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永井荷風『江戸芸術論』を読む

何かの折々に浮世絵の印刷物を目にすることはあっても、あらためて鑑賞したという憶えはない。ありていに言えば、その資質ゼロは言わずもがな、さほど興味関心も持ち合わせていなかった。そんな無知蒙昧にして、永井荷風『江戸芸術論』(岩波文庫)を完読したのだから、我ながら驚くほかない。何はともあれ荷風の読書力と表現力のなせる業ということか。

まずもって認識を新たにしたのは、浮世絵は「圧迫せられたる江戸平民の手によりて発生し絶えず政府の迫害を蒙りつつしかも能くその発達を遂げたりき」、すなわち「浮世絵は隠然として政府の迫害に屈服せざりし平民の意気を示しその凱歌を奏するもの」というスタンスである。とは言っても、その迫害の如何を詳らかにしないので、荷風が「委(つぶ)さにその事跡を考証叙述して余すなし。」と評した宮武外骨『筆禍史』(雅俗文庫)を、国会図書館デジタルコレクションから抜き読みした。なるほど、種々の「太閤記」から撰出して錦絵を描いた喜多川歌麿など何人もの浮世絵師らが、その科で入牢・手鎖の刑に処されるなど、迫害の事例は枚挙にいとまがない。

明治になって「衰退期の浮世絵」といえども、「浮世絵は実にその名の示すが如く社会百般の事挙て描かずといふ事なし。」として、荷風は政治経済の諷刺画に着目している。だが、「無数の諷刺画中最も奇抜なるものは大抵国芳狂斎二家の筆にして芳虎芳年芳幾らこれにつげり。」と言われても、その諷刺画なるものを見たことがない。はからずも「芳幾・芳年―国芳門下の二大ライバル」展(三菱一号館美術館)の開催中を知って、早速に足を運んだ。

そこで歌川国芳の諷刺画「源頼光公館土蜘作妖怪図」にお目にかかることができた。この錦絵も、先の『筆禍史』によると、やはり罪科に処せられるのを免れなかった。

「『浮世絵画人伝』には左の如くあり

天保十四年の夏、源頼光土蜘蛛の精に悩まさるゝ恠異の図を錦絵にものし、当時の政体を誹謗するの寓意ありとて、罪科に處せられ、版木をも没収せられたりき、其寓意と云へるは、頼光を徳川十二代将軍家慶に比し、閣老水野越前守が、非常の改革を行ひしを以て、土蜘蛛の精に脳まさるゝの意に比したりといふにありき」

また、浮世絵は「漸次社会的事変の報道となり遂に明治五年芳幾が一枚絵には明かに『東京日日新聞』の名称を付するに至りぬ。」とあるのも、その『東京日々新聞』を実見して納得した。一見は百聞にしかずである。その四十号には『勧進帳』の弁慶を演じた九代目市川団十郎を楽屋に訪うた欧米人の逸話が報じられている。「役者絵の中西洋写真の像より思ひ付きて俳優似顔をば線を用ひずして凡て朦朧たる淡彩の色を以て描きしはその奇異なる点まさに寛政の写楽が似顔絵に比するも過賞にあらざるべし。」と、荷風は芳幾の役者絵を激賞する。

東京日々新聞四十号

一方、「浮世絵師もまたその品位を高めんと欲し錦絵に歴史の画題を取りぬ。この風潮を代表するものは即ち月岡芳年」である。「芳年は王政復古の思想に迎合すべく菅公楠公の歴史画を出して自家の地位を上げたり。」というが、撮影許可のコーナーに展示された笛の名手「藤原保昌月下弄笛之図」なども、ケレン味なく静寂と緊張感みなぎる逸品といえようか。ほかに「徳川累代像顕」「大阪夏御陣御危難之図」「矢嶋大合戦之図」などもスマホにおさめた。

大阪夏御陣御危難之図
徳川累代像顕
八嶋大合戦之図

もう一つ、荷風の浮世絵論で見落とせないのは、言うまでもないことだが、欧米人の研究書を広く渉猟し、それを鏡として自らの鑑賞眼を磨いていることではなかろうか。その読書遍歴は半端でない。「鈴木春信の錦絵」を論ずるに、アメリカの東洋美術史学者フェノロサばかりか、『日本版画史』のジイドリッツ(ザイドリッツ)、ドイツの浮世絵批評家ペルヂンスキイの研究を引くのだが、初めて目にする名前を前に、唖然として戸惑うばかりである。

「浮世絵の山水画と江戸名所」においても、「浮世絵展覧会目録」(明治三十一年)でフェノロサは、広重の「愛宕山図」をイギリスの大画家ターナーに比し、「永代橋図」を「ホイッスラアの最有名なる銅版画よりもむしろ本図を好む。」とする賛辞を呈して、荷風は「広重板画の特徴を窺ふに足れり。」と評している。なお、「浮世絵の歴史を結了せしむ最後の一人」とする国芳の作画について、「仏人Tei-sanが美術史に曰く」として引用する一節は、荷風の翻訳によるものだろうか。

さらに、「泰西人の見たる葛飾北斎」になると、「仏国の文豪ゴンクウルの『北斎伝』。ルヴォンの『北斎研究』あり。独逸人ペルヂンスキイの『北斎』。英吉利人ホルムスが『北斎』の著あり。仏蘭西にて夙に日本美術の大著を出版したるルイ・ゴンスはけだし泰西における北斎称賛者中の第一人者なり。」とあり、そのルイ・ゴンスには『日本美術』がある。さらには、「仏蘭西人テイザン著す所の日本美術論は北斎の生涯及画風を総論して甚正鵠を得たるものなり。」と言われても、とてもすべては読めそうもない。

それほどまでに「泰西人」に称賛されるなら、まずは北斎の画風に直に触れたいと思い立ち、「北斎バードパーク」展を開催中の、すみだ北斎美術館へ出かけた。北斎の『隅田川両岸一覧』について叙述するなかで、荷風が「浅草観音堂の屋根に群鴉(ぐんあ)落葉の如く飛ぶ様を描き、何となく晩秋暮鐘の寂しきを思はせたるは画工が用意の周到なる処ならずや。」(「浮世絵の山水画と江戸名所」)と称揚する、その『絵本隅田川両岸一覧』下 の「浅草寺の入相」にめぐり逢えたのは僥倖であった。「群鴉」が描かれれているゆえに、ここに展示されたものである。

なお、W. von Seidlitz(ザイドリッツ)の『日本彩色板画史』の総論を、荷風が訳述した「欧米人の浮世絵研究」には、欧米の多くの蒐集家、美術家はもとより、アンダアソン『日本美術史』、ゴンス『日本美術』二巻や、「その研究の最も斬新にしてまた恐らくはその終極たるべき完全無欠の良著を得たり。」と激賞するフェノロサ『浮世絵名家展覧会目録』等々、数多の著作が列挙されている。

そのフェノロサは、「寛政の三大浮世絵師のなかで歌麿が覇権を握っていることは疑う余地がない。」(高嶋良二訳『浮世絵の巨匠展・解説目録〈歌麿〉』日本フェノロサ学会機関誌)と称揚する。荷風は帝国博物館に陳列された歌麿の名画を見て「三味線の国の快楽の女神よ」(「浮世絵(歌麿の女)」)と詠った。ちょうどメルカリで入手したゴンクール『歌麿伝』(平凡社・東洋文庫)だけでも折りをみて捲りたい。

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