神原健太朗 Cinema Mediator

2012年の脱サラ後、映画祭、上映会、鑑賞会、プログラム、審査員、映写、ライター、ワー…

神原健太朗 Cinema Mediator

2012年の脱サラ後、映画祭、上映会、鑑賞会、プログラム、審査員、映写、ライター、ワークショップ、宣伝、製作、キャスティング、俳優マネージメント、映画館など、多角的に映画に関わる。ユーステール代表・マネージャー、三鷹連雀映画祭主催。

最近の記事

Six Degrees of Kevin Bacon Game的投稿(201-300)

Six Degrees of Kevin Bacon Game的なつなぎ方で、映画作品と俳優について、1作品ずつ、あるいは1人ずつ、Facebookで投稿しています。 本来のゲームのようにある俳優から始めてケヴィン・ベーコンにつなげるわけではなく、とにかく延々とつなげていきます。 初めて映画館で見た洋画からスタートして、3つ目のアーカイブ。 <101>〜<200> <201>『菊豆』 1990年 中国、日本 チャン・イーモウ、ヤン・フォンリャン <202>リー・パオティ

    • 8年半

       大学を卒業して、最初に就職した会社で従事した仕事をひと言でまとめるならば、フィールドエンジニアか。実に多くの貴重な経験をさせてもらい、その経験値から自信を身につけることができた期間だった。その期間は8年半。  同じIT業界内で転職した会社は、機器メーカーの代理店であり、SIerであるということで、レイヤーの違う仕事となった。そこではフィールドエンジニアの経験値をふんだんに活かし、さらに広く深い範囲の経験ができ、また、中間管理職という立場でマネージメント業務も進めることで、

      • Six Degrees of Kevin Bacon Game的投稿(101-200)

        Six Degrees of Kevin Bacon Game的なつなぎ方で、映画作品と俳優について、1作品ずつ、あるいは1人ずつ、Facebookで投稿しています。 本来のゲームのようにある俳優から始めてケヴィン・ベーコンにつなげるわけではなく、とにかく延々とつなげていきます。 初めて映画館で見た洋画からスタートして、2つ目のアーカイブ。 <1>〜<100> <101>『赤い天使』 1966年 日本 増村保造 <102>芦田伸介 Shinsuke Ashida(191

        • Six Degrees of Kevin Bacon Game的投稿(1-100)

          Six Degrees of Kevin Bacon Game的なつなぎ方で、映画作品と俳優について、1作品ずつ、あるいは1人ずつ、Facebookで投稿しています。 本来のゲームのようにある俳優から始めてケヴィン・ベーコンにつなげるわけではなく、とにかく延々とつなげていきます。 初めて映画館で見た洋画からスタートして、数も増えてきたのでアーカイブしておこうと思います。 <1>『E.T.』 1982年 アメリカ スティーヴン・スピルバーグ <2>ドリュー・バリモア Dre

        Six Degrees of Kevin Bacon Game的投稿(201-300)

          上映者・製作者・俳優マネージャー

          脱サラしてからの映画への関わり方として、まず「上映者」となった。 それをしばらく続けていくうちに、応援したい監督たち、俳優たちが現れた。 監督は、その作品を上映することで応援できることがわかり、何度も実践した。 では、俳優の応援はどうしたらいいのか考えた。 映画の「製作者」になり、キャスティングすることがひとつの方法だと思った。 もっと応援する方法はないのか考えた。 それは、その俳優の「マネージャー」になることだと気がついた。 マネージャーになり、 どうしたら、

          上映者・製作者・俳優マネージャー

          好きな映画の要素

           若尾文子さんのこと。「キノ×コン!」のこと。父親のこと。映画祭のこと。映画館のこと。映写のこと。映画製作のこと。オフィス桐生のこと…… 何を書こうか迷っていたら、いつの間にか4ヶ月以上経ってしまった。  上記については、書きたいことが山ほどあり、すぐにまとまらない気がするので、今回は、好きな映画の要素についてストレートに書いてみたいと思う。以前ブログやSNSで書いた文章を部分的に引用しながらまとめてみる。  私が好きな映画には、以下の要素が入っていることが多い。これは、こ

          Cinema Mediatorという肩書

           5月から始めたnote。最初に書いたのは、子どもの頃から映画が好きだった私が、17年間サラリーマンを経験した後、どのように映画の世界に入っていったかという内容だった。 「脱サラして映画に関わるということ」 https://note.mu/kentarokanbara/n/n68dfe985a6ae  今回は、現在、ある意味ゆるく使っている肩書「Cinema Mediator(シネマ・メディエーター)」について、以前書いてきた文章を引用しながらまとめてみた。  私が脱サ

          Cinema Mediatorという肩書

          脱サラして映画に関わるということ

           ようやくnoteのアカウントを作った。  最初の投稿では、私が脱サラして映画に関わるようになった経緯を書いておこうと思う。以前、「ことばの映画館 第1館」で執筆した「父と私の間にあるもの」の一部を引用して、新たにまとめてみた。  私は、父の影響で映画を観ることが好きになった。父との映画の話と言えば、洋画についてだった。幼少期、『スター・ウォーズ』、『E.T.』、ジャッキー・チェン作品などを一緒に観て、十代後半の頃には、チャップリン、ヒッチコック、フェリーニをはじめ、名匠の

          脱サラして映画に関わるということ