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お母さん、ありがとう。

今日は24回目の母の命日。

随分と遠い昔のことになった。
あれから、どんな出来事があったのだろう。

大学を卒業し、
就職して、
交際が始まり(のちの奥様)、
父と喧嘩をして、
一人暮らしを始め、
左前十字靭帯を断裂し、
父と和解し、
同棲を始めて、
結婚して、
転職して、
家を買い春日部に引っ越し、
息子が生まれ、
娘が生まれ、
転職をし、
父が亡くなり、
義父が亡くなり、
娘が生まれ、
左脛骨高原骨折をし、
パワハラを受け、
転職をし、
読書と出会い、
角幡唯介さんと出会い、
素晴らしい仕事の仲間に恵まれ、
毎日家族が健康で生活でき、

今に至る。

喉元過ぎれば熱さも忘れる。記憶に残っていないことは、たいした苦難でもなかったのだろう。大きな怪我や大切な人の逝去は確かに心のダメージが大きいけれど、それは時間が経てば(文字通りに)癒されるし、心の鍛錬となるばかりか、「人の痛みを理解できる能力(みたいなもの)」を手にいれることができた。

毎年思う。親が我が子にできる最後で最大の教育は「自分の死で何かを伝えること」ではないか。その死を、子がどのように解釈するかで、親の教育の成否が決まると言っても過言ではない。

そう言った意味では、母と父の早過ぎた死は、間違いなく自分の中にポジティヴな事実として脈打っている。だから、お父さん、お母さん、安心してください。自分を産み育ててくれて、お母さんありがとう。また来年。

読書好きが高じて書くことも好きになりました。Instagramのアカウントは、kentaro7826 です。引き続きよろしくお願い申し上げます。