令和に"学歴"は必要か
おはようございます。
今日は、なんか早く起きれたので、いつも夜に更新しているnoteを朝に更新してみました。
早速ですが、今日のニュースはこれ。
親の経済力→学歴→格差社会
親の経済力と高学歴になれるかどうかが相関関係にあるって話ですね。
びっくりしたのですが、今の時代、塾のために塾に通うご家庭もあるそう。つまり、難易度の高い大学や高校の合格率が高い塾に入るためには、一定の学力が必要なため、その塾に入るために、ちょっとレベルの低い初歩的なことを教えてくれる塾に入るそう。
もちろん、僕の周りの家庭もそうだったが、学費をかければかけるほど、受けられる授業の質は上がるので、学費が合格率には影響するのはあると思う。さらに、学歴が高いと就職先も良いので、高所得な職業に就くことができる可能性が高いのも否めない。
ただ、それも一昔前の話。
そもそも、日本の近代教育は、福沢諭吉が、身分に関係なく有能な人材を育てるために始まったものである。つまり、学校は平等に学習機会を与えるために作られたのだ。
なのに、今の現代社会では、学習機会は身分によって変わり、格差をどんどん広げているのである。
このニュースの最後では、この広がる格差に対して「身分が上の人は、身分の下に人の気持ちになることの大切さを知るべきだ」と締めくくられているが、そんなことが解決の1歩になるのだろうか。
そもそも、学歴が今必要なのか。学歴は、「有能な人を見つけるための基準」なだけで、「高学歴=有能」という関係を多くの人が信じていた時代だけ学歴は必要とされていたのだと思う。
今はどうか。学歴がいいからと言って、仕事ができるわけでもない。逆に、学歴がなくても、資産を作っている人はごまんといる。これは、インターネットの発達で、知識や経験を皆が平等に手に入れることができるようになったからである。
では、この今の時代、何が「有能か有能じゃないか」を決めるか。
個人的には、熱意や夢だと思う。
結局、パッションがあれば、情報を自分で積極的に取りに行くので、一人が持っている情報量が半端なく多くなる。成功の角度は、情報量で決まると思っているので、この情報量が多ければ多いほど、いわゆる「成功者」になるんじゃないかなと思う。
今回のテーマでいえば、「学歴」が重要視されている時代は現実では終わっており、まだ虚空の中で信じている人がいるだけだと思う。
早くその事実に気づいて、行動した人が勝つ。
それだけ。
以上!ばいばい!