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クラブに別れはつきものだけど、別れは「終わり」ではないという話。

 総合型地域スポーツクラブ マネジャーの上杉健太です。長野県喬木村という人口6000人ほどの小さな村の『一般社団法人たかぎスポーツクラブ』でマネジャーとして働いています。ただ、そこは2020年12月いっぱいで退職し、2021年1月からは埼玉県富士見市という人口10万人ほどの街で総合型地域スポーツクラブの立ち上げに挑戦します
 たかぎスポーツクラブでの最終日は12月23日と決まり、その日まで35日となりました。いよいよ、6年半以上もの間必死に育ててきたクラブとのお別れが近づいてきました。そこで今日は、総合型地域スポーツクラブにおいて私が大切にしている『別れ方』をテーマにお話したいと思います。

 出会いと別れはクラブにつきものです。入会して来る人もいれば、退会していく人もいます。退会の理由は様々です。

・他のことをやりたくなったから
・何となく嫌になったから
・家庭や仕事の都合で通えなくなったから
・対象年齢から外れるから
など

「この退会は止められたのではないか」という場合もあれば、「この退会は前向きで“いい退会だ”」という場合もあります。一番悔しい状況は、上記の4番目の『対象年齢から外れるから』という退会です。この退会は、意思による退会ではなく、明らかにクラブの環境が整っていないことによる退会なんですね。言ってしまえば、クラブのマネジメント側の力不足によるところなんです。会員は続けたいと思っていても、続ける環境を作れていないということなので。
 例えばたかぎスポーツクラブの場合、スポーツ広場という不特定種目の活動や、学習クラブというコンテンツは小学生までが対象年齢となっています。中学生になっても来てる子はいるのですが、基本的には小学生で“卒業”となっています。この設計にしている理由は、ニーズが少ないことや、クラブ側の優先順位ということにはなるのですが、生涯スポーツの実現を理念とするたかぎスポーツクラブにおいては、あらゆる活動が卒業なく続けられるというのが理想だと思っています。なので、クラブマネジャーとしてはこの“卒業”による退会というのが一番悔しいんです。
(でも、何かと学校制度を基準にしてきた地域スポーツクラブでは、『卒業』や『引退』は美しいものとして大切にされてきていますよね。そこを否定する気はありませんが、私はそれを理想とはしていません)

 というわけで、現実的には別れは避けられない場合もあります。なるべく出会いが多く、別れが少なくなるようにマネジャーは努力をするわけですが、現実には別れはあります。
 そこで大切になってくるのが別れ方です。たかぎスポーツクラブでは、別れを演出するということをやりません。退会が決まっている会員については、最終日にその事を紹介して簡単にコメントすることはありますが、その程度。その時のコメントも、「またおいで」をメッセージにします。
 これ、何となく皆さんも経験があると思うんですけど、大々的に送り出されちゃった後って、その後会いにくくありません?笑 あの感じって要するに、「もう戻ってはいけない」という心理があるからだと思うんです。あのお別れ会も、あの贈り物も全て、『別れるから』『もう会えないから』という理由でしてもらったのだから、もう戻ってはいけないんだ。何となく心のどこかでそう思ってるんだと思うんですね。で、私はその心理は完全にいらないなと思うんですね。むしろ、「またいつでも戻れる」と思って欲しい。だから別れ方は、なるべくいつも通り、「じゃあまたね」くらいがいいと思っていますし、それを体現してきました。

 『気軽に種目を変える文化』は、総合型地域スポーツクラブが目指す姿の一つだと思っています。その点でも、『戻れる』ということはとても大切です。『一度やめたら戻れない』となれば、なかなかやめられないし、やめられないと分かれば、なかなか始められない。その状態はつまり、スポーツの敷居が高い状態ということです。スポーツをやるのに、いわゆる一つの”覚悟”みたいなものが必要になっちゃってる。
 これからのスポーツは『流動性』がキーワードになってくると思っています。流動性の指標は、『どれだけの種目をやってきたか』『同時にいくつの種目をやっていたか』によって測られる。そんなイメージです。例えば、「ずっと野球一筋です!」は流動性が低い。「小学校低学年は剣道で、それから中学まで野球をやって、高校はテニスで、大学時代はフットサルで、会社員の時はフットサルとサッカーで~」という人は流動性が高い。高いとか低いとか言うと、高い方が良いという風に思われがちですが、別にそういうわけではなくて、個人レベルでは流動性は低くても問題ないと思います。ただ、社会的には流動性は高い方がいいと思っています。先ほどの流動性が高い事例は私自身のことなのですが、私の流動性の高さの要因は完全に、「どんなスポーツでもできたから」であって、社会的な要因ではありません。私はこれをクリアしていきたい。運動が苦手な子ほど、色々なスポーツにチャレンジできる社会にしたいんです。
 その理由の1つが、中学生くらいまでなら『運動能力の向上に効果的と思われるから』です。まだ神経系が成長する時期においては、色々なスポーツをすると、色々な動作の獲得に効果的であるとされています。
 さらに私が一番大切だと思っているのは、『自分に合ったスポーツに出会える確率が上がるから』です。スポーツというのは、笹川財団さんによると、約200種類あります。

で、別にこれがスポーツの全てですと紹介されているわけではないし、スポーツも日々開発されているので、増えているはずです。たぶんこれの10倍以上はあるでしょう。とすると2000種目です。絶対にもっとあると思います。
 例えば2000種目の内の1つをやってみて、「これが私にとって一番のスポーツだ!」って、なかなか言えないと思うんですね。もちろん感覚的にそう思えるスポーツに出会えればいいので、全部を試す必要はないとはいえ、それでも色々なものに挑戦してみてやっと、「これだ!」という種目に出会える人は少なくないはず。それに、『自分に合ったスポーツは、変わる可能性だってある』という視点も大事です。分かりやすいのが怪我や病気です。怪我や病気によって、自分に合ったスポーツが変わる事例はたくさんあります。あるいは環境も大切な要因です。海の近くに住んでいたからマリンスポーツが最適あった人も、山へ行けばマリンスポーツが最適とは感じなくなるかもしれません。その時一緒に過ごしている仲間の趣向だったり、体力などによっても『自分に合ったスポーツ』は変わるでしょう。そういう時に、スポーツ流動性の高い社会なら、「やってるスポーツを変えてみたいな」というニーズに応えることができるんですね。これが私が、スポーツの流動性を高めたい理由です。

 なので、『お別れ』とか『卒業』とか、それに伴う『引退』みたいなのを大げさに取り扱いたくはないんですね。やめたり、始めたり、移ったり、戻ったり、そういうのを”当たり前のこと”にしたいからです。当たり前のことにはそんなにコストをかけないですよね。お金も時間もパワーも、そして心理的なコストも。「やめるって言い出しにくい」という心理的コストは本当に余計なんです。
 くれぐれも誤解しないでいただきたいのですが、一つのことを続けることを否定しているわけではありません。それは個人レベルでは当然認められるべきことで、それで幸せならもちろんOKです。大切なのは、「続ける」「やめる」「移る」「戻る」という選択肢があることなので!もちろん指導者としての私だって、テニスのクラスの子がずっと続けることを目標にやっていますしね。ただ、「やめる」という選択をした子のことも尊重し、応援するということです!

 さて、ここからは少し近況報告をさせていただきます。

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総合型地域スポーツクラブや筆者の挑戦のリアルな実態を曝け出しています。自ら体を張って行ってきた挑戦のプロセスや結果です! 総合型地域スポーツクラブをはじめ、地域スポーツクラブの運営や指導をしているかた、これからクラブを設立しようとしているかた、特に、スポーツをより多くの人に楽しんでもらいたいと思っているかたにぜひお読みいただきたいです!

総合型地域スポーツクラブのマネジメントをしている著者が、東京から長野県喬木村(人口6000人)へ移住して悪戦苦闘した軌跡や、総合型地域スポ…

総合型地域スポーツのマネジメントを仕事としています。定期購読マガジンでは、総合型地域スポーツのマネジメントに関して突っ込んだ内容を毎日配信しています。ぜひご覧ください!https://note.com/kenta_manager/m/mf43d909efdb5