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芥川龍之介文学紀行 東京下町を歩く

中村真一郎「芥川龍之介文学紀行 早春の巡礼」(『芥川龍之介の世界』岩波現代文庫)の「松江」「長崎」「京都」は折りを見てとして、荒川の町屋や江東の砂町界隈に若い頃、しばしば通った懐かしさもあり、まずは「東京下町」の紀行をなぞる散策を思い立った。

◎黒船橋 2020-11-08 14 00 20

芥川の「文学の底流を作りあげたこの町そのものは、今や地上から消滅してしまっている」ので、「その芥川文学の廃墟のなかへ、これから入って行くのである」と、著者はちょっと気負いを見せる。そのルートは、芥川の生まれた築地の新原家の旧跡、聖路加病院あたりからスタートし、「新大橋によって大川を渡り、それから、直角に佃橋を通って越中島に入る。そこから黒船橋を渡れば門前仲町。富岡橋を渡って深川となる。それからやがて海辺橋を渡って、江東区役所を右手に見ながら、清澄町を通り、高橋を渡って森下町、五間堀公園を右に見て、高速道路の下の二の橋を渡れば両国。それから広い国道十四号線に出ると、両国三丁目、これがもとの本所小泉町なのである」と記されている。

◎高橋 2020-11-08 14 24 46

そこで、事前の準備に『東京都区分地図 江東区』でルートをチェックすると、「新大橋によって大川を渡り」に続く、「直角に佃橋を通って越中島に入る」というのがどうにも腑に落ちない。佃大橋にせよ、佃小橋であれ、存在するのは佃島である。聖路加病院界隈からクルマ移動で、芥川の育った「本所小泉町」へ行くのであれば、目の前に見える佃大橋によって隅田川を渡り、それから直角に左折、相生橋を通って越中島に入り、あとは記述のとおり清澄通り(463号線)を両国方面に向かうのが通常ではなかろうか。

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◎松尾芭蕉記念館

そこで、大江戸線月島駅を起点にして、相生橋を渡って越中島に入り、清澄通りを両国方面に向かって歩くことにした。まず黒船橋である。門前仲町を過ぎてほどなく芭蕉門下の俳人・杉山杉風の採荼庵跡がある。次の海辺橋を渡ると清澄庭園だが、またの機会に訪れたい名所である。高橋を越えて左折し、隅田川沿いにある松尾芭蕉記念館に立ち寄ったが、「芭蕉雑記」を著した芥川がらみの資料が見当たるはずもない。

◎横綱横丁 2020-11-08 15 26 54

ここから新大橋のたもとへ出てから清澄通りへ戻り、北進すると二の橋があり、両国に足を踏み入れる。京葉道路を左折すると両国3丁目に「芥川龍之介生育の地」の標識が立っていて、その横綱横丁を入ると芥川家跡があるのだが、偲ぶよすがは何もなく、まさに「芥川文学の廃墟」とは言い得て妙と体感した。日曜日の午後、ぶらり14,000歩余の探索記である。

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