定形化するものと、ずっと形が定まらないもの。

 どうも!上杉健太です。
 埼玉県富士見市で総合型地域スポーツクラブの代表をやったり、スポーツ推進審議会委員をやったりしながら、生涯スポーツ社会の実現を目指して活動しています。自分でもクラブの活動をしながら、自らのQOLも上げまくっています。(※自分が幸せにならないと他人を幸せにすることなんてできるわけないじゃないか派)

 さて今日は、『定形化するもの、定形化しないもの』というテーマでお話したいと思います。


 最近は2万部のパンフレットのポスティングに必死になっているわけですが、そこでは実に様々な郵便受けに出会います。縦向きに入れるものもあれば、横向きに入れるものもあり、蓋があるものもあれば、口が空いているだけのものもあり、本当に様々です。中には、「どこから入れるんだ?」みたいな独特なものもあり、何回かはポスティングを諦めたこともあります(笑)

 さて、様々な郵便受けを見て思うことは、それだけ郵便受けというのは定形化されていない、ということです。郵便受けの役割は明確で、自分に充てられた郵便物を受け取ることですよね。それ以外にも、インテリア的な役割を期待している人もいると思いますが、90%は郵便物の受け取りが主な役割で間違いないです。であれば、もっと定形化してもいいと思いませんか?絶対的に使いやすい郵便受けって、ありそうな気がするんですよ。家のサイズやスペースによって多少のバリエーションはあり得るとは思いますが、こんなに種類はいらないだろうと思うんですね。でも実際には郵便受けにほとんど定番はなく、実に様々です。

 この理由はなんだろうと考えた時に、まずすぐに思い浮かんだのが、「郵便物の変化があるから」ですね、それこそ昔は、はがきサイズの郵便物が主で、せいぜいがA4三つ折りが入る程度の封筒とかだったかもしれません。であれば郵便受けは小さくて済むし、口も細くて幅も狭くていい。でも、段々と凝った郵便物が増えたり、束のある郵便物が増えたりしていき、昔の郵便受けでは対応できないものが増えてきた。それで郵便受けの会社も色々と形を変えた”新型”を開発してきたのでしょう。そこで郵便物の変化が止まれば、「大体今の郵便物の形や大きさだったらこの郵便受けがベストだよね」となっていくのだと思うのですが、まだまだ郵便物の変化が止まっていないのでしょう。だからメーカーもまだまだベストを目指して開発を続けている最中なのだと思います。その結果、色々な時代の郵便受けが混在しているという事態も含めて、色々な形の郵便受けが存在していて、定形化がされていない。そういうことなのかなと。

 逆に、世の中にあるもので定形化されているものは、使う人や目的、環境などの変化が起きていないか、起きても完全に対応できる形にまで行き着いているものと考えることができます。ハサミとか、えんぴつとか、箸とかは、もう定形化されていると考えて良さそうですよね。人の体の形がそれほど変わらない以上、あれらの道具の形も大きくは変わらないのでしょう。


 さて、当マガジンは総合型地域スポーツクラブ研究所ですから、スポーツの場合はどうだろうか?を考えていきたいと思います。スポーツは定形化しているでしょうか?

 答えはNOであり、YESのような気がします。現場による、みたいなことですね。
 主催者やコーチなどが学び続けていて、最新の情報をインプットしているスポーツ現場であれば、きっとスポーツは定形化せずに変化を続けていると思います。しかし中には、「未だにこんなやり方なのか・・・」という現場もあるとかないとか。とはいえ、さすがに「水は飲むな!」みたいな指導は絶滅したと思うので、そういう意味ではスポーツは定形化することなく変化を続けていると思います。

 そしてこの変化は、これからもし続けるものなのかなと僕は思います。
 では何がスポーツを変化させるのでしょう?プレーをする人間の体に大きな変化はありません。100年前の人間も今の人間も、ほとんど同じような体をしています。それでもスポーツのカタチ(やり方など)が変わるのは、価値観や社会環境などの変化によるところが大きいでしょう。例えば、肉体的な強さがものを言うような戦争の時代には、スポーツは肉体や精神を鍛えるものとしての役割を期待され、実際にそのような活用の仕方をされました。今の体育はその流れを確実に引いていると思います。(※整列したり、脱帽をしたり、声を揃えて挨拶や返事をするのは、たぶん軍隊教育からきている)
 ところが戦争の形も変わり、そもそも日本の場合は戦争自体がどこか遠くのものに思える時代に、スポーツには別の役割を期待するようになりました。教育と健康とエンタメですね。これが今の日本社会がスポーツに期待する最も大きなものだと思います。そうなれば、「練習中に水を飲まない」という必然性は完全に失われますし、笑顔を見せてはいけない理由もなくなりました。だからスポーツの在り方・やり方が変化したわけです。
 さらにここからの時代は、肉体的な強さの持つ価値がますます低下していくでしょうから、スポーツの価値はさらに変化するでしょう。だからこれからもスポーツは定形化しない。僕はそう思っています。昔の郵便受けが残っているように、スポーツも昔のやり方を残す人は一部に生き残るでしょうが、全体としてはやはり変化し続けるはずです。それは人間の考え方が変わり続けるからです。

 また、テクノロジーの変化にもスポーツは影響を受けるでしょう。HADOのように、思い切りテクノロジーを活用したスポーツは既に開発されていますし、これはこれからますます増えていくでしょう。スポーツの変化が止まるわけがないんです。

 となれば、それを扱う総合型地域スポーツクラブも定形化できるわけがないんです。僕たちは絶対に、変化し続けなければならない存在です。これはもう決定事項と言っていいでしょう。ポスティングをしながら、様々な郵便受けが混在する社会を見て、そんなことを思いました。


 ということで今日は、『定形化するもの、定形化しないもの』というテーマでお話しました。スポーツは定形化しない。だから、「スポーツとはこういうものだ!」なんて偉そうに決めつけない方がいい。それはいつか、巨大なブーメランとなって自分自身を襲うでしょう(笑)

今回もお読みいただきありがとうございました!
ではまた!

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総合型地域スポーツクラブや筆者の挑戦のリアルな実態を曝け出しています。自ら体を張って行ってきた挑戦のプロセスや結果です! 総合型地域スポーツクラブをはじめ、地域スポーツクラブの運営や指導をしているかた、これからクラブを設立しようとしているかた、特に、スポーツをより多くの人に楽しんでもらいたいと思っているかたにぜひお読みいただきたいです!

総合型地域スポーツクラブのマネジメントをしている著者が、東京から長野県喬木村(人口6000人)へ移住して悪戦苦闘した軌跡や、総合型地域スポ…

総合型地域スポーツのマネジメントを仕事としています。定期購読マガジンでは、総合型地域スポーツのマネジメントに関して突っ込んだ内容を毎日配信しています。ぜひご覧ください!https://note.com/kenta_manager/m/mf43d909efdb5