かわいそうにも順番がある

動画ニュースで、ウクライナ避難民に私財を投じるという経営者らの話題があり眺めていると、どうしてもモヤモヤが湧いてきてしまったので整理の為に書いておく(結局整理できそうにないが)

そのニュース映像で経営者さんがインタビューに対し「多少余裕がある人が助けるべきだと思う」「今回みたいな値打ちのある寄付って無いですよね」と仰っていた。

まず前提として、自分もウクライナへのロシアによる侵攻・戦争が起こり避難民が発生してからすぐにUNHCRに僅かではあるが寄付をしたし、この経営者さん達の行動は素晴らしいものであるし応援したいし批判する気は1ミリもないことはご理解いただきたい。

「今回みたいな値打ちのある寄付はない」
そう、寄付には"寄付する値打ち"が必要だ、ふるさと納税の返礼品のように。

自分がここ数年で寄付をしたのは毎年の日本赤十字社へと、地域猫に格安で避妊・去勢手術を行う動物病院への寄付と、猫科に多い慢性腎不全(正確には猫科に限らず人間にも応用できる)治療の可能性がある蛋白質"AIM"を利用した治療への研究資金援助と今回のUNHCRへのウクライナ人道支援だがどれも"価値がある"と考えたからだし、特に猫絡みに反応しているのは20年近く猫と暮らして、高確率どころか5頭の猫を全員慢性腎不全で亡くしたし、自宅で毎日皮下輸液を行なって薬を飲ませて活性炭のサプリを飲ませていよいよ食べられなくなったら強制給餌を試みて、と辛い思いを何度もした個人的な理由からである。学生時代にアメリカでの臓器移植を希望する子供さんの渡航・治療費募金活動を少し手伝ったこともあるが当時は"価値がある"と考えたものの今はこれに関しては日本人とアメリカ人の難病患者を比較して決して前者の方が"価値がある"わけではない、という結論に至ったため(別に後悔はない)、活動に"価値を見出せない"ので情報の共有ですら全く行っていない。

当該ニュースの避難民はキーウの孤児院にいた子供達や、今回のロシアによる戦争で親を亡くし残された子供やその職員さん達が対象であったようだが、日本にも当然様々な理由で親を亡くした子供達もいるし、寄付を求める・寄付があれば助かる人々がいる。もちろん国も予算をつけて支援する体制はあるのだがより多くの寄付があれば助かるのは当然だ。

今回ウクライナでスラヴ人がロシアによる戦争犯罪の被害に遭っているが、ロシアは過去にシリアやチェチェンなどで同じような虐殺・戦争犯罪をやっているし、恐らく全く邪魔されずに国際調査団が調査に入ればとんでもないことが判明しそうである。旧満州や樺太で日本人もその犠牲になったことがあるし、映画ランボーシリーズでアフガニスタンを部隊にしたものがあったがアフガニスタンでもロシアは小規模にではあったかもしれないが同じような陵辱を繰り返してきただろう、何かを作るのは苦手だがカラシニコフは世界のベストセラー銃器であるように破壊と陵辱はロシア人の得意技である。殺す・壊すならロシア人にお任せ♪
今回のウクライナ侵攻は過去の事例と何が違うのかといえば被害者・被害国の属性が違うわけだ、今までの見た目が全く違う被害者からとても似ている被害者へ変わったので、プーチンのいう"兄弟民族"に対してそれをやるのか?という疑問から本当にやったという驚きもあるが、白人からするとまるで身内がやられたような感覚になりロシアに対する非難と同情(と兵器)が集まっているわけである。
もちろん、地理的にロシアの次の標的になる可能性がある国々や、それらがバタバタとやられたら気付いた時には裏庭に強盗のアジトが完成してしまう国々の焦りというのも当然あるのだが。

文筆家白饅頭こと御田寺圭氏の【かわいそうランキング】というワードがある。ご存知ない方に簡単に説明すれば、「かわいそう」な対象の中でも「よりかわいそう」な対象に対して支援・同情が集まる元も子もないメカニズムのことであり、例としては絶滅危惧種を保護する活動で一般的には気持ちの悪い毒ヘビを救おう!と呼び掛けたところであまり金額は集まらないだろうことが容易に想像できるし、どうかすると毒ヘビなんか絶滅した方がいいだろうと言われかねないが、保護対象が可愛い鳥だったり小さな哺乳類だったり、イルカだったりするとメディアが取り上げる度に大金が出てくるのである。シーシェパードというほぼ犯罪組織に大金持ちの経営者やハリウッド俳優達などから「活動費として使って!イルカクジラを護って!」と大金が集まってくるのが良い例だ。実際のところあれはアジア人蔑視も入っているのだけどそれはまた別の話。

日本にもホームレスは多い。その殆どは男性だという。私も女性のホームレスを見かけたことが無いわけではないが確かに見かけるのは殆どが男性だ。少し前にバス停で寝ていた女性のホームレスが近くに住む男に殴り殺されるという痛ましい事件があったが事件が報道された後に「何故あの女性を救えなかったのか」というような意見が多く見られたように思う。たとえ被害者のホームレスが男性でも未成年の少年少女達に面白半分でリンチされ殺されたりすれば犯人に対する怒りの感情と共に「社会復帰させてあげていれば」といった意見が出てくるのだが、残念ながら日常的にホームレスへの炊き出しや相談に乗るといった支援活動をされている方々以外は基本的に無関心であるし、どうかすると不潔・迷惑・怖いと排除したいくらいだろう。都会のガード下にいるホームレスをイメージするより自宅近くの公園で寝泊まりしているホームレスをイメージすれば悪いけれど自分も例外ではなくそう思うはずだ。

結局は被害者になると「かわいそう」が可視化され、支援すべき・支援すべきだったと疑いなく心から思うのだが、そうなるまでは無関心というのが特に日本では普通だろうと思う。
アメリカで、役者達が一般人の前でわざと差別的なことを言ったり助けを必要とする状況を作り出しそれに対する反応を隠し撮りしていて良いタイミングでネタばらしをする、という番組があるが、あれも「かわいそうの可視化」と言えるのではないか。辛そうにしていれば「どうしたの?」と言って貰えるが我慢して辛そうに見せなければ助けてもらえないし心配すらしてもらえない、意地悪くいえばラクをするにはアピールが必要ということだ。

人間でも猫でもなんでも、子供が可愛いのは親や大人に助けさせるためだ、というが可愛いアピールは元々生物に備わっている戦略だろう。"値打ちのある存在だ"と思わせて助けさせる戦略。【愛嬌】とか【媚びる】とか【取り入る】とか。

商売に繋げようとする某お金配り宇宙おじさんと違って、アピールされなくても値打ちの有無にも関係なく必要なところに淡々と支援を継続できれば徳を積める気がする。困った人がいたら悩むことなく直ぐに身体が動く、冒頭の経営者さんのような人間でいたい。

1秒でも早くロシアに天罰が降り侵略戦争を諦めウクライナに平和が戻りますように…

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