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ポストモダン回顧と現在 No.1

中心/周縁図式のモダンの体制の最後の時代(1970年代後半)に、日本は中心(欧米)に追い付き、彼らと肩を並べて中心になったことに大いに満足した。そして、折(1980年代)からのポストモダンの福音(もはや新しいものはないぞ!)に背中を押されて、自らを欧米(すでに旧中心となった)の勢力圏から切り離した。
旧中心は今や模倣の対象ではない、と誰もが思った。確かにそうだ。だが、10年も経たないうちに時代の歯車は回転し、90年代になるとグローバル化したポストモダンが姿を現したのである。いわゆる多文化主義の時代に突入したのだ。
この変化の本質を見過ごすと大変なことになる。世界を支配する文化構造が根本から変容したのだ。が、一見すると何も変化していない。中心/周縁に代わってグローバル/ローカルの図式が適用されたにすぎない。ところが、それらは同じ二元的構造だが、ポストモダンのグローバルは、モダンの中心(欧米)とは違って、世界つまりどのローカルにも遍在する。
このグローバル(・スタンダード)が世界中の隅々まで浸透したのが、20世紀末から21世紀にかけて。したがってどのような齟齬や軋轢も、ローカル(中央と対のリージョン(地方)ではない。もはや中心はないのだから)で起きる。
ローカルで、グローバルとローカルのコンフリクト(とそれを引き起こす闘い)が繰り広げられるのだ。だが、1980年代を境に交流を遮断した日本に、グローバル・スタンダードはない。先述のようにモダンの終わりに周縁の日本はいち早く中心に追い付き、中心から自らを切り離したからである。
ポストモダンに入ってもなお世界は、とどまることなくグローバル化(勿論、資本主義の原動力で)を推し進めた。結果、世界で日本のみが取り残され孤立した。中心と思い上がった日本は、自らが変わる労を取ろうとしないだろう。モダンの終わりで世界から自らを切断したので、未だに世界で先頭に立っていると思っている。だが、その内実は後生大事に守られる干からびた伝統か、時代遅れとなったモダンの装飾化、言い換えれば、モダニズムの形式主義つまりマニエリスムのモダンである。
このようにして日本は、ポストモダン以降現在まで、グローバル化を拒否(とくに人間と情報)する方向、つまり反動期に潜り込んでいる。国を挙げてと言うべきこの引きこもりの後遺症は、現在も継続している。情報の氾濫という謳い文句とは裏腹に情報は古いか、でなければ偏って少ない。グローバルな現代アートの状況から、人間、物質(作品)、情報のあらゆる面で完全に乖離してしまったのだ。
遍在するグローバル・スタンダードの世界で、周縁から中心になり小躍りして旧中心への従属を拒否し、内向きに伝統に回帰した日本と、その後ポストモダンの本格化によってグローバル化された日本以外の世界の間のギャップは、世界の国際展に日本人アーティストやキュレーターがほとんど参加・招待されていないことで、はっきりと証示される。切り離された時間の長さを考慮すると、アートをめぐるコンテクストが、世界と日本であまりに違うのだ。
この事態に日本のアート界は気づかないか無関心で、そうであればあるほどグローバルとの絶望的な懸隔は拡大していくだろう。
今が、距離を縮める最後のチャンスだと思う。
そのためにできることは、グローバルなアートフェアと国際展を組織することである。
見出しの写真は、グローバルなアートフェアの代表、スイスのバーゼルで行われているArt Basel。下の写真は、グローバルなビエンナーレの代表、イタリアのヴェネツィアで開催されているヴェネツィア・ビエンナーレのセントラル・パヴィリオン。

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