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小島政二郎「一枚看板」の出来栄え

小島政二郎「一枚看板」は彼の出世作である。「小説は芸じゃない」と悟った小島は、『眼中の人』によれば、「今日までの迷いを、そうして最後に今の今悟った自分の小説道の苦行の跡を、そのまま小説に書いてみよう」と思い立った。そこで、四、五年前から付き合いがあり、今は隣り付き合いの講釈師・神田伯竜を主人公に、「心理は全部私自身のものを嵌め込んで」書き上げたのが「一枚看板」である。

二転三転の人生を流転した伯竜は、伯山師匠に破門の赦しを乞うている頃、女と見て回った「どちらかと言えば、嫌いで見たことのない活動写真から、思わぬ芸の上の新発見をしていた」。というのも、映画の「主人公に扮する役者の豊富な、自由な、深刻な表情に恍惚として見惚れ」、伯竜は「自分が芸の上で行くべき道を、そこに示されたように感じた」のだ。

伯山に詫びてやっと許され、やらされた横浜の高座で、伯竜は「客なんか気にする前に」、「夢中になって芸の工夫に没頭した」ばかりか、「客を眼中に置かないという悟りを開く導火線になった」のである。東京に帰って浅草の金車亭に出ると、「自分と聴衆との呼吸が一つにピッタリ合うのを感じ」、「カラ板の上に頭をさげた時、彼は十分力を出し切った爽快さを覚えた」のだ。あろうことか、弟子を取らないので有名な、名人と言われる文慶が、その場に居合わせて、稽古をつけてくれることになる。

「要するに、彼は文慶に師事することによって、芸の根本義を把握することが出来た」、すなわち「芸とは何か。彼はそれを自己だと悟った。自己の生活だと悟った」のである。さらに精進を重ねるうちに、通人としても崇拝する劇評家から、「文芸倶楽部」に「新進神田伯龍」を執筆して、その芸風を褒められた。「彼は公けの声を始めて聞いた」のである。神田伯竜の一枚看板が立つまでに、さほど時間はかからなかった。

この作品「一枚看板」が発表されるとすぐ、芥川龍之介からは「君の踏んでいる道は、人天に恥じない道です。感心しました」という手紙が届いた。それのみか「新聞や雑誌の月評で、あっちでもこっちでも評判がよかった。‥‥俄かに世間が一斉に私に顔を向けてくれたような晴れがましさを覚えた」と、『眼中の人』に回想している。「あれは傑作です」とかつて芥川から褒められた「睨み合」と読み比べても、確かに成長した作品であることは間違いない。

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