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交遊のあれこれー中村真一郎『頼山陽とその時代』〈下〉偶感(その2)

頼山陽の幅広い交友は、そのスピードこそ圧倒的に違うとはいえ、今のツイッターなどSNSを使っての交流を彷彿とさせるものがある。文字を介してのやり取りがそのまま残るからだろうか。中村真一郎『頼山陽とその時代』〈下〉偶感では、「江戸の学者たち」や「江戸の文士たち」、あるいは「諸国の知友」たちに、山陽はどのように接したのか、それぞれの詩集や紀行文集などから、漢詩は読み下し文を、あれこれ抜き書きする。

まず、「江戸の学者たち」のトップは、昌平黌の学長たる林述斎であり、その高弟、佐藤一斎と松崎慊堂の二人がつづく。一斎は「当代第一の文章家」とされていた。「山陽は他人の長所を素直に認めるという性格であったから、一斎に対しても深い敬意を払って接近」し、くわえて「推服する人物に文章を見て貰うというのは山陽の特技であった」とか。村瀬石庵の編纂した『続八大家文読本』の序文を、山陽と一斎が乞われたとき、「山陽は自分の草稿の批評を一斎に依頼した。最初は一斎は体裁のいい讃辞をつけて送り返したらしい。が、折返し、山陽が本気で手を入れてほしいと望んで来たので、今度は一斎もその気になって、徹底的に斧鉞(ふえつ)を加えた。それが今日に残っていて、両者の真剣勝負の有様を伝えている」のであれば、その一部始終を閲覧したい念いにかられた。

「一斎と山陽とは、その後半生を相許した交際を行った」のだが、「これは二人が江戸と京都とに離れていたからこそ、長つづきしたとも言える」と、著者は見ている。というのは、「もし同じ土地に暮していたら、山陽の軽率で疎放な行為は、慎重な処世家であった一斎を敬遠させることになったかも知れないし、亦、一斎の余りにも俗世間を気にする、表裏二面のある生活振りは、山陽を怒らせたに相違ない」と見るのである。自由人・山陽の長短を見抜いた洞察か。

次に、山陽と交渉のあった江戸の学者は、考証学者・大田錦城である。西遊の途次、山陽を訪問した。西遊中の詩文を纏めた『白湯集』に、「『山陽頼子成ヲ鴨川ノ書楼ニ過(ヨギ)ル』という七絶がある。そして、その詩に直ちに続いて、次の長文の前書きのついた詩が載せられて」いて、その前書きはじつに痛快である。長いので抜粋して書き写す。

「伊丹ノ酒、天下ニ冠タリ、味淡クシテ気烈シ。以テ胸間ノ磊磈(ライクワイ)ヲ澆(アラ)フニ足ル。(中略)頃(チカゴ)ロ、山陽頼子成ヲ鴨川ノ書楼ニ過ル。子成、伊丹ノ酒四品ヲ置キテ、以テ予ニ飲マシム。皆、美醞(ビウン)ナリ。関左ニ飲ム所ト同ジ。京師ニ来ツテ数月ナリ。此ノ日始メテ京師モ亦酒有ルヲ知ル。子成、才学文翰、京師ノ後生ヲ圧倒スルハ、世人ノ知ル所也。予、又、何ヲカ贅セン。唯ダソノ気宇ヲ察スルニ、一時、爽快ノ士也。酷(ハナハ)ダ関左ノ人ニ肖(ニ)ル。京師と関東、士風異ル。唯ダ酒味以テ之ヲ知ルニ足ル。予、既ニ其ノ相待ツノ厚キヲ悦ビ、又、窃(ヒソ)カニ感ズル所有リ、乃チ一絶ヲ賦シテ之ヲ謝スト爾(シ)カ云フ。」

「錦城は京に滞留して百日足らずの間に、その酒の甘いのに閉口して、懐郷病にかかっていた。ところが山陽の家で箱根の向うと同じようなからい酒を出されて、一時に機嫌がよくなり、序でにその酒を出してくれた主人まで、箱根の向うの人のようにさっぱりとした気性だと賞め」て、一絶を賦したのである。
「京醸、味甜(アマ)クシテ飲ニアタラズ、君家イヅコニカ芳醇ヲ得タル。請フ看ヨ痛快関東ノ士、皇都軟媚ノ人ト孰(イヅ)レゾヤ。」

著者は、「平生、けちで通っていた山陽が四種もの丹醸を出してもてなしたのは、主人と客との間で気持の通ずるものがあったからだ」と解釈しているが、くわえて山陽の「終生の目的は、学藝の中心地江戸において、一流人物と交際し、ライフ・ワークを完成して世に問い、自分の実力を最高水準において評価されたいということだった」ことからすれば、その先行投資として貴重な剣菱などの丹醸をふるまったのかも知れない。

著者は、「交渉はニ度ある」とする亀田鵬斎と山陽だが、「いずれも間接的である」にすぎない。しかし、「当時の鵬斎の江戸学界における存在は余りに大きかったから」、著者としては「逸することができない」と断わっている。

なにしろ「鵬斎は、寛政の学禁以来、その弟子たる旗本の子弟一千人を失って、生活に困窮したと伝えられている人物で、朱子学に反対する江戸の学者たち五人、いわゆる『五鬼』の筆頭に挙げられていた」存在であった。「その、彼にとっては怪しからん異学の禁の発案者のひとり頼春水の子である山陽が、父に背いて家を出、そして家の学統に対しても自由な態度を取っているのを見るのは、甚だ愉快だったろうと思われる。それに一生を浪人として過した鵬斎は、同じ自由人の生き方を採用している山陽に、生活態度の上でも共感を抱いていたに違いない」と言うのである。二人がまみえることのなかったのは惜しまれる。

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