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平成前期世代のJ-POPカラオケ講座! その2 「たま」 (追記・長文あり)

まあJ-POPて言い方も好きじゃないんですが、邦楽、つうのもなんだし。
前回の有頂天に続いて、ナゴムつながり!(いまさら)
これがいまカラオケ屋で歌える、たまの楽曲リストです。

DAM・JOY両方で歌える曲は赤枠で囲っています。2曲しかないね!

発売年はメジャーでのリリース時に合わせてるので、インディーズ時代からやってた曲はフォントを青くしてみました。合ってるかな?

しかし、DAM・JOYでこんなに選曲バラケてるアーティストもめずらしいかな? DAMは初期のイカ天系代表曲を抑えてるけど、JOYはそこは無視して、柳ちゃん脱退後もけっこうフォローしている。

ほんとはこういうリストとか、すでに作ってるファンもいるんじゃないかと思うので、知ってたら教えてください。
やっぱりアルバム名とか、どの曲が誰がメインボーカルか、書かないといけませんが、めんどくさいので!

どなたか勝手に編集してくださってもよいので! リンクを貼っておきます。

追記・そいで、今現在の歌える歌は上記の通りなんだけど、JOYSOUNDは一時、もっと大量に配信されてた時期があって、それが2016年頃になぜか、たくさん削除されたらしいです。その理由はメンバーの石川浩司さんに教えていただきましたが、あんまし公表できる話じゃなかった! ごめん。しかし、なぜ残った曲は残ったのか?は、不明〜。JOY都合ってことかな。FF外失ですが、ツイート引用させていただきます)

なんか、わかんないけど、もったいなことだなあ〜。。

ところで! まあ、たま、つっても、4人いれば4人、3人になってからでも、それぞれボーカルタイプも曲調もバラバラなので、たまを歌います!とか言ったって、人によって歌える歌えない、選曲にバラつきも出ますわな〜。。

ぼくはときどき「おやすみいのしし」とか「オリオンビールのうた」とか、ふと口ずさむときがありますけど! 何かに間に合わないとき「学校に間に合わな〜い」のふしで歌ってしまうときもありますが、まあカラオケがなくても歌えそうな曲があるのが、たま、て感じもしますけどもね!

以下、カラオケ関係ない話、追記!(4000字くらい)2022年5月10日

ぼくにとっての、たまの思い出

まあ、最初は88年のはじめ頃? 小滝橋にあった頃の新宿ロフトで、誰かのライブのときにケラにばったり会って「最近、ナゴムに送ってきたデモテープで、イイやつを集めたのがあるから聴いてよ。たぶん次のオムニバスに入る」と言われて、カセットをもらった。「なんかね〜、たまっての、なんかすごいよ」と言われた。他にカステラやグランドファーザーズも入ってたけど、確かに、たまを聴いて一番衝撃を受けたよ。もう、70年代の漫画雑誌ガロの世界がそのまま音になってたような気分になった。

そいでナゴムオムニバスに「さよなら人類」が入って、ちょっとインディーズシーンでも話題になるかな? と思ったけど、まだそれほどでもなかった。

ナゴムオムニバス3rd「おまつり」

で、ライブもよくやってるというので、見に行った。ビジュアルも期待を裏切らないというか、期待した通りだった。演奏も歌もイメージも完成されてた。できあがっていた。会場では手作りカセットも何本も売ってて、すでにレパートリーもたくさんあるようだった。チラシとかの知久くんのイラストも世界観が決まってた。

この時点で4人になって数年たってるし、初期のたまは通過してて、熟成期に入ってたんだと思う。ぼくやケラも初期からたまを知ってる、とは言えないな。

それでも。すごいものを発見したというか、よく今まで世界に見つからなかったものだな〜と思って、もうケラを通さずに、すぐメンバーと接触して知り合いになったよ。

当時は情報誌やら漫画雑誌とか、けっこう原稿をよく書いてたので、いま面白いバンドはたまだ! とか紹介記事をいろいろ書いたね〜。

当時、ナゴムでマネージャーをやってた水橋文美江さんはその後、脚本家として著名になられましたが、自分で小さな劇団も主催されてて、そこに石川さんが役者として出演した芝居とかも見に行った。

89年になって、六本木インクスティックというオシャレなライブハウスで、よく企画ライブのブッキングもやってたので、たまに出てもらったこともあった。中央線しか似合わなそうな、たまが六本木に!、というのはインパクトあったと思う〜。

夜のどん帳

そしてナゴムから「でんご」という4曲入りのシングルが出たけど、それに入ってる「夜のどん帳」という曲が、当時のライブでは「さよなら人類」よりメインで演奏されてる印象があったので、まあポップでわかりやすい曲だし、これが代表曲になっていくのかな? と思っていた。ライブの動員も増えていた。

で、イカ天に出る、という話を聞いた。すでにイカ天はすごい人気番組になってて、BEGINやフライングキッズもジッタリンジンも出演してブレイクしてたし、他にも、知り合いのバンドとかもたくさん出てたので、まあ、軽い気持ちで出ればいいのでは? と思った。でも正直、イカ天出てもウケないかもな〜とも思ってた。この世界観が、あの番組にわかるのか?

独特の世界を持ってるバンドほど、審査員に理解されず、出ても恥をかくだけ、と出演をちゅうちょしてたバンドも多かったかもなあ〜。ちょっと勇気もいったね。後で出る出ないで、意外にメンバー間で葛藤もあったと聞いた。

たまは、もうナゴムからのアルバム「しおしお」も出ることが決まってたから、イカ天出て、思ったほど話題にならなくても、評価する人は増えてるんだし、問題ないか、吉祥寺マンダラ2とか、もうワンマンやれるくらい人気も出てたし。て感じで、テレビを見守ってました。

でも、ぼくは「夜のどん帳」をやるんだ、と思ってたんだよね。
そしたら「らんちう」だった。よりによって、お茶の間に一番わかりにくそうなアングラな曲で!
でも、なぜかウケてしまったんです。
サイバーニュウニュウを倒してキングになってしまった。

それ以来、SNSのない時代なのに、なぜだろう。世間でたまが話題にされてる、とハッキリ感じられた。

翌週のイカ天で、たまは「さよなら人類」を完璧に演奏して、テレビ空間を制してしまった。

ハレはれナイト

その数日後、ぼくは、サエキけんぞうさんと「ハレはれナイト」というオムニバス・アルバムをプロデュースして、その発売記念ライブを、芝浦インクスティックでやっていた。

これはテクノ、打ち込み系のバンドを集めた企画だったんだけど、たまのメンバーもお客として見に来てくれていた。同時期にナゴムからもリリースしてたクララサーカスミンカパノピカが出演してたからでもある。

ぼくはステージから「みんな2Fのテーブル席を見てください! いまイカ天で2週勝ち抜いているキングの! たまのメンバーが来てます!」と声をかけると、客席がどよめいていた。サプライズ。

「いやー、次の3週目も当然、勝ち抜くだろうし、5週勝ってグランドキングになってよ!」と言うと、石川さんが「いや、ぼくらはイカ天キングになるより、ハレはれナイトに参加したいです!」と、2Fからお世辞を言ってくれた。

考えたら打ち込み系にこだわらず、たまにも参加してもらってればよかったな〜、と後悔先に立たず。

3週目も、たまは「オゾンのダンス」で、あっさりイカ天を勝ち抜いた。

スペースシャワー

その数日後、ぼくは中目黒のスタジオで音楽チャンネル「スペースシャワー」の立ち上げに関わっていた。

まだスカパーもない時代、ケーブルテレビ局のある地域にだけ試験放送が始まってたような段階でしたが、新しいメディアのはじまり、ということで、スタッフも気合が入っていた。

そこで、ぼくが持たせてもらった番組の第1回に、たまにゲストで出演してもらったのです。

スタッフにも「いや、いま現在イカ天を勝ち抜いてる、たまに、記念すべき初回に出てもらえるとは、これはオイシイですな〜」と喜んでもらえたよ。

まあ、メンバーもイカ天3回出て、すっかりカメラもトークも慣れてる感じで、風格も出てきた感じだった。

番組で、メンバーは「まあ、次こそ、落ちるんじゃないすかね!」とか言ってたけど、
4週目も「ロシヤのパン」で当たり前のように勝ち抜いた。

ぼくらは、たまがいくらでも曲を持ってるのを知ってるから、審査員の人たちが毎週、あ〜、こんな曲もあるんですね、と引き出しの多さと完成度に、いちいち驚いてくのが楽しくてしょうがなかった。

それでも、ぼくは最後、5週目でグランドキングになるときは「夜のどん帳」をやるだろうな、と思ってた(しつこい)。

ところが「待ち合わせ」だったんだな! でも裏切られる展開もあり、という予想してたので、想定内、という気もした。どっかでやるだろう、て気もしてた。

でも当然だよね、て感じでグランドキングになった。
ぼくは、たまがイカ天でブレイクしたことにはいっさい関与してないのに、リアルタイムで一緒に時代を走ってたような気分にさせてもらえたよ。
メンバーは大忙しで、そんな細かいこと憶えてなかったろうけど!

で、まだメジャーデビューはしてないので、ナゴムから出たアルバム「しおしお」は、めっちゃ売れたようだよ。みんなテレビで見た、たまのレコードって、もう存在するの? あるんじゃない、てことで。

ナゴムで、売れないバンドの赤字を抱えてたケラもようやく落ち着けてよかったよね!

その直後に、また雑誌で、たまのインタビューとかもやったけど、メンバーも「しおしお」の話題ばかりで、イカ天のことは終わったことです、みたいな感じだった。

そしたら、イカ天の大きなイベントで、グランドキングの中のキングみたいな大賞みたいのを取って、メジャーデビューも決まり、レコード大賞にも紅白にも出て、少年サンデーの表紙にもなり、あっという間に国民的アイドルになってしまった。

いや、おおげさではなく、当時の状況を知ってる、いま50代以上の方はみんな覚えてると思う。

ぼくはメジャー決まった最初の、よみうりホール、ワンマンまでは見に行ってたかな〜。その後はもう、ちょっと手の届かない世界へ行ってしまった。。みたいな感じで。メジャー期はちょっと無視してましたw

そいで インディー時代の曲は、メジャーでも次々と再録音されてCDに収録されていくのに、結局「夜のどん帳」は! なかなか再録音されず、3年後くらい、メジャーでの4枚目くらいで、やっとシングルのB面に収録されていた。

ぼくの先見の明というのも、つくづくアテにならないな〜という例であります。

もうひとつの読み違え!

そういえば、ぼくは、たまがイカ天に出る前くらいから、メンバーと談笑してたときに「将来、たまを最初に抜けてソロになるとしたら、やっぱ柳原さんだよね〜」と言ってた。大予言。

でも、その頃は、やっぱり柳原さんが一番ポップで大衆ウケしそうな曲書いてると思って、メジャー志向もありそうに見えたし、歌謡曲方面とか行けるんじゃ? という読みだった。

あにはからんや、96年にいざ、柳原さんが実際にたまを脱退したら、まったく商業性を考えない、個人的な活動に向かっていったのだった。読み違いもいいとこです。失礼しました。

その後は気にしてます!

その後、たまが3人になって、ややメジャー感がなくなってからは(微妙な表現)再び、交流もあったね。ライブにもまた行くようになり、石川さんの奥さんが始めた店「ニヒル牛」にもよく行ったし。

今は亡き戸川昌子さんのお店「青い部屋」で、たまのライブに、ぼくもトークコーナーでジョイントとかやってて、乱入してきた戸川さんに「あなたもたまちゃんなのよね?」とかw メンバーと間違えられたのも良い思い出です。

解散ライブのときは残念ながら、生では見れなかったんだけど。今泉監督の「たまの映画」のときも宣伝に協力したよ〜。あれももう10年以上前なのか。

まあ、石川さんと知久くんが参加してるパスカルズも、滝本さんがマルタくんのエコーユナイトに参加したやつも、知久くんのソロも見てるし。

で、つい最近、ぼくはメカエルビスさん(ex.サイバーニュウニュウ)主催のライブで、石川さんがゲスト、というのを見に行きました。

イカ天の思い出ばなしで「あの頃はキングの座を争ってましたね〜」とメカさんに言われた石川さんは「まあ音楽ではなく、結局暴力でぼくらが勝ちましたけど」とかデタラメを言ってたw メカさんから実はイカ天前から、たまを注目してた、という初期ライブの秘話もあった。

「さよなら人類」もメカさんの歌で、ひさびさに石川さんの「ついったー」が聴けたよ。

という今につながる話題で締められて、ちょうどいいタイミングでした。

まあ、もともと、これはまゆたん(ex.マサ子さん)とカラオケに行こう、というきっかけから、じゃあ、たまの歌はなにが歌えるか、から始めたnoteだったんですけど〜。(最後にカラオケ話に戻るw

2022年5月10日 かとうけんそう

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