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野球場が感動を生む理由

最近野球場に行くのにハマっています。

テレビとはまた違うところが各球場、各球団であり、野球場に行くとそこが生み出す風景、雰囲気に感動します。

特に球場に入った瞬間、選手がホームランを売った瞬間は格別でこの感動を何度でも感じたくなる。

自分でこの感動を産み出せないか?

そんなことを考えて野球観戦をシーンごとに要素分解して、解析してみました。

目次
①中に入るまでのシークエンス
②テレビ上との対比
③応援の渦に巻き込まれる
④自分でこの感動の装置を転用し産み出せるのか

中に入るまでのシークエンス

まずは球場に足を運んで中に入るまで。

駅から球場に近づくとまず巨大な円状の単調なウォールが見える。

そのウォールの大きさ故に全てを見通すことはできない。

中を見ることを拒否しているかのようなそのウォールは、その見た目とは裏腹に応援団の音は中から漏れてきて、中に入りたい欲求を強めてきます。

球場の外の壮大で中を見ることを拒否しているかのような単調ウォールはその対比としてフィールドが見えたときの壮大で美しい包容力の差をつくってる。

それによってフィールドに入った瞬間の感動を強めている。

テレビ上との対比

普段のテレビとの対比もある。

テレビという選手の表情が分かるほどの近景の切り取りや決められた画面でのウォッチは、実際に球場で見るのとは違いそこに現実がないかのような錯覚を起こす。実際のスケールとの差や音の差、画面のサイズの違いがあまりにも大きすぎる。

そして観戦後、帰宅してから実際に球場であったことのフィードバックがテレビによって自動的にある。そのことは実際に球場で見たものが夢だったのか更に錯覚が深くなる。

応援の渦に巻き込まれる

自分が応援団の一員として参加でき、その非日常的な人数の同じ動作によって、違う次元に達することできる。

つまりプロの応援に自らが参加できるということである。

同心円状の広大で一体感のある応援。視覚的には普段一度に見ることのないほどの人数が同時にカラーリングのある道具をもって動く。

この普段あり得ない光景はさらには美しい。そして動きが拍手やメガホンなどによって聴覚に変わる。

球場が広すぎるが故に音と動作が自分に到達するまでに時間差ができる。

何をとっても普段にはない光景が生まれる。

聴覚的にもおもしろい点がある。球場の同心円状の形がスピーカーの役割を持ち、多数人が同じ音を発することによって自身も音になれる感覚になる。

④自分でこの感動の装置を転用し産み出せできるのか

ここで本題のこの感動を自分で意図的につくれるかである。

そもそも何故この感動が起きているかというと、選手がスイッチとなっている。

選手というプレイヤーに向け音が生まれ、そして選手が抑揚のある場面展開を時間ごとに生み出し、陽が生まれたとき(点が入る、ホームランを打つなど)に球場が円状になっているため全員が視界的に聴覚的に一体となり熱狂することにより自身の意図から自律し大人数の熱狂の渦に巻き込まれていく。

つまり意図的に応援をつくりだしているように思えるが、それは応援したい選手がいるためであり、その応援もあり選手は力を発揮しいいプレーを生み、そのシーンによって応援が熱狂するという相乗効果がある。

よって大多数のこの熱狂の渦を生むにはスイッチと人の半意図的な行動が必要なのである。

意図的にみんなで巨人のタオルを回しても難しいのではないか、そんなことを思いながらまた分析のために野球場に行きたいと思う。

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