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『33年後のなんとなくクリスタル』とカント

田中康夫の『33年後のなんとなくクリスタル』の後半で70年代後半~80年代中期の音楽を語っているところでマチュアド・ソサエティ(成熟した大人の社会)という言葉に出くわし、過去分詞の形容詞化はちょっと重いかな、と思っているとハッとカントの「啓蒙とは何か」がそれこそ記憶の円盤が急回転し頭にもたげる。(あとで注釈を見ると田中氏もmaturedとmatureの違いに言及していた。)

この小論文はカントが『伯林月報』という雑誌の題と同名の問いに答えた論考であり、フーコーがその後詳細に論じることになり有名になった。カントは啓蒙とは何か、という問いにズバリ未成年の状態から責任のある立場に抜け出ることと言っている。田中氏の動詞の過去分詞はこの子供の状態を抜け出し成熟するという動的側面を見事に捉えている。

カントによれば他人(オトナ)の指示なしに判断できない状態が子供であり、それは知能が劣るとか外圧があるからその状態にいるのではなく、知性を自ら行使する勇気がないからだ、と言い「賢くなれ!」と説教するが、これって田中氏がよく言う「あとは自分で考えなさい」ってことなのだ。

そして思うのはAORなんて「音楽の権威(誰だ?)」からは軟弱とか中身がないって言われていた音楽への愛を『33なんクリ』でそしてラジオの番組で語るのは自分で判断して大人として語っているのであろう。オイラなんてシェーンベルクが素晴らしいとええかっこしいしながら、カラオケで"コソーリ”、バリー・マニロー三連発(Mandy, I Write the Songs, Copacapana)、と行ってしまう子供なのだ。

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