4月3日、牛乳パックの筆箱

人の誕生日を覚えるのがあまり得意ではない。
母親の誕生日は、2月10日。それは覚えている。僕が7月10日生まれで、10日というのが同じだからだ。父親、兄の誕生日は…どうだったっけ。

4月生まれの同級生の誕生日は、何人か覚えている。それは、小学校入学のとき、50音順ではなく、「誕生日が早いもの順」で机に座っていたからだ。

4月生まれの友達の一人とは、仲が良かった。たぶん小学校2年生くらいだっただろう。その年の友達への誕生日プレゼントに僕は、母親に手伝ってもらい、牛乳パックで筆箱を作り、プレゼントとして渡した。記憶が確かであれば、当時の雪印の牛乳パックを使った。青いパッケージで、ちゃんと牛乳と書かれた面が上に来るように折れ線をつけて、ペンを差せる部分も作ったはずだ。

確か同様に、父親にも牛乳パックでネクタイを作ってプレゼントしたことがある。こちらは部屋の鏡に何年も飾られた後、表舞台には出ることがないまま、いつの間にか生涯を終えた。

牛乳パック筆箱をプレゼントした友達とは、高校生、社会人になってからも、この話をしたような記憶がある。坂井、牛乳パックで筆箱作ってくれたよね、しっかりした造りで、俺、しばらく使ってたもん(笑)…といった感じで。

また、4月がやってくる。その友達は、一足先に、ひとつ歳をとる。ここ数年、連絡も取っていないけど、結婚したような噂を聞いた気がする。僕だけが、あの日あの時あの場所から、動けないままでいる。

牛乳パックで筆箱を作った思い出も、いつかは消えていく。それは、みんな大人になり、結婚したり子供ができたりと、たくさんの新しい思い出が上書きされていくから、仕方のないこと、なのだ。

ならば、相変わらず独身をこじらせて鬱屈した文章をひたすら書き続けることしかできない僕ができることは、「誰よりも多くの思い出話を覚えておくこと」なんじゃないかなと思っている。
いつか、また会ったときに、あの日あの時、こんなことあったよね…と、話すことができれば、たったそれだけで、遠い記憶の中で、懐かしい友達に、また会えるのだ。

それは、僕自身の未来がどうなろうと、僕自身の思い出が上書きされようと、きっと、変わることはないと思う。

たくさんの思い出に支えられて、毎日を生きている。たまには、前でなく、後ろを振り返ることも、人生において、無駄なことではない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?