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芥川龍之介〈保吉もの〉と時代を見る眼

相変わらず芥川龍之介を手もとに巣ごもり続行中。芥川竜之介『年末の一日・浅草公園 他十七篇』(岩波文庫)に収録された、「保吉の手帳から」「お辞儀」「あばばばば」は、いずれも芥川が横須賀海軍機関学校に嘱託英語教官として勤めた時期の出来事に題材を求めた、いわゆる〈保吉もの〉とされる作品である。が、私生活を題材にしたとはいえ、「私」を取り巻く時代に眼は向けられていた。なかでもとくに二つの潮流、一つは軍隊、もう一つは女性問題に注目したい。

「保吉の手帳から」の小品「わん」は、海軍機関学校近くのレストランで目撃した出来事である。保吉の後ろの席でビールを飲む二人の海軍武官、その一人は学校の主計官だが、窓の外にいる少年の乞食にオレンジを見せて、「わんと云え。わんと云えばこれをやるぞ。」と呼びかけ、海軍の権威を笠にきた「悪戯」をしていた。

一週間ばかりして月給日に、保吉は主計部へ月給を貰いに行くと、主計官は忙しそうにして、容易に月給を渡さない。「パンの為に教師になった」と自らを貶める保吉は、「主計官。」と声をかけ、「ちゃんと仕上げをした言葉を継い」で、「わんと云いましょうか?」と、傲慢な主計官に一矢報いるのである。「口腹の為に、自己の尊厳を犠牲に」した「乞食」に寄り添う芥川の辛辣な軍隊批判と言えよう。

軍隊批判の絡みでいえば「金将軍」を見逃せない。雲水に扮装して朝鮮平安南道の田舎道を歩く加藤肥後守清正と小西摂津守行長は、道端に異相の童児を見かけ、後の禍を断とうとするが、行長は「無益の殺生」と清正を押しとどめる。三十年の後、その童児は金応瑞将軍となって、加藤清正とともに朝鮮八道へ襲来した小西行長を撃って国を救った――その歴史をつぶさに活写したうえで、「これは朝鮮に伝えられる小西行長の最後である」と断るのは、それが伝説だからである。行長は「征韓の役の陣中には命を落さなかった」ことは言うまでもない。

だが、「歴史を粉飾するのは必しも朝鮮ばかりではない。日本もまた小児に教える歴史は、——或はまた小児と大差のない日本男児に教える歴史はこう云う伝説に充ち満ちている」と述べ、芥川は「たとえば日本の歴史教科書は一度もこう云う敗戦の記事を掲げたことはないではないか?」と喝破してやまない。

「保吉の手帳の一部」として発表された「あばばばば」って、まったく中身の見当がつかない題名である。保吉は海軍の学校へ通う往復にたびたび買い物をする店があった。ある日、煙草を買いに入ると、勘定台に座っていたのは無愛想な主人ではなく、西洋髮に結った十九くらいの「硯友社趣味の娘」であった。ところが、翌年の正月頃から女は「ばったり姿を隠して」しまうのだが、二月の末、店の前にその女が一人、「あばばばばばば、ばあ!」と言いながら、赤ん坊をあやしているのを発見する。

それは軍隊の町に暮らす無辜の民の平凡な幸福であるが、「硯友社趣味」に見えた「女はもう『あの女』ではない。度胸の好い母の一人である。一たび子の為となったが最後、古来如何なる悪事をも犯した、恐ろしい『母』の一人である」と、芥川はその変貌を見抜くのである。これはすなわち女性の結婚、出産、子供の養育、生き方を題材とした作品でもあった。

粗野な男性に惹かれる女性の心理を解く「一夕話」では、「一思いに、実生活の木馬に飛び下りた」一人の女の「猛烈な歓喜や苦痛」は、いわゆる上品でも冷淡な「通人の知る所じゃない」と、芥川はその女性の生き方に共感を示す。一方、「文放古(ふみほご)」は、新しい女性の生き方の難しさを、芥川本人をダシにしながら描いている。

公園のベンチで拾った文放古は、若い女からやはり若い女に宛てた手紙であった。文面を見ると、九州の片田舎にあって、徳富蘆花、有島武郎、永井荷風、谷崎潤一郎などを引き合いに出しながら、「教育を受けた、向上した、その為に教養の乏しい男を夫に選ぶことは困難になった」ことを嘆くばかりではない。「日本の小説家は……こう云う結婚難を解決する道を教えないじゃないの?」と、若い女性は小説家に矛先を向ける。

この時期になると、多くの婦人雑誌が創刊され、小説家も女性の読者、生き方に無関心ではいられない時代を迎えていた。「倉田百三、菊池寛、久米正雄、武者小路実篤、里見弴、佐藤春夫、吉田絃二郎、野上弥生、」——同時代の作家を列挙して、若い女は「そう云う人たちはまだ好いとしても、芥川竜之介と来た日には大莫迦だわ」と対置して、短篇「六の宮の姫君」を持ち出し、芥川攻撃を緩めない。「六の宮の姫君」は芥川の自信作であったが、同時代の文壇は冷ややかだった。空想を逞しくすれば、「文放古」はその「一知半解」の批判に対する芥川の反撃でもあったのだろうか。

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