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人となり〜第二章〜

⭐️中学青春編
昭和55年4月に俺は中学生になった。
窓の外は桜が満開🌸
田舎だけに、小学校時代を共にした同級生がそのまま同じ中学に入学。
中学に入って初めて部活というものを経験した。
当時は野球部、テニス部、バレー部、卓球部、陸上部しか無かった。
全員が強制的に何処かの部に属さないといけない。
がしかし、男は野球部か陸上部若しくは卓球部の3択。女はテニス部、バレー部、卓球部の3択。
人数も少ないから、みんな綺麗に何処かのクラブに納まった(笑)
俺は小学生の頃はちびっ子野球を⚾️やってたけど、陸上部に入った。
陸上部に入って、ここでまた長距離、短距離、走り高跳び、走り幅跳び、砲丸投げとジャンルが分かれていて、俺は砲丸投げを選んだ。
鉄の玉を遠く迄投げる競技。
何故砲丸投げを選んだのかと言うと、長距離や短距離は走る競技、高跳びも幅跳びも走って飛ぶ競技。
砲丸投げは走らなくても良い。
そんなズボラな考えだけで砲丸投げを選んだ(笑)
安易な理由で選択しただけあって、思えば目的も何もない。ただ学校側から口煩く言われるから、そこに籍を置いてるだけ(笑)

 ここまでは、ごく普通の中学生。
だけど、中学生ともなれば色んな事に興味が湧き出す。
先輩達の影響、テレビの影響📺をモロに受けるようになっていた。
昭和56年〜58年を中学生として過ごした訳だけど、当時はスマホがある訳でもない。勿論パソコンもない。情報源はテレビと新聞のみ。
テレビをつければ、一日中関西在住のお笑い芸人達の出演してる番組が何かしら放送されてる。
その反面、アイドル黄金時代。
継承略して、田原俊彦、近藤真彦、野村義男の「たのきんトリオ」。松田聖子、河合奈保子、中森明菜等々。
その頃、本屋に立ち寄ると、平凡、明星、セブンティーン、ホリデーオート、ヤングオートという雑誌が人気。
中でも平凡と明星という雑誌は、アイドルの情報誌で、本屋でいつも立ち読みしていた。4歳年上の姉は当時高校1年。
姉はそう言う雑誌は購入して、俺にいつも見せてくれていた。
アイドルが出演する番組も、土曜日の朝7時30分からと、日曜日夜19時から放送していた「ヤンヤン歌うスタジオ」と、日曜日夕方18時から放送していた「レッツゴーヤング」は欠かさず観ていた。
俗に言う歌番組だ。
他にもザ・ベストテンやトップテン。
シャボン玉ホリデーなんかもいつも観ていた。
同様に、吉本新喜劇や松竹新喜劇、ひょうきん族に全員集合。
こういったテレビ番組が俺の人生を演者へと導いたバイブルだったと言っても過言ではない。
そんなある日、今まで見て来たものとは違う衝撃的なアーティストを目にする事となった。
THE CRAZY RIDER
横浜銀蝿
ROLLING SPECIAL
俺が中学2年の秋頃の事。

世間では「ツッパリ」という言葉が流行語にまでなるくらいの頃。
詰め襟の学生服はコートのような長さ。
ズボンのワタリは40〜50センチ。
長ラン、ヨーラン、ボンタン、ドカンと言う厳つい名前の学ランとズボンが流行った🤣

こういうイメージだけど、この学ランの裏地には龍や虎の刺繍が施されているのもあったけど、これは既製品の他にオーダーメイドもあったりした😄
こういうイメージをまさに歌ったのが横浜銀蝿。
代表作は「ツッパリHigh school Rock'nRoll〜登校編〜」

この曲を初めてザ・ベストテンを観て知った時から、俺の人生は180度展開していった(笑)

つづく。

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