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24年前に書いた初めてのプロレスコラム

今回、紹介するのは高校3年生の時に書いた文章です。高校時代、私は文芸部に所属していて、年に2回というスローペースながら部誌に寄稿していました。

1996年秋の文化祭に合わせて綴ったのは、プロレスに関する文章。小橋健太(現・建太)と長州力について書きました。これが「初めて書いたプロレスコラム」にあたります。1ヵ月ぐらいかかって書いた記憶がうっすらと残っています。

すでにスポーツライターを志していましたが、改めて読み直してみると、コラムなのか、ノンフィクションなのか、私小説なのか、ブレブレで意味不明な内容になっていました。文章力が成長していないことにも愕然としましたが、それでも暑苦しい文体に触れ、恥ずかしいような、まぶしいような不思議な気分になりましたよ。

なんせ24年も前に書かれたものなので、プロレスの在り方・見られ方が今とはだいぶ違うことを頭に入れつつ読んでみてください。改行などは全て当時のままにしてあります。

『プライド』/村上謙三久


 才能に勝る努力なんてこの世に存在しない。
 ある作家曰く
「作家を目指す人に一番必要なこと?自分に才能があるのかどうか、どれだけ早く見極めるかだよ」
 ある美大教授曰く
「私は才能のない生徒にははっきり言うことにしている。それが彼らのためだからだ」
 それは確かに正しい。人はよく“努力”という言葉を口にするが、必ずしもそれが報われるわけではない。いや、それどころではなく報われることなどまったく、ない。
 それはそうだ。努力が必ず壁を越えるのなら、誰だって我先にと頑張る。しかし、そんなに世間は甘くないのだ。努力は必ず壁にぶち当たる。

 答えはいとも簡単に出る。才能があるのか、それともないのか。ただそれだけでいい。みんな夢半ばにして敗れ、何度も妥協し、やがて現実味があり、それでいて案外幸せな生活を送るようになる。そして酒でも飲みながら、“昔は俺もあれで飯を食っていこうとしたもんだ”なんて懐かしそうに子供に聞かせるようになるのだ。
 それもひとつの生き方であり、ひとつの方法であって、そんな生き方のほうがもしかすると正しいのかもしれない。夢が叶うことと幸福になることは必ずしも直結していない。別の道が開け、そこで大成することだって充分あり得る。
 おもいっきりぶち当たる。砕け散る。諦める。それでおしまい。じゃあその次。そんな風に生きればいつか無難で居心地の良い場所が手に入る。周りの意見や流行に器用に乗ってしまえば、なおさら簡単だ。

 だがしかし、器用にならずにこだわる人間だっている。答えを先送りにしているだけかもしれない。それこそ時間の無駄だ。それでも妥協しない己へのプライドを持ち続けている人間だって、確かに存在するのだ。形にならない本当に大事な想いを手放すことなんて出来やしない。
 自分が満足する、自分が燃え尽きる、それだけを目指す。そこには栄光があるかもしれないが、冷静に考えればそれ以上に決定的な答えに深く打ちのめされ、何も残らない可能性が強い。

 意地になっても仕方ない。
 こだわる必要なんてない。
 形から入ったって構わない。
 その場その場で適当に。
 もっと器用に。
 もっと周りが認めてくれるように。
 大言壮語もよしとする。
 嘘も方便だ。

 しかし、なにもかえりみない、そんな不器用な生き方が私はたまらなく好きだ。自己に意固地に固執し続ける人間に惹かれてならないのである。
 私はこの夏に2人の男を追いかけていた。『小橋健太』と『長州力』、この2人だ。名前を知らない人も多いと思うが、彼らはプロレスラーである。それも超一流の。年齢も団体もスタイルも違うが、本物のプライドを持つ2人は、この夏新たな勲章を手にした。

三冠王座を初めて手にした小橋健太


 7月24日、日本武道館。私は興奮に身を火照らせながら、半ば放心状態で帰路についた。「小橋!小橋!」耳をつんざくような大歓声がまだ頭を離れない。
 この日、小橋健太はデビュー9年目にして初めてチャンピオンベルトを巻いたのであった。その9年のわずか半分ほどだけだが試合をずっと見続けてきた私にとって、それは感慨深いことだった。

 『努力の人』――小橋健太を一言で表すならこの言葉がピッタリであろう。努力するのは当たり前で、その上に何を積み重ねるかで勝負するプロの世界で、そんな言葉が合うということは凄いことなのである。
 プロレスに限らず、プロと名の付くスポーツの選手にはなんらかのバックボーンが必ず存在する。例えば、プロ野球の選手なら高校や大学の野球で活躍して、それが認められて晴れてプロの選手となる。プロレスラーもまたしかりで、アマチュアレスリングでのオリンピック出場や国体優勝なんて肩書きを持っている選手もざらにいるし、大相撲やプロフットボール、プロボクシング、プロ野球などの様々な『プロ』という冠の付いたスポーツを経験した人間も多い。
 そんな中、小橋健太は柔道とボディビルをかじった程度、というなんら変哲もない経験しかなかった。一度は一般企業に就職し、サラリーマンとしてごく普通の生活を送っていたが、どうしても夢を諦められずに、半ば押しかけ入門という形でプロレス界入りをした。しかし、この年は新人の豊作で、大相撲や格闘技経験者が沢山いて、どう考えても何の肩書きも持たない彼の入り込む余地はないように見えた。
 だから、彼はただ必死に練習するしかなかった。人の何倍も、何十倍も、寝る間を惜しんで練習し続けた。「仕事はプロレス、趣味は練習」とまで言われるほどで、慰安旅行に行っている時ですら練習するので、練習禁止令まで出たそうである。ファンという視点を差し引いて客観的に見ても、彼はもしかするとおかしいのではないかと思うほど禁欲的に練習をしていた。

 そして彼の努力は実を結ぶ。年間130試合、全国各地で行われる興行で毎回熱い試合を続け、ファンやマスコミの注目を集め始めたのだ。現代の冷めた世知辛い世の中において、完全燃焼をモットーとする彼のファイトはいっそう輝いた。
「所詮は八百長だろう」
 そんないい加減な気持ちで初めて彼の試合を見た時、その半ば狂信的にも見える彼のプロレスに対するひたむきさに、私は言いようのない感動に打ちのめされた。そこには八百長だとか嘘だとかそういうものを越えた『真実』があった。誰にも真似の出来ない彼の世界があったのである。
 そして、母子家庭という私と同じ境遇に育ったと聞いて私は彼に興味を持ち、いつのまにか声を枯らし応援するようにまでなっていた。
 そしてこの夏、ファンと共に歩んできた彼はとうとうチャンピオンになったのだった。左眼球打撲という怪我を試合中に受けながらの逆転劇だった。勝利者インタビューの時、彼は言葉をつまらせて泣いていた。周りを見ると、観客の中にも人目をはばからず泣いている人が沢山いた。皆、彼に自分を重ね、ずっと応援してきたのだろう。その光景と大歓声の中、私も込み上げてくるものを抑えられなかった。確かにその時、1万6千人の観客とリング上の彼はひとつだったのである。

タイトル戦翌日、道場で……

 だが一歩引いて客観的に考えてみれば、こういうことは案外そこら辺に転がっていることだったりもする。どんな世界でも頂点の人間が逆転するする時にはそれなりのドラマがある。私自身、最近はそういう感動に慣れすぎてしまった感は否めなかった。
 しかし、1週間後に発売された専門誌を読んだ時、さらにハンマーで叩かれたようなショックを受けたのである。
 この試合の記事の最後にこういうくだりがあった。

「7月25日、全日本プロレスの道場には、1人練習をする小橋の姿があったという」

 彼は自分自身の夢であるチャンピオンになった次の日に、まだ練習生も来ていない道場で練習をしていたのだ!
 人は自分の目指す結果が出た時、誰もが勝利の美酒に酔いしれ、そしてゆっくりと休養する。私たちだって試験の後は思いっきり遊んだりする。行事が終われば打ち上げだ。しかし、彼は次の日にはまた練習を始めた。
 いったい努力とは、何のためにするものなのだろう。私にとっての努力とは周りに認められるためにすることであり、地位や名声や愛する人の心や直接的な物を得るためにすることだった。彼も勝った時にチャンピオンという夢にまで見た栄光を手にした。しかし、彼は走ることをやめようとしない。地位や名声を得るためなら、チャンピオンになった時ぐらい楽をしてもいいはずなのに。
 私は努力することはとてもかっこ悪いように感じていた。熱血なんて今時流行りはしない。しゃかりきになってもうまくいかないものはうまくいかない。無理そうだ、そう思ったらやる気をなくしてしまうことだってあった。そして後に残る後悔。なぜ諦めてしまうのだろう。うまくいかなくたって、自分が満足すれば後悔など起こらないはずだ。
 私はただ人に良く思われたいから頑張っていたのだ。自分の行動理由を他人に求めていたのである。そんなものを努力と呼んでいいのだろうか。
 彼はただ自分のために孤独な努力を続ける。そしてあくまでもプラスアルファとして周りの人間が存在する。強くなりたい、その願望に終着点はない。体が傷つこうとも、最終的に無惨な姿になろうとも、彼が満足するまでそれはきっと続くことなのだ。誰のためでもなく、何を得るためでもなく、ただ自分のために…。彼は今日も完全燃焼しているだろう。

G1クライマックスで全勝優勝を成し遂げた長州力


 長州力。
 はっきり言って嫌いなレスラーである。単調なレスリングスタイルも、そのレスラー人生から見た自分勝手な生き方も共感できない。しかし、この夏、私はそんな彼に大きく感情を揺れ動かされたのである。

 44歳、彼の年齢は20代後半から30代前半がピークと言われるプロスポーツ界においてベテランに入る。体力的に見てももう落ち目であるし、長年のファイトで肉体に蓄積されたダメージも相当なものであるはずだ。
 10人の選手を2ブロックに分け、総当たりのリーグ戦を行い、新日本プロレスで一番強い男を決めるという『G1クライマックス』。この夏は8月2日から6日までの5日間、両国国技館で行われた。彼はそれで前人未踏の全勝優勝を成し遂げたのである。
 初日、橋本真也戦。この男の蹴りは、バット2本を思いっきり振ったのと同じ衝撃があるという計測結果がある。現時点のチャンピオンだ。長州はそんなキックを全身に受けまくった。5年前の大会ではこの蹴りの前にKO負けをして引退問題にまで発展したことがある。しかし、今回は壮絶な潰し合いの後、ラリアット7連発で勝利をモノにした。しかし、この試合で彼は左膝靱帯を痛めてしまった。
 2日目、がっちりとテーピングされた左膝と古傷の首を攻められ、観客の誰もが負けを予感した時、彼は凄まじい形相で立ち上がり、ラリアット2連発で25歳の天山広吉を撃破。不戦勝を挟み4日目。愛弟子の佐々木健介をスリーパーで絞め落とし、レフェリーストップ勝ち。決勝への切符を手にした。しかし、どう見ても左足の状態は最悪、歩くのがやっとで、精神力だけで戦っているという感じだった。ドクターがずっと寄り添っている惨状なのである。

 最終日、別のブロックから勝ち上がってきた蝶野正洋との優勝決定戦。彼の足からサポーター、テーピングは消えていた。どうなってもかまわない、長州の決死の覚悟が読み取れる。試合は予想通り、左足とガラスの首への執拗な攻撃が続く展開だった。2階にある私の席にまで長州の悲鳴にも似たうめき声が聞こえてくる。もう負けだろう、そう思われるシーンが何度もあった。しかし、彼は何度も立ち上がり、そしてとうとう勝利をモノにしたのだ。
 勝った瞬間、若手選手とリングドクターが駆け上がった。彼の左膝は既にパンクしていたのだ。だが、応急処置を受けた足を引きずりながらも、トロフィーをもらった彼の顔は自信に満ちていた。
 私は彼を応援していたわけではないから、小橋健太の場合のような感動は起きなかった。しかし、またもやハンマーで叩かれたようなショックにみまわれたことは認めずにはいられなかった。

 いったい彼をこんな歳になってまでこんな激しいリングに向かわせるものとは何だろう。彼だけに限らずこの5連戦で様々な選手を見てきた。靱帯・半月板を損傷し、脇腹を痛め、優勝する可能性が無くなっても欠場せずに戦い続けたレスラー。靱帯を2本も失って、歩くことさえ困難なはずなのに、4mの高さのコーナーから相手選手以外は鉄柵とコンクリートの床しかない場外に飛び続け、頭蓋骨骨折(後に判明)という大怪我の中、勝利したレスラー。いろんな傷を負いながらも戦い続ける人間がここには存在する。女子レスラーにだって同じように、首をもう一度怪我したら命の保証はできないと医者に言われながらも試合を続ける人がいる。
 プロレスは、世間一般には悪く思われがちだが、実は凄いものなのである。一般人だったら入院を免れない怪我にみまわれても、休まず激しい試合を続ける。単純そうに見える技でも普通の人間が受けると死にかねない殺人技だったりもする。事実、プロの中でも死人だってでている。その昔、ガダルカナル・タカがロープに振られただけで骨折したそうだ。
 彼ら(彼女ら)はいったい何のためにそんなリングに上がり続けるのだろう。身体のことや辞めた後のことを考えたのなら、そんなことはできないはず。

長州が勝利者インタビューで語った言葉

 今回優勝した長州力はオーバーワークのため、血尿が出たそうだ。そこまで自分を追い詰められたからこそ今回の勝利がある。彼は勝利者インタビューでこういう言葉を言っている。

「俺は今回誰一人に対しても“ありがとうございました”と言うつもりはない。俺一人で頑張ってきた」
「俺は絶対にギブアップしないよ」
「間違いなく優勝するのは俺だと自分でも確信していた」
「俺は自分に100点を付けるよ」

 彼がここまで言い切れるのはなぜか。それは彼が自己への強いプライドを持っているからではないだろうか。しかも、物凄い努力に裏付けされたプライドをだ。誰にも否定させない(時には頑固にも思えるが)気高いプライドが彼をここまで強くしたのである。レスラーはそんなプライドを守り、実践するためにリングに向かうのかもしれない。
 私には誇れるほどのプライドがない。あるのは現実味のない理想と屁理屈だけだ。口先だけだったら、どんなかっこいい文句や愛の言葉も言える。でもそれは所詮は嘘だ。地に足の付いていない嘘八百だ。今、必要なのは思想論机上の空論のような言葉ではなく、レスラーのようにプライドを持てるような何かに熱中することなのではないか、そう思えて仕方ない。
 人間いろいろなことで悩む。迷ったり、後悔もする。いったいどこに答えがあるのだろう。誰かに頼ったり、教えを乞うたり、甘えたりもする。人や時代のせいにしてしまう。
 しかし、結局のところ、そんなことをしていても答えなど出ない。もっと簡単なことなのだ。頑張り続けるしかないのである。ピンと背筋を伸ばし、プライドを持ち続けるしかないのである。何もかもが流されていく世の中で、プライドだけが人間の個性を形成する。
 みんな『ひとり』なのである。みんなで何かをやり遂げる、それも絶対に必要なことだ。しかし、『ひとり』なのである。周りはあくまでもプラスアルファ。本当に大事なのは、他人の評価やそれからつながる利益ではなく、自分の気持ちなのだ。

「こんな面倒くさいことやってられるかよ」
 中学時代、運動部にいた頃によく聞いた言葉だ。そう口々に良いながら、塾だのと嘘をついて部活をサボるヤツがいた。この高校にもそういう人間が存在するはずだ。
 そういう人間にはプライドがないのか。自分の責任で入ったのだから、最後までやり遂げるべきなんじゃないのか。一度も部活をサボらなかった私の中学3年間、プライドと自信はしっかり残った。
 他人は他人、自分は自分、事なかれ主義、そんなのはもう嫌だ。自分が認められないことは断固として拒否する。意固地と言われてもそんな風になれるプライドを持ちたい。そこには他人の評価や栄光は存在しないかもしれない。そして、それはただの自己満足かもしれない。ない方が楽に決まっている。しかし、そうすればきっと自分自身を誉めることができて、もっともっと自分を好きになれるはずだ。答えとは、他の誰からでもない自分自身が自分を認め、評価することから生まれるのである。

 今回挙げた2人のレスラーも所詮は天才だっただけなのかもしれない。彼らの下には、どうにもならない壁に阻まれ沈んでいった人々が沢山いるはず。彼らに自分を重ねている私は、結局は何もできない大馬鹿なのかもしれない。
 才能に勝る努力なし。結果論で言えばそれは事実だろう。しかし、大事なのは結果ではなく過程だ。勝負に負けたって、人を感動させたり、自分を満足させることはできる。思い、追い続けてきた時間は決して無駄じゃない。チャンピオンベルトはいつか誰かに奪われてしまう。残るのはぶざまな敗北者。そして朽ち果てた身体だけで、目に見えるものは何一つ残りはしない。しかし、チャンピオンだったという誇り、そして観客たちの感動はいつまでも消えることはないのだ。
 私はこれからも何度も堂々巡りを続けることだろう。だが、ありきたりの文句だが、自分だけには嘘をつきたくない。どんな時でも一本プライドという名の芯の通った人間でありたい。誰も見ていなくたっていい。自分自身がちゃんと見ていてくれるから。


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