美術を学ぶことの意義を考えてみました

 僕は美術が大好きです。生来の不器用で自ら制作を行うことはありませんが,様々な作品に触れることは僕にとって大きな喜びです。そして本を読んだり研究者やアーティストのお話を伺ったりして理解が深まるたびに,ますます美術が好きになっていくのを感じます♪(๑ᴖ◡ᴖ๑)♪

 そんな中,Twitterで「美術大学はお遊び用の大学」という発言を目にする機会がありました。「お遊び」というのはまた随分と無礼な発言だな・・・と思っていたところ,あぬめぬ様という方の書かれた文章に出会うことが出来ました。今回の投稿にリンクさせて頂いたものです。
 あぬめぬ様は仰います。美術大学で学んだことによって「言葉にできない部分での共通認識」「あったか~い温水プールに浸かっている感覚」を感じていると。そしてそれがどういうものなのかについて解説することに代えて,その感覚を感じることの出来なかった高校時代における「人の制作物に対して敬意を払わない問題」を提示しておられます。つまり「共通認識」というものを言い代えると「他者もまた一生懸命に活動している。その活動と,活動の成果品である制作物は尊重すべきものだ」という感覚ということでしょうか。相互にそうした感覚を持ち合うことを「あったか~い」というのは,なるほど得心の行くことですね(⋈・◡・) そうした感覚を持つに至る前提としてあぬめぬ様は「鉛筆の粉や木炭、粘土にまみれて実技対策してたのよ。だから結構プライド持って美大生やってる人が多いと思うのよ。お遊びぐらいの覚悟じゃ辿り着けない場所なのよ。好きなことやるために四苦八苦して入ってる」という美大合格の全体となる苦しい鍛錬の日々を紹介します。「美術大学への入学準備とそこでの学びによって他者の行為への敬意を抱けるようになる」という経験者の言葉は重く,美術の習得がそのように人格の陶冶に資するものであれば教育の一環としての価値は当然認められるべきでしょう。

 あぬめぬ様のご指摘に大いに賛同しつつ,僕は今回,また別の視野から美術を学ぶことの価値についても論じてみたいと思います。
 そもそも美術がそれに携わる者の営為によって進歩発展していくことは当然ですが,では美術の進歩発展にはどのような意義があるのか。この点についてデジタルアートで有名な「チームラボ株式会社」の代表取締役である猪子寿之氏が解説しています(※)。猪子氏は,かつて雨を肉眼で見ることが出来なかったヨーロッパの人々が歌川広重の「大はしあたけの夕立」といった浮世絵に触れることで「降る雨を線で捉える」という形で視覚化できるようになったという例を挙げ「四次元情報を二次元化する」「アートは人類の世界の見え方を変えてきた」と指摘しています。僕の言葉で言い直せば「見え方を変えることで,世界をより的確に捉えられるようになる」ということでしょうか。そうした事柄に資するのであれば美術を是非とも進歩発展させる必要があり,そのためには大勢の才能ある若者が美術に取り組むことが非常に有益であると言えるでしょう。

※文中で紹介した猪子寿之氏のご意見は,こちらを引用いたしました。
堀江貴文氏との対談,非常に面白く示唆に富んだものですので,皆様にも是非ご一読頂ければと存じます。
https://weblog.horiemon.com/100blog/44142/

 これだけでも美術を学ぶことの意義は十分に明らかですが,僕はさらに全く別の視点からも美術学習の有益性を指摘できると思います。美術学習に際しては多くの場合座学よりも創作活動に重きが置かれ,必然的に多くの美術品が創作されることになります。自らが精魂を込めて制作した手元の作品を世に問おうと考える学生諸君は多く,学生による個展やグループ展,場合によっては販売まで行う展覧会がしばしば開催されています。そうした展覧会を実行するには企画・会場との折衝・フライヤーの制作等が不可欠ですが,そこで求められ養われるのは社会人にとっても不可欠な企画力・交渉力・事務処理能力に他なりません。単に展示するだけでなく販売まで行う場合には,顧客の嗜好やニーズの検討まで行う必要が出てきますね。通常の学生生活でそうした事柄を実体験するのはなかなか困難ですが,美術を学ぶことによって学生諸君は社会人としてのスキルを習得出来るというのは特筆すべき点でしょう。俗に体育会の学生は社会で即戦力になれると言われ,それは部活動の中で上下関係や時間厳守というルールを身に付けることが可能だからですが,美術を学ぶことによっても,体育会活動また別の点において社会において必要な能力を養えるのは間違い無いでしょう。

 美術を学ぶことによって学生は人格を陶冶し,新しい物の見方を獲得出来るのみならず,社会人として必要なスキルをも養うことが出来るのであれば,ここまで有益なものをどうして単なるお遊びなどと言えるでしょうか。

 今回はあぬめぬ様の論考を拝読し,僕なりの拙い考えを文章の形にする機会を得ることが出来ました。あぬめぬ様に心から感謝するとともに,有益な文章に触れることの恩恵を改めて感じる次第です。



「美大はお遊び用大学」に反射で怒ったり嘆いたりするだけじゃなくて
https://note.com/zunkochan/n/n0020530a8691?nt=comment_to_2034236

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