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竜馬がゆく② 〜長崎編 前半〜


ついに、竜馬ゆかりの地、長崎を訪れる機会がありました。

僕はどこかに行っても観光とかほとんどしないタイプなのですが、長崎とあれば竜馬を訪ねざるを得ません!

「え?坂本竜馬って、高知の人でしょ?長崎関係ないでしょ?」

そんな方のために、まずこれを。

船が長崎の港内に入ったとき、竜馬は胸のおどるような思いをおさえかね、「長崎はわしの希望じゃ」
と陸奥陽之助にいった。
「やがては日本回天の足場になる」
                        【竜馬がゆく】より

そうなんです。
当時、日本で唯一外国と触れることができ、いわば「日本で最先端の地」であった長崎。
天領(=幕府領)であり、故郷の土佐藩のような厳しい「身分差別」が一切ない長崎。
※「大浦のお慶」のように、身分差別の激しい時代に、女性ながら貿易でものすごい財産を築き、大隈重信などを下僕にしていたと言われる人も長崎にはいました。

土佐藩の下級武士の次男に生まれた坂本竜馬にとって、長崎は、希望の土地だったと思います。

神戸での海軍塾がお取り潰しになり、失意の中、竜馬は長崎に向かいました。

現在、長崎で、坂本竜馬は「銅像」となり、そこに居続けています。

竜馬がいるのは、「風頭公園」です。

風頭公園は、丘の上にあります。
長崎は、坂が多く、駅前も少しあるくと、すぐ丘にぶつかります。
平地が少ないんですねえ。

案内看板にしたがっていくと。

町を一望できる、丘の上に、坂本竜馬はいます。

隣にはためいている旗は、坂本が創設した「海援隊」の隊旗です。
「二曳」といわれる意匠で、赤白赤の旗になっています。

余談ですが、当社のロゴは、海援隊旗がはためいている様子を表しています。

坂本竜馬のように、世の常識にとらわれることなく、変革を起こしたい、という想いがこもっています。
また、坂本は、「万国公法」を誰よりも勉強し、近代日本の法の支配実現の一歩を築いたと言われていますので、法を扱う当社にとっても縁の深い人物であるので、その想いを受け継ぎたいという意味も込められています。

「龍馬像」がある、風頭公園あたりを、龍馬は歩いていたのだと思います。
もちろん、坂本とともに行動を共にしていた、海援隊員や、後の三菱創業者岩崎弥太郎(長崎留守居役)、後藤象二郎、乾退助(板垣退助)、桂小五郎、伊藤俊輔(伊藤博文)なども、このあたりで「生きていた」のかと思うと感慨もひとしおです。

もちろん「亀山社中」にも行ってきましたが、それについては、後編(もしかしたら中編)で!

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