怒らことに意味はない。
昨日は周りの多くの人が
怒っていました。
理由はJALの最終便の欠航です。
大阪から東京への最終便が欠航しました。
それに対して
どうしてくれるんだ‼️
って言っているのです。
結論から言うと
どうしようもありません。
だって
飛ぶと危ないって判断したから
整備のための欠航な訳で
落ちるかもしれないけど
飛びますって言われるより
もっとマシな判断だと思うのです。
代わりに新幹線に乗ってください。
もし明日の便に変更でよければ
ホテルはこちらで手配します。
すごく良心的な対応です。
でもどうしても帰りたいって怒っている人がいるわけです。
私は思うのです。
逆の立場でなんとかしろって言われたらどう対応するんだろう?
私もかつては怒っていました。そりゃ恐かったと思いますよ。
結構な気迫で生きてましたから…😅
またそれでうまくいっているように見えました。
社員も嫁も家族も…
言うことを聞いてくれましたし他の人も対応してくれていました。
ちなみに今は元嫁です。
それが間違いだと発覚するのです。
ある時期、仕事の方向転換のために会社の運営を一時的にストップしたのです。収入もほぼなしです。
多くの人が去っていきました。親しかったのは仕事というものがあったからで、決して人間的に仲が良かったわけではないと気がつきました。
そうやって考えると、彼らは私が怒った時に対応はしてくれましたが、それを喜んでやっていたわけではなく、嫌々対応していたに過ぎなかったということに気がつきました。
モノづくりにおいて、イヤイヤやるってのは致命傷なのです。
物は死んでいるのです。
喜んでやったものと、イヤイヤやったものには雲泥の差があります。
ではどうすれば喜んでやってくれるのだろう?
本気で考えました。
それはお願いするしかないのです。彼らも喜んでできる方法を一緒に考え提案するしかないのです。
たいへんですね。対応ありがとうございます。
ってのと
対応して当たり前だろ!
っていうのでは対応する側の人の気持ちには雲泥の差があります。もちろん、対応も違いますが、なにより本気でその人と同じ側に立っているのです。
実は大きな気づきの出来事がありました。私自身は怒ることはあっても怒られることはありませんでした。
いつも戦ってましたから、怒られようものなら、それこそ倍返しで起こり返して勝ち続けていました。
それが仕事を縮小して、怒らなくなった?いや、怒らなくなったのです。
そんな時に怒られる立場になったのです。
言い返そうにもお金も権力もないのです。多少の技術があっても、弱っている時ってのは気弱ですから…😅
怒られるってこんなに嫌な出来事なんだ。こんなにつらいんだってしりました。
それから極力怒らなくなりました。
どうやったら
問題を解決した上でベストな結果に結びつくんだろう?
そう思うと怒るってのはかなり良くない対応になります。
同じ目的であれば、お願いする方が絶対にいいのです。
ということで
ホテルで一泊して朝になりました。
そろそろ出発です。
長文ですいません。
読んでいただいてありがとうございます。
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