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小島政二郎『眼中の人』-菊池寛と芥川龍之介

鎌倉・二階堂の小島政二郎邸を何度か訪ねたのは何十年前のことだろうか。都内でお目にかかるのは原宿が多かったが、どこの店だったか、忘却の彼方である。さすが“食いしん坊”が贔屓にするだけに、銀座の辻留は今も忘れがたい。視英子夫人にも大変お世話になった。芥川龍之介の裃を脱いだ風姿を覗きたくて手にした、小島政二郎作『眼中の人』(長編小説、岩波文庫)の頁を繰りながら、さまざまに想いは尽きない。

短編集『羅生門』を読んで芥川龍之介に傾倒し、その面会日(日曜日)の常連になった小島政二郎は、そこで出逢った菊池寛からカルチャーショックを受けた。そればかりか、やがて「直接の友達」になった菊池寛は「私のすべての欠点を知って、しかもなお私に友情を持ち続けてくれた。いや、もっと積極的に、私を鉗鎚(けんつい)する愛情を持ち続けてくれた」と受けとめる小島にとって、菊池寛は畏敬する「眼中の人」であった。

すなわち、「真実一点張りで、美しさを犠牲にしているために、より激しく胸を打つ菊池の小説が、私の唯一のモデルとなったのだ。このほかに私の行く道はない。これこそ最高の小説道だと思うようになった」ほどの入れ込みようである。

裸の菊池寛を目の当たりにするのは、菊池に声をかけられ、芥川と三人で名古屋へ講演旅行に出かけたときのことである。「畳の上に寝たくなった」と言って、ホテル泊の二人と別れて泊まった宿で、菊池は芥川から貰った催眠薬ジアールを飲み過ぎ、意識を失うばかりか、危険な興奮状態に陥って、医者を呼んで応急処置をほどこす騒ぎがあった。芥川と駆けつけた小島は、この時の菊池の姿が「絶えず私を刺激してやまなかった」と回想する。

何がそれほど刺激したのか。「彼は意識を失いながらも、不断の菊池そのままの自己をそこに表現していたのだ。卑しさも、醜さも、意識を失った彼の中に微塵もなかった。イヤな、隠された面というものを彼はこれッぽッちも示さなかった。不断の菊池以外の一物をも、意識を失っている彼のうちに私は発見することが出来なかった。裸にしても、彼は依然たる彼だった」と、この「千載の一遇」の騒動に感銘を深くし、ひるがえって自らの至らなさを省みるのである。「悟ったぞ」と小島が叫ぶのは、それから程なくしてのことである。

「小説は芸じゃない。文章も芸じゃない。技術? とんでもない。小説とは、文章とは、筆を持って机に向う以前の――その瞬間までの、作者の全生活の堆積だ。机に向う刹那までの作者の全人格の活動だ。含蓄の発露――それ以外の何物でもない」と、自己否定に明け暮れた小島が、初めて「自己肯定の喜びに湧き返った」というのである。

ロマン・ローランも小島の「眼中の人」だった。「これも実は芥川の賜物の一つだった」というのだが、それまで『ジャン・クリストフ』を読みかけて読み通せずにいた。ところが、「あ、あいつは最初の六十ページばかりが退屈だ。六十ページばかり飛ばして読んで見たまえ」という芥川の教えに従うと、なるほど面白くて、たちまち「ロマン・ローランの『精神の英雄主義』の捕り子になってしまった」のである。

ロマン・ローランは、「地上に英雄主義とはただ一つあるのみだ」といっている。「それは、この世界をあるがままの姿において眺め、かつそれを愛することだ」と。言い換えれば、「不幸な人々よ、だから余り歎き給うな。人類のうちの最良の人々は、不幸な人々と共にいることを思え。その人々の勇気によって、我々自身を養おうではないか。……『人生は、苦悩の中においてこそ、最も偉大であり、実のること多く、かつまた最も幸福である』ということだ」

ロマン・ローランの「精神の英雄主義」に力づけられて、さまざまの困難や前途の暗澹に「敢然として立ち向うだけの勇気を最後の一線において失うことなくしてすんだ」と感謝して惜しまないのである。とすれば、『眼中の人』は著者が作家として脱皮していく人間変革史であり、長編自伝小説と言うべきだろう。

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