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死んでほしくない。

前の記事を読んでくれた皆さん、声を掛けてくれた優しい人たち、ありがとうございました。
まだ、読んでないよという方も是非一度、目を通していただけると嬉しいです。

こんな重たい内容の記事を書くべきなのか、世界に向けて表現していいものなのか。
人の死はエンタメではないし、気を引くための道具でもない。

散々悩みましたが、結局形にしたのには理由があります。
それは、自分が目指してきた道、生き方の理由をハッキリさせてくれた出来事になったからです。
そして今、僕が何を考え、生きているかを表現したいと思った時に、書く必要があると思ったからです。

目指してきたもの、目指していくもの

社会人になってから、毎年のように職場を変え、住む場所を変え、自由に生きてきました。

五島列島で高校生の寮のハウスマスターをやったかと思えば、高知に2ヶ月だけ行ってみたり、自立援助ホームで働いたかと思えば、林業を始め、長野に移住してみたり。

傍から見れば、筋が通ってないように見えるかもしれませんが、自分の中では割と通っていたりします。
それは、人が死なないで済む方法、ヒントを探り、それを伝えられるように生きていくということ。
端的に言えば、苦しみを減らし、幸せに生きられる自分になり、人がそうなれるようにお手伝いをする。ということです。

以前記事にもしましたが、僕が高校2年の時に母親が他界しました。

それからは家に居場所がない(自業自得な面もあります)数年間を過ごしました。
その期間は病みに病みましたし、それこそ死にたがりでした。

そんなツラい時期を乗り越えられたのは、親友二人と本のおかげです。
ツラいという声を聴いてくれる人がいて、自分にない物事の捉え方を教えてくれる存在や言葉。
それらがあったから、今こうしてこの世に在り続けられています。

自分がしてもらったように、誰かにとっての救いのような、居場所のような存在になりたい。そんな想いで、五島列島で、自立援助ホームで働くことを選びました。

ただ、どうしても人と向き合い続ける仕事は心がすり減る。頭や心だけを使っていたら、心身のバランスがおかしくなる。身体も使わなきゃ。と思い、林業の道へ進むことを選びました。結果として、林業の面白さ、身体を動かすことの大切さを感じながら、林業を続けることができています。

そうして、自分の中では少しずつバランスが取れるようになってきて、病む頻度も減りました。
でもやはり心の中ではいつも、誰かの居場所になるという夢が燻り続けていました。

その理由をずっと、人の生きづらさをどうにかしたい。とか、少しでも生きるのを楽にしたい。とかそんな風に言語化していました。
でも、なんだかしっくり来てないなとも感じていたような気がします。

その表現も決して間違いではないし、これからも使い続けていくとは思いますが、親友の死を通して、"死んでほしくなかった"という言葉が自分の中に出てきた時に、あぁこの想いが自分を突き動かしているんだなと腑に落ちました。
死との距離は人それぞれ、あるいはその人の段階に依りますが、生きづらさの先にある"死"というものを無意識ながらに感じ、恐れていたんだと気付いたんです。

自分が死を意識していた時期があったからこそ、そしてそれに向かう道から少しずつ外れることができたからこそ、今苦しむ人たちが死からどのくらいの距離であろうと、その道から外れられるように、自分の手元にある本と言葉を使って、手助けをしたい。
それが自分の進む道、生き方を方向づけているものです。

その手段は一つではありません。
本と言葉が自分の手札の中では大きなものですが、身体の状態や腸の環境が心に与える影響の大きさも実感していますし、自然と触れることの大切さやお金を稼ぎ、生きていくことの難しさも痛感しています。

本屋かもしれないし、本のある居場所づくりかもしれないし、キャリアブレイクができるシェアハウスかもしれないし、リトリートかもしれない。その形はまだハッキリとしていません。
これからいくらでも変わり得ると思います。
もしかしたら、自分が生活していくので精一杯になり、何も形にできないかもしれません。

とりあえず今は、長野県の平谷村で、本屋というか、本のある場所(対話もできる場所)を作ろうと奮闘しています。もしできたら遊びに来て下さい。

とても長くなってしまいましたが、ここまで読んで下さった方がいてくれたら、とても嬉しいです。

僕が考えていることに賛同、共感してくれる方、もっと詳しく聞きたい!話をしてみたい!と思ってくれる方がいましたら、是非お話したいので、お声掛け下さい。

親友が旅立つ数日前の電話で、「兼進はこれからも色々経験して、40歳ぐらいで自分で何かを始める気がするな」と言われました。
何も続かない、落ち着きのない人生に不安を覚えることも多々ありますが、行動できることを心から羨ましく思ってくれていた彼のためにも、救ってあげられなかった彼の分も、自分なりの方法で、自分のペースで、もがいていこうと思います。

この記事を読んでくれた方の人生と、僕のこれからの人生が、何処かで交差するようなことがあれば、この記事を書いた意味があると思いますし、とても豊かなことだなと思います。

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

それでは、また。

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