叱り役だった父 小さいころ、私にとって父のイメージの中心は、畏怖だったのかもしれない。なぜなら、父と二人きりでいると、私は何を話したらいいかわからなかった。父の前では沈黙してしまい、その静寂を私はとても気まずく感じた。父のほうはというと、沈黙を変えようとしなかったので、その状況を気まずいとは感じていなかったのかもしれないが、ほんとうのところはどうかわからない。 父に対して畏怖を感じる原因を考えていると、次のようなことによるのだろうと思い至った。小さいころ、私のしつけにおい
おばちゃんの思い出 小さいころ、隣の家に自分を可愛がってくれるおばちゃんがいた。おばちゃんの年齢は40代だっただろうか、あるいは50代だったかもしれない。ずっと忘れていたが、最近おばちゃんのことをよく想い出す。今はどうしているかわからない。もし生きているとしても相当高齢だろう。 おばちゃんは東北の出身で、言葉がなまっていた。いつもニコニコしていて、僕のことをケン君ケン君と呼んでくれたが、どちらかというと「キン君」と聞こえた。おばちゃんは、背が低くて、少し小太りで、コロ
wantとmust 人間のこころには、「want (to)」と「must」の2つの側面があります。そのことについて、今回は自分の体験も交えて書こうと思っています。 人は皆、こころのキャンパスは真っ白な状態でこの世に生を受けます。物心がつくまでは、感情のまま親に甘えようとし、目の前のものにワクワクして興味をもち、「イヤなものはイヤだ」と全力で表現します。自分がこうしたいという「want」によって動機づけられる自分だけしか存在しません。 しかし、親からのしつけや、社会生活
今回のnote執筆にあたり 正直なところ、私は長い間自分の中にある不安やさみしさに悩んできました。この課題に取り組むために、『他人の期待に応えない』(SB新書)を上梓し、ある程度整理がついたと錯覚していたので、つい最近まで、不安をのりこえた後の豊かな世界について文章を書いてみようかと、思っていたところです。 しかしやはり、まだまだこの課題は完結していないのだなということを最近実感する機会がありました。私には昔から、人間関係がうまくいかないと、途端に大きく不安になったり、