ハラにぺ 第9回

前書き

2018年に腎臓がんが発覚し、全開腹手術で左腎臓ユニット全摘出。その時の事が誰かの為に役に立てば…と思いコレを書いています。実際に当時も誰かの経験談をネットで読んで情報を得ていて、それには大いに助けられたので…。
前回までは、入院直後につけていたメモを元に書いていましたが、それはやはり時期尚早だったようで、書いてるウチになんだか辛くなってきて途中でやめてしまいました。なので、当時のメモが元になってるのは前回まで。今回からは記憶を辿って書いていきます。記憶が曖昧になってきている点がありますが、その辺はご容赦を。では本題へ。


入院生活

入院スケジュール

2018年4月17日午後4時頃から入院。翌18日午前8時頃に手術開始。その後3日間は集中治療室、容態を見て一般病棟へ移動。24日の午後に退院という流れで、合計8日間の入院。

まず、入院前。

9日に始めて病院に行って様子を見てもらって以降、実は痛みは再発していませんでした。なので念の為普通の痛み止めと緊急用の痛み止めはもらってはいたのだけれど、一度も飲まずに過ごせました。「何かがその場所にある」というのは感じていたけれど、痛みとは違う感じ。そんな感じで穏やかに過ごせていました。

痛みが無いので、退院直後に必要になりそうなものを作って用意しておきました。当時は引っ越し直後でベッドが寸足らずだったので、その辺をカバーする台から始まって…「退院直後はコントラバスは弾いても良いけど、持ったらダメ!」という事なので、当時作りかけだったエレクトリックコントラバスを急遽演奏できる状態に仕上げ、スタンドで自立式にして、座れば即弾ける様にしておいたり…。
とりあえず退院後の一ヶ月自宅で安静にしている期間を快適に過ごせるような段取りを進めて行きました。

先生や看護婦さんに「退院後1ヶ月間は重いものを持ったらダメ」とは何度も言われたモノの、「重い」って割と主観的なので、どういう基準で判断すれば良いのかな…?と、言うことで、質問した所「飲料水の水1リットルが6本のパッケージがスーパーに売ってるでしょ?あれは既に重いです」との返答。要は少しでも力む様な事はダメという事らしいです。

「生きて行きたい」という気持ち

突然発覚した病気による生への不安や、臓器の摘出やその為に体に大きく傷跡が残る事が確定している事に対して、なんというか喪失感のようなもの…がなかったと言ったら嘘になる…というか、大いにありました。

ただ自身としても興味深かったのは、自分自身の内側から湧き上がってくる「生きるんだ!」という気持ちです。それが無くなった時に人間は死ぬのかも知れないなぁ…とか、思いながら、そして自分自身に「生きるんだ!」と言い聞かせながら入院の日まで毎日散歩をしていたのを覚えています。

ステージ2なので、そこまで思うのは大げさなのかもな…とも同時に思っている自分がいましたけれど、自分の内面のどこかが不安定になっているが故にそういう揺り戻しが来ている的な…そういう精神的な動きが興味深かったです。

そして入院当日

16時位に病院にチェックイン。その晩に宿泊する病室に通され係の人から軽く説明を受けました。翌朝8時から手術開始、係の人が7時半に迎えに来るとの事でした。

その前後、色々な係の人が訪れ、腹部の毛を剃られ、採血をされ…という感じで過ぎていきました。

この部屋に宿泊する患者は私のみだったので一人部屋状態で、落ち着いて過ごせはしたものの、18時に晩ご飯…の様な生活は全く普段のモノとはかけ離れているため、夜がなかなか長かった記憶があります。
とりあえず、用意してきたビデオをスマホで見て適当に時間を過ごし、処方してもらった薬を飲み、緊張で眠れないという事も無く翌朝を迎えました。

コントラバスの音楽…それを開拓し、更に遠くを目指す為の音楽的な旅をしています。その為に重要なのは皆様からのご支援です。それを通して一緒に旅に出かけませんか? 宜しくお願い致します。