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[趣旨文1] 注文の多い「からだの錯覚」の研究室展2:人体の幾何学的転回

11月25〜27日に、ナディアパークにある名古屋市青少年文化センターにて、研究室展示『注文の多いからだの錯覚の研究室展2:人体の幾何学的転回』[公式HP]を開催する。前身の研究室展フォーマットである、岐阜で開催していた(2015年が初開催の)『からだは戦場だよ』から数えると7回目、名古屋に場所を移して、『注文の多いからだの錯覚の研究室展』と名前を変えてからは、2年ぶり2回目の展示となる。だから、本展は、『注文の多いからだの錯覚の研究室展2』であると同時に、『からだは戦場だよ7』でもある。

前回の展示から2年の間にあまりに色々なことがあった。少しばかり、学生の活躍に触れておきたい。前展に4年生として参加した今井健人の《XRAYSCOPE》は、その年の世界錯覚コンテストに入賞し、翌年のXR CREATIVE AWARDでは優秀賞を獲得した。同じく4年生だった元橋洸佐の《ROOM TILT STICK》は(卒業生・森光洋との共作)、翌年に著名な国際展であるSIGGRAPH ASIAのXRプログラムに採択され、同会議での出展を果たしている。昨年は、小鷹研究室として、東京新宿のICCの一連の展示(オープンスペース・キッズプログラム)に、一年を通して参加した。オープンスペース前半では、5年にわたる『からだは戦場だよ』、および前展の注文錯覚展の記録資料を時系列に沿って並べ、一種の回顧展的な空間を作ることができた(「小鷹研究室の錯覚論争2016-20」)。キッズプログラムでは、前展でも展示した宇佐美日苗の《あなたは今、紙を貼っています》を、ICCの展示会場の壁一面に展開することができた(この作品、昨年の一連の展示の中での僕自身のハイライトでもある)。現・博士後期課程の佐藤優太郎の《蟹の錯覚》は、ICCの展示への出品を果たしただけでなく、昨年冬から旭川市科学館サイパルで常設展示されている。


と、まぁ、ここに書いたものは全て、前展に出展したものが、その後、大学の外へと飛び出して、より多くの人の目に触れることになった、そんな幸福なストーリーの一端である。彼ら学生の活躍には目を見張るものがあるが、実のところ、この種のことは、それ以前の『からだは戦場だよ』でも、程度の差はあれ、くりかえし起こってきたことでもある。前展にせよ、その前に5年続いた戦場にせよ、それらの展示は、単なる「学生の発表会」のような場として企画されたものではない(この一連の展示に限っては、教育的な配慮を前面に出すことなど決して許されないのだ)。それは、小鷹研究室という名の(たまたま大学に存在している)実験集団による、壮大な<からだ>の実験の場であり、そこで発表される種々の新作体験は、現代の情報環境に支配的な何某かの教義に対して、じわじわと浸透する毒薬的な効用を与えるものでなくてはならない。それこそが、戦場〜注文に連なる一連の研究室展の開催意義なのだ。毒薬の強度が維持できなくなったのならば、こんな予算的に巨大なマイナスでしかない展示は、さっさとやめてしまえばよい。学生の発表の機会など、他に山ほどあるのだから。


《キュービック体操》(元橋洸佐・鈴木剛・小鷹研理)

で、本展においてその毒薬の役割を担うのが、『人体の幾何学的転回』である。ポスターのイメージが半ば予告しているように、『人体の幾何学的転回』とは、自らの身体を幾何学的な抽象形状として運用する態度一般のことを指している。この種の身体の運用のために必要なのは、例えば、一本の長い棒である。背面に回した手腕と背中の間に、その何の変哲もない棒を通すことによって、両手は上半身の塊としての<キューブ>の中へと同化する。この拘束下で、(VRの中で直方体と化した)下半身を固定したままに、上半身を上下左右に捻ると、上半身の直方体は、下半身の直方体から半ば独立した動きを獲得する。要するに、上半身と下半身との心理的接着を剥がされ、自らの身体にもとより内在していた、「上半身の自己」と「下半身の自己」による、分離的容態が、より鮮明に意識されることになるのだ。


ポスターのためのラフスケッチ(mo's design)

以上は、<幾何学的身体>によって生じる、身体運用における主観的効用の、(重要ではあれ)単なる一つの例にすぎない。現在、修士2年となった元橋くんを中心に、既にして、10以上のパターンの「キュービック体操」がVive Pro環境の上で実装され、それぞれに微妙に毛色の異なる幾何学身体の体験を僕たちは共有している。そのいずれもが、もう10年(!!)も、さまざまな角度から「からだの錯覚」の実践をおこなってきた僕自身に、極めて新鮮な気づきを与えてくれる。小鷹研究室のこれまでの試みで言うと、モノとしての身体の位相である<ボディジェクト>に近接しているようにもみえるが、より積極的な抽象化のための方向性が示されている。いわば、<構造化されたボディジェクト>とでも言えるような新たな地平。いずれにせよ、この「幾何学的身体」の提案が、現代の情報環境世界の教義に対して、いかなる意義を持ちうるか、今のところ、まだ確かな言葉を見つけることはできない。それでも、まず僕自身が、半ば未知なるものと出会っている、という体感こそが全てだ。これは、小鷹研究室の名を冠した展示で仰々しく問われるべき、何ものかである、と。その意味で、展示において僕自身が設定している、最初の壁は、十分な確度でクリアしている。

(正直言うと)この壁さえクリアしてしまえば、あとはただ、雪だるまを転がして大きくしていく要領で、一定の手続きを粛々とすすめていけばよい。だから、もう現時点で、ほとんど展示について心配していない。逆に言えば、この最初の壁こそがもっとも険しく、難攻不落であり、理屈や経験で乗り越えられるようなものでは全くない。戦場〜注文の研究室展を、2019年から隔年開催としているのも、そうした事情による。さっきも言ったけど、この壁を乗り越えられなくなったと感じたら、もう(こんな調子で)扇動的な展示をやることもなくなるだろう。

今回も、その危機は確かにあった。というか(危機というのは言い過ぎで)、守りに入るという意味では、すでに各所で絶大な評価を受けている「スライムハンド」を主題としてもよかったわけだけど、結果的にそうはならなかった。もちろん、《スライムハンド》は、今回の展示の中でも激烈に重要な要素となるもので、実のところ、佐藤くんと今井くんと一緒に、さまざまなバリエーションの"透明スライムハンド体験"が、今この瞬間にも生まれつつある(即錯エリアはスライム祭り?になるかも)。これはこれで非常に実験的なテーマではあった。ただ、僕自身、スライムについては、(昨年来の十分な考察の時期を経て)もうある程度「わかっている」という事情もあり、今回の展示のテーマの中心に据えるのは、なんとなく気乗りがしなかった。そんなとき、ふっと天から降りて来たのが、<幾何学的身体>である。少し考えてみて、すぐにチラシの(あの)絵がみえた。これでいける、と。

少し長くなってしまった。今回の展示のもう一つの大きな目玉である、言語学者・伊藤雄馬さんとのゲストトークについては、[趣旨文2] として改めて投稿します。

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