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音楽の準備

私はいろんなことができないでいるが、音楽もまた「できないでいる」ことのひとつである。

できないこと自体はそれこそ無限にあって、そうであってみれば音楽についてことさら取り上げることによって、では他の何かならできるのか?ということになってしまいそうなのだが、もちろんそんなことはなくて、ここでは特に音楽について書いてみているだけである。

では、音楽について話題にするということは、いささかの曇りもない偶然なのかというと、もちろんそういうことでもない。「できないでいる」という思案に入る対象もまた、自分自身の視野に画されているのだから。その中で、たまたま「できないでいる」と思い至ったまでではある。

もってまわったいいかたをすることで、音楽について「できないでいる」ことがあたかもさして問題のない、たまたま目についたぐらいのことのように書いてしまっているのだが、もちろんそんなことはなくて、音楽ができないことは自分にとって大きな問題であり続けてきた。

音楽ができる現在、という可能性がまったくないわけではなかった。小学校に上がる前からピアノ教室に通っていたし、ほとんど何ができるようになるわけでもないままに数年で止したあとも、アコースティックギターを爪弾いてみたりはしていた。

小学生の頃の音楽知識のほとんどは、山本コータロー『ぼくの音楽人間カタログ』を精読した内容でできていた。フォーククルセイダーズからYMOまで、聴くことの叶わないミュージシャンの音楽を書籍の内容から想像して楽しんだものである。

そもそも私がそのようなささやかな楽しみを楽しんでいたのは、元はといえば親が音楽好きだったからである。時折、父親がギターを弾き、母親が歌っているのを聴いていた。家にはギターもフルートも、二世帯住宅の祖父母の家にはYAMAHAのアップライトピアノもあった。

それでも結局、音楽についてなにもできないままできてしまったのである。

自分でお金を得られるようになってから、電子ピアノを買ったりエレキギターを買ってみたりもした。それらはほとんど演奏されることもなく、処分されていった。ネガティブなことばかりではない。他にもっとやりたいことがあったのである(プログラミングとか)。

坂口恭平さんが、Xのスペースで歌を歌っているのを聴く機会があった。即興でどんどん歌っていく。その後、彼はイスタンブールを旅しながら、そこでも現地の楽器を入手した直後から弾きこなして、歌っていた。とても楽しそうである。そんな風にやってみたい。

そんな時になにげなくYouTubeを観ていたら、王OKさんという方の動画がレコメンドされてきた。まさに「エンジェリック」という形容がふさわしい声と、軽快なギタープレイ。こういうのをやりたい!と憧れる。他の動画もあれこれ観てみたが、いずれも素晴らしい。

Fly me to the moonなら、よく知っている曲である。試みにiPhoneのボイスレコーダーに吹き込んでみた。歌が下手なのはともかくとして、それ以前に、声がよれよれでリズムもぐだぐだ。こんなにも声が出ないものかと、愕然とする。

ポッドキャストをやっていて(「栗林健太郎の音声」)、自分の話し方の思うようにいかなさを感じることが多いのだが、歌となるともっとずっとである。内容はともかくとして、声のレベルでふにゃふにゃしている。体がガチガチに凝り固まっているからだろう。

ここ数年、ストレッチをしている。その結果として、運動をしていた高校生の頃よりも、ある種の柔軟性を得られた部分もある。しかし、雨が降れば首や肩はガチガチに張って、頭痛がしてくる。年々酷くなっていくばかりである。ストレッチをしていてもそんな感じ。

思考だって凝り固まってしまっているのだろう。紙の手帳に思考を書きつけることで何とかほぐすことを試みているところだが、それだってどれほどの効果があることか。やらないよりはマシであるにしても、気圧が下がれば頭痛が現れるように、思考だって張っている。

そんなわけで、ストレッチをするように音楽をやってみようと思う。声を、ふにゃふにゃでなく出せるようになること。しかし、自分に対して凝り固まった水準を押し付けないこと。体を動かすこと、可動域が少しずつ広がることそれ自体を、ただ楽しむこと。

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