がまだ会社の寮にいたときのことであるから、もう20年以上前だろうか。なぜかは知らないが、不動産投資の会社からマンションを買えという電話がしつこくかかってきたことがある。投資といっても、いかにも怪しげな聞いたことのない会社で、営業マンの声も聞くからにうさんくさい。どこの世間知らずでも、こいつに数千万の財産を託すバカはいねえだろと思うような代物であった。

 最初は丁寧に対応していたが、あまりにしつこいので「いい加減にしろ」と叩き切ると、すぐさままたかけてきて「佐藤さ~ん、そんなに怒んなくてもいいじゃないっすかあ」とヘラヘラ笑っている。面倒くさいので電話を切らずに15分ほど放っておいたら、電話口の向こうでまだ何やら喋り続けていた。悪徳商法の会社の内情などよくわからないが、ノルマでもあったのか、それとも何か別の狙いでもあったのだろうか。

 とはいえ、毎日かけてこられるといい加減神経に障る。対策はないものかとネットを眺めていたら、電話相手に説教をかまして撃退したという話が出てきた。ははあ、説教か。効き目はあるかもしれないが、果たして俺に説教などできるものだろうか。

 自慢ではないが、筆者はこれまでの人生で、部下を持ったり、人を教え導いたりする立場に立ったことがただの一度もない。それなりに長いこと会社員をやり、一応は「教員」という肩書を持ったことがあるにもかかわらず、である。自分ではわからないが、他人から見ると「こいつは人を指導すべき人間ではない」というオーラが、全身から噴出しているのだろう。まあ何しろ自他ともに認めるマニアであり、元祖陰キャであり、昭和のチー牛である。そんな男が、裏社会で生きる悪徳営業マン(なのかどうかよく知らないが)相手に、説教などぶちかませるものであろうか。

 まあ失敗したところで、別に失うものなどない。やるだけやってみよう。筆者は、相手に先手を取られると気を呑まれて言葉が出なくなるが、十分準備をしてテンションを高めておけば、それなりに口は回る方だ。会社で仕事をしながら、軽く脳内でシミュレーションなどしてみる。言葉のスパーリング。ワンツーパンチ。とっかかりさえつかんでしまえば、後は何とかなるだろう。

 果たしてその夜8時頃、電話が鳴った。おもむろに受話器を取る(そう、固定電話の時代である)。
「佐藤さ~ん、こ~んば~んわぁ~」
「………………」
「例の件、考えていただけましたぁ?」

相変わらずヘラヘラした口調である。どういう人生を歩めばここまでヘラヘラできるようになるのか、不思議になるほどのヘラヘラっぷりである。

「あのなあ、お前さあ」
「どうしたんです?いつもと口調が違うじゃないすか」
「お前の会社、何て名前だっけ?」
「え?いいじゃないっすか、そんなことどうだって」
「いいわけねえだろ。マンションを買う相手の会社名も知らないで取引するバカがいるかよ」
「いや、あのね」

何だか思ったより行けそうである。落ち着いて、相手を呑んでかかるというのは重要である。

「なぁ、お前いくつだ?結婚とかしてんのか?」
「いや、27で……結婚はまあ……」
「考えてる相手とかいるのか?」
「いるけど……いや、そんなこといいっしょ」
「なあ、お前さあ。これから家庭を持って、子供もできるんだろ?なのに、会社名も人に言えないような商売をやってていいのか?人様に胸を張って言えないような仕事を、一生続けていくつもりか?」
「いやその……」
「まだ27だろ?いくらでもやり直せるんじゃないのか?それだけ口が回るんだ、いくらでもできる仕事はあるだろ」

 調子が出てきた。初めてにしては、我ながら上出来な説教ぶりではないか。

「俺も大した仕事をしてるわけじゃないけどな。親に言えない、世間に顔向けできない仕事はしてないつもりだよ。お前もな、正々堂々と生きてみたらどうだ?なあ、俺はな、お前のためを思って言ってるんだぞ」
「…………」
「わかったら、ちょっと考え直してみろ。お前ならできるはずだよ。二度とこんな電話なんかかけてくるんじゃねえぞ」
「はぁ……」
「じゃあな(ガチャ)」

 今「はぁ」って言ったよおい!あのヘラヘラ野郎が、素直に俺の言うことを聞いてやがんの!大笑いだな!

 ということで、翌日から二度と電話はかかってこなかった。完勝である。自分にはできないなどと決めつけず、何でもやってみるものだと思った。

 どんなことでも、自分でやってみて初めてわかることというのがある。生まれて初めての説教で、わかったことが2つあった。ひとつは、説教というのは実に気分がいいということであった。人から説教を垂れられている時、なんでこんなしんどいことを延々とやっていられるんだろうと不思議で仕方なかったのだが、何のことはない。うなだれる相手を諄々と教え諭すのは、最高にスカッとすることだったのだ。

 もうひとつわかったことは、相手が「お前のためを思って言ってるんだぞ」と言うときは、これっぽっちも「お前のこと」など考えていないということだ。単に自分が説教でハイになりたいために、単にマウントをより強力にとりたいがために、相手のことを考えているそぶりをしているだけなのである。若いみなさん、これは覚えておいて損はありません。

 ということで筆者は、自分の快楽のために他人に説教をしてはならないと、自らに強く誓ったのであった。説教は麻薬であり、その快楽に浸っていれば、人望も友情も全てをなくすだろう。

 筆者の人生にはそれ以降、二度と人にお説教などする機会が訪れていないのは幸いなことである。それにしてもあの兄ちゃん、今ごろどこで何をしているのだろうか。

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