スリップウェアの化石: 山田洋次氏のうつわ
スリップウェアと呼ばれるたぐいのうつわがある。
もし言葉そのものにはおぼえがなかったとしても、黒みがかった下地にクリーム色の線で装飾的な紋様が描かれている厚ぼったい食器といえば、「ああ、あれね」ということがあるかもしれない。民藝運動の中心人物のひとりである濱田庄司により、イギリスのスリップウェアは日本に持ち込まれた。以来、日本でも当地の技法を用いて制作する作家により、日本式のスリップウェアが綿々と作られている。
そうした作家のひとりに、山田洋次さんがいる。山田洋次さんのうつわは、スリップウェアはもちろん、その他の技法を用いたものも含めて自分の好みにしっくりくるものが多い。そのため、うちにある中では、比較的多めのうつわを持っている作家さんである。
そんな山田洋次さんが、いつ頃からか変わった作風のうつわを作るようになったのを目にし始めた。ご本人のInstagramだったか、「うつわノート」さんによる案内だっただろうか。化粧土と釉薬とによるあたたかみのある存在感が特徴的なスリップウェアとは一見して異なる、抽象的な書のような文様の描かれた焼締のうつわ。衝撃を覚えた。
一度見てみたいと思いつつ持ち前の不精によってなかなか機会を得られないでいたのだが、ついに2019年の夏に「桃居」で行われた個展で、お目見得することが叶った。店内いっぱいの、焼締スリップウェア。大興奮してあれもこれもと選び出し、タクシーで帰らねばならないほどたくさんのうつわを買ったのだった。
訪ねた日には、山田洋次さんご本人もいらしていた。前述の通り以前からのファンであった僕は、あまりそういう時に作家と話したりはしないのだが(気恥ずかしいので)、お話をかけていただけたこともあり、あれこれと好きで買わせていただいているのだという話をした。最近の焼締のスリップウェアについても、スリップウェアの概念を純化させたような感じですごく好きだとも。
作家の表情がやや曇ったのを感じた。「これはスリップウェアだと思って作っている」のだという。言葉が足りなくて「スリップウェアを超えた、すなわちスリップウェアではない新しい何か」だと僕がいっていると思われてしまったのだろう。慌てて、そういうことがいいたいのではなく、スリップウェアとしての素晴らしさを感じているということをあらためて伝えると、表情が緩んだ。
その際に買い求めたもののひとつが、冒頭の写真に掲げたボウルである。ベースとなる化粧土(スリップ)も成形後の釉薬もなく、ごく抽象的な紋様だけがさらさらと描かれている。火山岩のようなざらざらしたテクスチャと、ぼってりとしたフォルム。底の部分は型整形しておいて、うつわの上部は手びねりの要領で仕上げたのだろうか。長い年月を経過して丸みの取れた素朴な石のかたまりのように、手に収まる。
作家は、これは確かにスリップウェアであるといった。スリップウェアと呼ばれているうつわがイギリスで作られ始めたのは17世紀のことである。しかし、スリップウェアを生み出した文化的精神そのものがもっと昔に存在して、化石という形で当時の制作物を残したとしたら?山田洋次さんの焼締スリップウェアによって、そんな想像に誘われてしまう。
自由でのびのびとした素朴な紋様。荒々しいテクスチャを持つ一方で、ぽっこりとしたフォルムがスリップウェア特有の化粧土と釉薬によるあたたかさをもたらしている。たとえば縄文時代にスリップウェアがあったとしたら、こんな感じのものだったりするのかもしれない。スリップウェアがそれである所以をぎゅっと凝縮してできた「スリップウェアの化石」のようなこのうつわは、過去・現在・未来を凝縮する汎時間を示す非生命である。