見出し画像

神さまと生きるために知ってほしいこと 12章 福音を伝える

―復習しましょう―
いよいよ最後の章です。
これまでの学びで、最も印象に残っているのはどんな事ですか?
自分の言葉で説明してみて下さい。



「ですから、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。父、子、聖霊の名において彼らにバプテスマを授け、わたしがあなたがたに命じておいた、すべてのことを守るように教えなさい。(マタイ 28:19-20a)」

福音を伝えることは、私たちの大きな務めです。
最後の章は、どのように福音を伝えるかということについて学びましょう。

―考えてみましょうー
1. 福音とは何ですか? なるべく具体的に、しかしシンプルに説明してください。

2. 人が福音を受け入れた方が良い理由は何ですか?
どうしてキリストを、救い主として信じるべきなのだと思いますか?

3. あなたはなぜ信じたのですか? そして、どのようにして信じたのですか?

4. 信じた結果、どのような変化がありましたか?

5. あなたが信じた時と同じような経緯で信じる人が、他にもいると思いますか?
いるとしたら、そのような人たちはどこにいて、どのようにして出会うことができるでしょうか?

6. あなたなら、どのようなきっかけで福音について聞かされたら、受け入れやすいと思いますか?

1. 何を伝えればいいか

多くのクリスチャンは、福音を「天国に行くための手段」として伝える傾向があります。
確かに、死後についての答えを与えることは宗教の命題であり、死への恐怖は誰もが持つ悩みですから、それに答えることも福音を伝えるために有効な手段でしょう。

しかし、「天国に行く」ということだけが福音を信じる目的になると問題があります。
それなら死ぬ間際に信じればいいという話になってしまいますし、たとえ信仰を持ったとしても、彼らは天国に行くためのチケットを手に入れたら、それで満足してしまうからです。

半数のクリスチャンが洗礼を受けてから3年後には教会から離れてしまうという統計があります。天国に行くためのチケットを手に入れることだけが目的なら、それは当然の結果でしょう。
しかし、死んだ後に天国に行けるかどうかは、福音の最大の目的ではありません。

福音とは、神さまとの愛の関係の回復であり、それに伴う「神さまに創造されたままの自分」の回復です。

私たちが福音を伝える時、「信じれば天国に行ける」ということが最大の目的ではなく、神さまとの関係の回復によって人生が変わっていくことに焦点を当てるようにしましょう。
神さまとの関係が回復するとき、そこには生きる意味と目的が与えられ、愛し愛されることの喜びが生まれ、人生はもっと楽しくなっていくのです。
そしてその喜びは死によって途絶えるのではなく、永遠に続くものだということに、福音の醍醐味があります。

2. 誰に伝えるべきか

私たちは、すべての人に福音を伝える必要があります。
まずは家族や友人に伝えたいというのが心情だと思いますが、それだけで十分ではありません。
実は、家族や親しい友人への伝道の方が難しいですから、そこだけに力を注いでしまうと、あなたの周りでは長い間誰も救われていないという状態が続いてしまいます。

「私が今、誰に伝えるべきか」ということも、神さまに尋ねてみましょう。

福音を伝える時に、もっとも効果的に伝えることができる相手は、信仰を持つ前のあなたと同じような性格や、同じような悩み、同じような人生経験を持っている人です。
あなたがどうやって信仰を持ったかということを考えると、その人たちがどうすれば信じられるのか、簡単にわかります。
あなたと似ている人は、あなたにとって友人にもなりやすい人でもあると思いますから、アプローチも難しくありません。
どうすればそのような人たちと出会えるか、また皆さんの周りにそのような人がすでにいないか、改めて考えてみることは有益です。

3. どうやって伝えればいいか

私たちが福音を伝えるべき相手が、いつも自分と似たタイプの人とは限りません。
神さまが「その人に福音を伝えなさい」と命じるなら、それが誰であっても伝える必要があります。
そんな時、どのように福音を伝えればいいのでしょうか?

まずは、その人のために祈ることです。
以下のことを祈りましょう。

1. 神さまが、その人に福音を伝える機会を開いてくださるように。
2. 神さまが、その人の心を開いてくださるように。
3. 神さまが、福音を伝える私たちの口を開いてくださるように。

伝える前に、以下のことを考えてみると良いでしょう。

1. その人が人生で何を求めているのかを考えてみる。
2. 表面的なニーズだけではなく、その人が本当に必要としているニーズが何なのかを考える。
3. 相手が抱えているニーズに、聖書はどのような答えを与えているか考える。

そして、伝える時には次のことに気を付けながら伝えましょう。

1. 相手に、「“なぜ”自分には福音が必要なのか」を感じられるように伝える。
2. 福音そのものよりも、福音によって起こる変化を中心に伝える。
3. その後で、信仰に踏み出すための障害となる誤解を解いたり、疑問に答えていく。

4. 誰が伝えるか

多くの人たちにとって福音を受け入れるかどうかの決め手となるのは、何をどうやって伝えられたかと言うこと以上に、『誰が伝えるか』という所にあります。

「人間見た目じゃない」とは言え、受け取り方は、外側からのイメージに大きく左右されます。
私たちも、見るからに怪しく、いやらしい感じの人からどんなに素晴らしい話をされても、下心があるようにしか聞こえないのではないでしょうか?

私たちが福音を効果的に伝えたいと思うなら、私たち自身が、まず福音によって変えられている必要があります。
でもそれは、完璧で罪を犯さないような聖人として福音を伝えるということではありません。
そんな完璧な人に福音を伝えられたら、今度は完璧な人間にしかクリスチャンにはなれないと思われてしまいます。

大切なのは、

1. 嘘のない誠実な態度であること。
2. 神さまに信頼することによって生まれる平安と、ポジティブさ、明るさを持っていること。
3. そして何よりも、愛があることです。

これは全て、福音によって変えられていった私たちの姿です。
福音によって変えられた私たちは、他の人たちの目からは魅力的に映ります。
人々の心はそれによって動かされ、自分もそうなりたいと感じます。
私たちの生き方そのものが伝道になるのです。

では、福音によって変えられるまで、福音を伝えるのは待つべきでしょうか?
答えはNOです。
人格が練られるまで福音を伝えるのを待っていたら、いつまで経っても福音を伝えることなんてできません。
神さまが「福音を伝えなさい」と言うから、とにかく伝えてみる。
それで充分です。
実は、その経験を通して、私たちの人格は変えられていくのです。
神さまに従うことによって、私たちの信仰は深まり、成長していくからです。

神さまが「福音を伝えなさい」と命じているのに、私たちが「今の私にはムリです」と言ってそれに従わないなら、福音が伝わらないだけでなく、私たちの神さまとの関係が深まることもないのです。

5. みことばの種を蒔き続ける

福音を伝えるために、私たちは最善を尽くすべきではありますが、すべての人がそれを受け入れて信仰を持つわけではありません。
その人が信じるかどうかは、本人が神様の呼びかけに応答するかどうかによるからです。

伝道は、ほとんどの場合うまくいきません。
相手が受け入れてくれなかったとしても、がっかりしないでください。
全てはその人の自由意志による選択だし、今はその時ではないだけなのかもしれません。
その人のために祈り続け、機会があれば福音を伝え続けましょう。

イエスさまは全ての種が実るわけではない事を教えています。

「イエスは彼らに、多くのことをたとえで語られた。『見よ。種を蒔く人が種蒔きに出かけた。 蒔いていると、種がいくつか道端に落ちた。すると鳥が来て食べてしまった。また、別の種は土の薄い岩地に落ちた。土が深くなかったので、すぐに芽を出した。しかし、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった。また、別の種は茨の間に落ちたが、茨が伸びてふさいでしまった。また、別の種は良い地に落ちて実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍になった。』(マタイ 13:3-8)」

イエスさまが伝えても信じなかった人たちがいるのですから、私たちが伝えてうまくいかないのは当然です。

そしてパウロは、弟子であるテモテにこのようにアドバイスしています。

「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。忍耐の限りを尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。(2テモテ 4:2)」

<このマガジンの締めくくりとして>

イエス様はこのように言っています。

「あなたがたは地の塩です。もし塩が塩気をなくしたら、何によって塩気をつけるのでしょうか。もう何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけです。あなたがたは世の光です。山の上にある町は隠れることができません。(マタイ 5:13-14)」

私たちがイエス様を救い主として受け入れて、ともに生きる人生を歩み始めるなら、私たちは地の塩となって世界に塩気を付け、世の光となって世界を照らします。

神の国の影響力が、私たちを通して世界に広がっていくのです。

これは、教会の中に神の国があって、そこに人を連れてくるという伝統的な教会のイメージとは全然違うように思います。

画像1

既存の教会の一番大きな問題は、影響力が教会の中にとどまってしまっていることです。
教会の中に地の塩を閉じ込めたり、教会が世の光を隠す場所となっているのです。
教会という見えやすい器の中で人が増えていったり、器が大きくなると成長しているように感じますが、実際にはほとんどのイベントが教会の内側だけのことで、外からは何をしているのかすらわかりません。

教会に人を集めて教会を大きくするイメージから、教会から出て、神の国の影響力を広げていくというイメージにシフトを変えていく必要があると思います。

たとえ「教会」という器がなくても、ひとりひとりが社会の中で影響力を発揮していくなら、そこに神の国は力を持ち、広がっていくことができます。
そして、小さなグループ同士やひとりひとりのクリスチャンが、他のクリスチャンとネットワークで繋がっていけばいいのです。

キリストのからだとして機能するためには、他のクリスチャンとのつながりは不可欠ですが、毎週同じ時間に同じ場所で集まるような強固なコミュニティを作っていく必要は、それほどないように思います。

特に、場所に限定されず人とのつながりを持つことが可能になった現代の社会では、必ずしも集まる必要はないかもしれません。
もちろん、たくさん集まらなければできないこともありますから、そういう教会もあっていいと思いますが、すべての教会がそれを目指す必要はありません。
むしろ、たくさんの種類の教会が協力し合いながら互いの不足を補っていく方が、有益だし効率的だと思います。
大切なのは、集まりの大きさではなく、キリストのからだが世界に与える影響力なのです。

画像2

私たちが社会で影響力を持ち、世界に広がっていくために必要なのは、神さまとの活きた関係です。
戒律を守り、まじめに暮らすというタイプの宗教によっては、このようなことは起こりません。
だから、福音をひとりでも多くの人たちに(ノンクリスチャンはもちろん、クリスチャンにも)届けていく必要があると私は信じています。

このマガジンは、「宗教としてのキリスト教ではなく、イエスさまが本当に伝えたかったはずの福音を、ひとりでも多くの皆さんが理解し、福音に生きることができるように」という思いで作りました。
少しでも皆さんのお役に立てていれば幸いです。

最後に、この言葉を皆さんのための祈りとします。

こういうわけで、私はひざをかがめて、天上と地上で家族と呼ばれるすべてのものの名の元である父の前に祈ります。
どうか父が、その栄光の豊かさに従い、御霊により、力をもって、あなたがたの内なる人を強くしてくださいますように。
こうしてキリストが、あなたがたの信仰によって、あなたがたの心のうちに住んでいてくださいますように。
また、愛に根ざし、愛に基礎を置いているあなたがたが、すべての聖徒とともに、その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように。
こうして、神ご自身の満ち満ちたさまにまで、あなたがたが満たされますように。
どうか、私たちのうちに働く力によって、私たちの願うところ、思うところのすべてを越えて豊かに施すことのできる方に、教会により、またキリスト・イエスにより、栄光が、世々にわたって、とこしえまでありますように。アーメン。(エペソ3:14~21)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?