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モーパッサンの石碑

ベルギーのブリュッセルからの帰途、シャルル・ドゴール空港で乗り継ぎを待つ間、パリの空を仰いで、一日でもいいから街を歩きたいと夢想した。そんな今はむかしのことを、永井荷風『ふらんす物語』を手にしてはからずも思い出した。『ふらんす物語』は、十一ヶ月半のフランス滞在体験にもとづく短篇小説、プラス紀行文と評論である。

「船と車」は荷風がセーヌ河口のアーブル港に着いてからリヨンまでの道中の記録らしい。荷風は実際のアーブル港の景色を目前にして、モーパッサンの小説「ピエールとジャン」などの記述と比べてみようとした。そのモーパッサンの記述の一節を引く。

「二つの突堤の上には、別に二つの光が、この大入道の子供が、ル・アーヴル(港)の入口を示していた。そしてさらに向うには、セーヌ河の向いがわには、そのほかにも、たくさんの灯が見えた。固定しているのも、まばたきをしているのもある。隠現し、目のように開いたり閉じたりする。港の目である。黄、赤、青。船でいっぱいになっている海面をうかがっているのだ。客を迎える陸地の生きた目である。そのまぶたの判で捺したような規則正しい機械的な運動だけで、『こちらはトルゥヴィルです。こちらはオンフルールです。こちらはボン・トゥドメールの河です』と言っているのだ。そして、ほかのすべてを見おろすように、ずっと高いところに、遠くからだと星と見誤るほど高いところに、エトゥヴィルの高檣(こうしょう)灯台が、この大きな河口の砂洲(さす)を縫ってルーアンに行く通路を示していた。」(杉捷夫訳『ピエールとジャン』新潮社)

だが、モーパッサンの描いたこの風景を、荷風は目にすることは出来なかった。ちなみに、荷風がフランス語を学んだのは、モーパッサンの文章を「原文のままに味いたいと思ったから」(「モーパッサンの石像を拝す」)であり、すでにアメリカ滞在中に、モーパッサンの『詩集』『女の一生』『テリエ館』『ベラミ』『イヴェット』『ロンドリ姉妹』などを原書で読破している。また、アーブル港からパリに向かう鉄道では、殺人狂を描いたゾラの『獣人』に出て来る沿線の「さまざまな物凄い景色」を見つけようとするが、それも果たせなかった。

だが、リヨンに向かう途次、一日馬車を雇ってモーパッサンの石像の立つモンソー公園をはじめパリ市中を巡り歩いて、荷風はフランス写実派の描写に深く感嘆するのである。

「ああ! パリー! 自分は如何なる感に打たれたであろうか! 有名なコンコルドの広場から、並木の大通シャンゼルゼー、凱旋門、ブーロンユの森はいうに及ばず、リボリの街の賑い、イタリヤ四辻の雑沓から、さては、セインの河岸通り、または名も知れぬ細い露地の様に至るまで、自分は、見る処、至る処に、つくづくこれまで読んだフランス写実派の小説と、パルナッス派の詩篇とが、如何に忠実に、如何に精細に、この大都の生活を写しているか、という事を感じ入るのであった。」

本書の「序」に「長篇」と言う二つのうちの一つ「放蕩」は、ルイ・マルソロー「放蕩の詩」をエピグラフに掲げた小説である。マルソローがいかなる詩人か、国会図書館オンラインを検索しても何もヒットしない。手がかりはフランス語の文献ばかりである。

小山貞吉はパリの大使館に勤める外交官、赴任して三年になる。「巴里(パリ)なる帝国大使館の事務を終って、その門を出ると、きまってシャンゼリゼーの角まで歩く。歩いて立止まる。ここがその日の思案の四辻である。」というのも、すぐ家に帰るか、散歩するか、夕食はどこで何を食べるか、あれこれ思案する。それからの叙述が「如何に精細」であることか、その一端を粗々抜き出してみよう。

「ブーロンユの森」へ行ってみようと、シャンゼリゼーから地下鉄に乗ることもある。ブランシュ駅に降りると、「有名な美女乱舞の劇場ムーランルーヂュの風車小屋は、破(こわ)れた物置場見たよう」である。「緑深いセーヌの流」「ノートルダームの佳麗」に驚く。「夕暮の音楽、夜の燈火、婦女の往来」を見て、「巴里は自分の本能性と先天性に一致する処がある」と思う。グランバレー、ブールバール、オペラ座、パンテオン、散歩の人出のなかに、「さまざまな化粧をした女が、秋波(しゅうは)を送りながら徘徊している」のを目にする。 

木立の後ろの「いつも静かなガブリエルの裏通」、「エリゼーの館と覚しい白い土塀」が「折りから輝くガス燈の光」に浮かぶ。この辺りの料理屋や劇場の軒端の灯火は茂みの青葉を照らし出す。「造化の美を奪う人工の巧み。ああ、これが巴里だ!」と、ぶらぶら歩きながら貞吉は思う。ガブリエルの裏道で、女芸人らしい二人連れの美人を乗せた馬車に、夜会服を着た三人連れの男が二言三言声をかけると、女の一人が鈴蘭の花束を投げる。貞吉は「どうしても画だ。巴里遊楽の漫画なぞにあるその通りの情景だ。」と心震わせる。

――ことほど左様に、パリを徘徊する荷風の描写は、記憶によるのか、メモによるのか、あまりの精微さに驚きを禁じ得ない。

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