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歌を忘れたカナリアの幸福ー小島政二郎「佐藤春夫」から

小島政二郎『聖体拝受』に、谷崎潤一郎は佐藤春夫と「一生の親友であり、同時に、世にも不思議なライヴァルであった」と言うが、佐藤春夫のサイドからどのように見えていたのか。「佐藤春夫―彼をして彼自身を語らしめる西洋流の伝記を真似て」にその答えをさぐった。

「僕は潤一郎あったがために危く枯渇しかかっていた文学的才能をやっと少しばかり蘇生させ、彼の培養によって、ともかくも文学的生涯を始めることが出来た者である。潤一郎がいなかったならば、僕の芸術的生涯はなかったろうと僕は屢々感に打たれる」
佐藤自身そう言っているとすれば、谷崎は友人である以上に、彼にとって一生の恩人であった。
「同時に……僕と日夕往来することによって、彼の文学的境涯を急速に回転させ得たのではあるまいかと考えないでもない。……僕は潤一郎が僕のよき友であったことを感謝していると共に、潤一郎にとって僕が悪友ではなかったことを信じている」
とも自負している。

谷崎の作品への佐藤の不満は、生半なものではない。
「一体彼のすべての作品の中には、色彩の鮮明はあっても、縹渺(ひょうびょう)の神韻は実に乏しいのである。また妖艶な姿はあっても、その芳芬(ほうふん)の馥郁(ふくいく)は欠けるのである。また鬼巧の絶妙はあっても、奕々(えきえき)の神采(しんさい)はこれを伴わないのである」
この強い不満は、「正に谷崎の病所を突いている」と、小島もすみやかに認めるところである。

谷崎と佐藤の、いわゆる「奥さんの譲渡事件」は、結果的にこの二人に何をもたらしたか。谷崎はその後、「源氏物語」の口訳に取り組み、「物語」というスタイルを発見したことで、「自分の世界を形づくって、春の日を浴びて悠々としている感じだ。『細雪』など、自信の美しさが静かに香を立てている」と見る。「それに反して、佐藤の方は千代子のお陰で人生的幸福を得た代りに、歌を忘れたカナリアになってしまった」「千代子と幸福な家庭生活を営むようになってから、彼は余り旅行もしなくなった。彼の詩嚢(しのう)は痩せて行った」と、小島は惜しむのである。

「恋愛一つが、二人にこんなに違った影響を与え、こんなに違った道を歩ませた」――というよりも、人生的幸福に生きるか、芸術家としての幸福に生きるか、あるいは両方の幸福をめざすか、である。人がどう評価するかはともかくも、谷崎も佐藤もそれぞれに選んだ満足の人生だったと言うべきかもしれない。

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