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太郎冠者最後の言い訳 狂言柑子 弍

和ろうてござるか〜

狂言柑子を紹介してござる
冒頭から中段まではこちらにござる

最後に残った一つの柑子を出せと云われた太郎冠者

ここに哀れな物語があるので語って聴かせましょう、と申し
ここからは語りが始まりまする

語り 狂言の筋立ての中で物語りを語りまする、座って語る居語り
   振りを付けて語る仕方語りなどござる

ここで語りまするは能にもござる俊寛僧都の流刑の物語

平相國の治世
丹波の少将成経、平判官入道康頼、俊寛僧都
彼ら三人は鬼界ヶ島に流されてござる

1177年 平家打倒、謀反の謀議が密告され流刑となったそうでござる

さりながら、成経と康頼の二人は赦免され戻れたが
俊寛ただ一人鬼界ヶ島に残されてござる

この物語の如く
三つ成りの柑子も
♪一つはホゾ抜け、一つは潰れ、一つは残る
人と柑子の違いはあれど
思いは同じ涙の物語でござる♪

さいごの三行は謡調子となり
感極まった太郎冠者は泣くのでござる

主人は再度残った柑子を出せと催促しまするが
太郎冠者はただいまの物語の内に入っていると答えてござる

納得できない主人
太郎冠者は自身の腹を指し
「太郎冠者の六波羅に、とおど納まってござる」

六波羅 平安時代、平清盛の邸宅があり平家の一門が軒を連ねたそうでござる

うっかり食べた太郎冠者最後の言い訳は
平家物語になぞらえてござるが

結局全部食べてしまった太郎冠者は
主人に叱られて仕舞いと成る叱り留めでござる

叱り留め 狂言の終わり方の一つ
     本舞台で終演する一つの型でござる

短い狂言ながら語りと謡いがあり
楽しい狂言かと存じてござる

このブログでは狂言好きのわたくしけんすけ福のかみが
もっとも狂言らしい登場人物“太郎冠者”となって
狂言へとご案内するべく描いてござる
なにとぞ和らいだお心もちにて読うでくださりまりませ
狂言案内草紙「南無三寶」より一部改

この狂言noteはけんすけ福のかみが
大蔵流茂山千五郎家 島田洋海社中にて
狂言を学んだことをモトに
実際に狂言を(できれば生で)観て
和らいでもらいたいと願うて描いてござる🖋

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