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#0400 天野さんが語る『生きる力』


このnoteに度々出てきている羽根木プレーパークで日本初の有償プレーリーダーを務められた天野さん。我が師匠がFacebookで「『生きる力』を育てる」ということに対しての考えを書いていた。

以下、お断りの上全文引用させてもらう

前回、学校教育に関する私見を書いたが、学校に限らず教育を語るときによく言われることに「生きる力を育てる」というフレーズがある。遊び場づくり関係の人の中にもこれを言う人は多い。でも、僕はこれも「???」なのだ。そんなことできたら、神の領域だ!
 いのちは、たったひとつの受精卵から始まる。それ以前は卵子と精子という、遺伝子を半分しか持たない半端者の細胞だ。それが受精し、ようやく一人前の遺伝子がそろい、そのたった1個が分裂に分裂を重ね、赤ん坊として誕生する。細胞は基は1個なのに、あるものは目となりあるものは皮膚となり、あるものは心臓となりあるものは髪となる。生まれる時の細胞の数は、20兆個ともいわれている。・・・20兆個って、どんな数だ? 標準的な細胞は100分の1ミリ、つまり100個並べると1ミリになるサイズらしいので、20兆個を並べると20万キロという長さになる。地球一周が4万キロなので、5周分だ! さらに100分の1ミリの細胞の中心にある核には、繋げると長さ1,8メートルにもなるDNAが折りたたまれて収納されている。あの小さな体に地球5周分の細胞が詰まっており、DNAにいたってはもう想像できる範囲にすらない。こうした事実だけでももはやはっきりしている。「生きる力」は、そもそも、もともと遺伝子に内包されているのだ。それを「育てる」とは、一体何事なのだろうか。
 「生きる力」は、中央教育審議会の答申(96年)にあった言葉だ。1994年ころからいじめによる子どもの自死が絶えず、95年にはその報道がない日がなかったのではないかと思うほどだった。日本初の子ども専用電話である「チャイルドライン」もこうした子どもの状況を背景に世田谷で始まり、僕もその立ち上げを担った。中教審のこの答申もこうした状況を受けたものだったが、その時から僕は危惧していた。これでもっと子どもの内面への干渉が強まらければいいのだが。けれど、この危惧は「こころのノート」(02年)につながり、今は道徳となっている。残念だとしか言いようがない。
 生きる力など、もともと遺伝子に組み込まれている。それが10代になるころに萎えているとしたら、そんなに短い間に一体誰が、何がそれを奪ってきたのか。僕はそう考える方が理にかなっていると思っている。いのちは、生まれたときから、いや生まれる前からその育ち方を知っている。子どもは、自分の育ち方を知っているのだ。だから必要なのは、それを選択し試行錯誤できる豊かな環境だ。その環境さえ作ったら、あとはその子の育ちにもっとゆだねたらいい。
 大人はこぞって「大人(私)にとって価値ある子」にしようとしてきた。それがその子の命を削ることにつながった。その子自身にとって価値があること、「遊ぶ」ことは、その体現に他ならない。「ここに来るようになって初めて生きてるって感じる」。何度この言葉を聞いたか。遊び場で息を吹き返していったたくさんの子どもたち。大人も例外ではない。自分の内にある、誰もが持っている「生きる力」。大切に大切にしてほしい。

天野さんのお話は何度も聞かせて頂いている。そして天野さんの話の中で自分にとってのビリビリポイント(刺さるとこ)はいつも違って、いつも新鮮で、いつも『そうだよなぁ、、、』と首もげる。

今回の天野さんの投げかけは、自分の中でちゃんと消化して、腹落ちするまで何回も何回も読み返し、考えた。
というのも、僕自身も保育を進める上で「生きる力を育む」というワードを使ってたから。

どこかのタイミングで、僕自身も“育つ”のは子どもたちやし、僕ら大人が“育む”なんてのはちょっとおこがましいんちゃうかと漠然と考え(天野さんみたいに自信もないし、言語化もできてないけど、漠然と、、、)、「生きる力を育む」ということは言わなくなっていた。


そんな折の冒頭の天野さんの投げかけ。

そして、ぐるぐるぐるぐると思考を巡らせて今の僕にとってはっきりしたことは二つ。

天野さんがいつも僕に突きつける二つの大事な問い。

①奇跡ともいえる子どもの誕生を前にした時に、『あなたは本当に子どもの内側にもう既に“ある”「生きる力」に気づいてますか』という問い。

②既に“ある”はずの「生きる力」が、子どもたちが人生を送っていく中のどこかでなくなってしまうのなら(萎んでしまうのなら)、その問題は『大人の側』、『そうさせてしまった『環境の側』にあるんじゃないかという問い。

天野さんにある『子ども観』は、常にこの二つの大きな問いを自分自身に、社会に、僕に向けてるんやなと改めて考えたのです。


だからこの二つの問いを常に自分に向けながら、自分にできることをやろうと改めて決意した記念すべき400回目のnote1,000日チャレンジやった。

天野さんの本、是非ご一読を。


それでは今日も遊びあふれる一日を✨

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