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荷風の覚悟―発禁本『歓楽』を読む

洋行から帰国して1年間の創作をまとめた永井荷風の短編集『歓楽』は、風俗壊乱という理由で発売禁止処分を受けた。『ふらんす物語』についで立て続けの発禁である。ひっかかったのは、「歓楽」「監獄署の裏」「祝杯」の3篇ではないかと推定された。今や文庫本は入手し難いこともあって、その発禁本のままを復原・収載した『荷風全集』第六巻(岩波書店)を手にした。いささか重くて、気軽に持ち歩けないのはちょっと辛い。

ところで、荷風は発禁についてどう感じていたか。『読売新聞』に載せた「『フランス物語』の発売禁止」には、「別に驚きもしませんでした。後から考へて見ると、当局者の処置には已に幾度となく憤慨しぬいて居るので、今更私自身の著作が禁止されたとて、別に新しく驚いたり怒つたりする程事件が珍しくなかつた為めでせう。事実、私は先年モリエールとゾラの翻訳が禁止された時ほど憤慨してゐません。」と述べている。また、ボードレールの『悪の華』、フローベールの『ボヴァリー夫人』の裁判事件に言及したうえで、「翻つて日本の現社会を見れば、日本は其程に自由も藝術も要求して居ないやうです。」と諦観している。

それは、小栗風葉「姉の妹」を掲載した『中央公論』が発売禁止になり、次号の同誌に〔「姉の妹」の発売禁止に対する諸名家の意見〕を求められた際もやはり同じである。「自分は唯だ当局者が発売禁止したいと思つたから然うしたのであろうと甚だ無造作に看て居る。」と淡々としたものだ。そのうえで、「もし真面目に争はうとするならば、国家と藝術と云ふ根本問題から掛かつて行かねばならぬ。‥‥藝術上の問題は同時に社会一般の問題になるやうな世の中になつて来ねばならぬ。」と事の本質を説くのである。

『歓楽』の発売禁止についても、「自己の性情と態度」に語るところによると、「『フランス物語』や『歓楽』や私の書いたものが屢々(しばしば)発売禁止になつた、夫等(それら)の事から自作に就て世間からは種々な理屈をつけられそれが文藝上不利益になるものがある、けれど私の小説が社会の風俗思潮秩序に害になろうとは夢にも思はなかつたのである。」というのが、荷風の偽らざる真情であった。とはいえ、「近来は総て新しい思潮かかつたものは束縛をされるのであるから殆んど真面目な深刻なものは書いても発表の方法が無い。」ばかりではない。「世界の文藝が露のツルゲネフ、伊のダヌンチオを始め何れも其国民性の発揮に其価値を認められ進んで行く中に日本のみが或る束縛を受けて自家研究自家発展の順序たるべきものゝ発表をする事が出来ないといふのは情ない。」と慨嘆するのである。

短編「歓楽」に登場する「文壇の先輩なる小説の大家」は、自身の回顧談を続けたすえに、ゲーテの『フオースト』(『ファースト』)、ゾラの『作品(ウーブル)』、ハウプトマンの劇『沈鐘』、イプセン『死の目覚め』(『われら死者の目覚めるとき』)、バルザックの『知られざる傑作』などを例示して、「世間の人の眼に藝術の人は狂気としか思はれまい。」と語る。ゆえに、「私は私が属する国家対藝術の関係をも更に憤慨しては居ない。私は父母と争ひ教師に反抗し、猶且つ国家が要求せざる、寧ろ暴圧せんとする詩人たるべく、自ら望んで今日に至つたのである。其れだけの覚悟なしに居られやうか」と、自身の気構えを開陳するのである。

それはとりも直さず荷風の「覚悟」であった。「詩人は実に、国家が法則の鎌をもつて、刈り尽さうとしても刈り尽し得ず、雨と共に延び生へる悪草である、毒草である、雑草である。」と言ってのける短編「歓楽」は、発禁処分のナタを振るう国家に、一矢報いるというか、怖めず臆せず毅然と対峙した作品ではなかろうか。

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