見出し画像

17805 インドネシア独立の日。スディルマン将軍像を前にして

8月17日。
昨日はインドネシアが独立を宣言した、インドネシアの独立記念日です。
この日と一緒に語られる「ムルデカ」という言葉は、「独立」や「自由」を意味するマレー語です。

ということで、昨日はお世話になっている方のご縁で、「第9回日本インドネシア友好ーインドネシア独立の英雄スディルマン将軍像献花式」に初めて参列させていただきました。

スディルマン将軍とは、インドネシアにおける日本軍政時代、日本軍の軍事訓練を受けて郷土防衛義勇軍(略称:PETA(ペタ))の大隊長を務め、独立戦争を戦い、インドネシアを独立に導いた英雄です。

平成23年にインドネシア国防省から寄贈された銅像が、防衛省内の市ヶ谷記念館の脇に堂々と立っています。

さて、なぜインドネシア国防省からスディルマン将軍像が寄贈されたかというと、それはインドネシアの独立に日本が大きく関わっているからです。

日本は大東亜戦争に敗戦しましたが、その8月15日以降、実は約2,000人も野日本兵がインドネシアに留まり、オランダによる植民地支配から独立を果たすためにインドネシア人と共に戦ったのです。

丁度2か月前の6月17日、天皇皇后両陛下はインドネシアに行幸啓されました。そして、6月20日にはジャカルタにある「カリバタ英雄墓地」を訪れ、ご供花されました。

カリバタ英雄墓地は、インドネシア独立戦争中に戦死した将兵、そして戦後に亡くなった元将兵が埋葬されている国立追悼施設です。

この場所には、28名の元残留日本兵も埋葬されています。

スディルマン将軍像が、防衛省内の市ヶ谷記念館の脇に建てられていることを先述しましたが、実はこの「市ヶ谷記念館」はかつて極東国際軍事裁判(通称:東京裁判)が行われた場所でもあります。

敗戦後、日本の精神的武装解除を意図してGHQ(連合国最高司令官総司令部)は占領政策を実行し、その象徴たるものが「日本国憲法」であるわけです。

制定から75年以上経った今日においても、私達は一度も憲法を改正することができていません。

憲法の語源は「Constitution」、すなわち「国体・国柄」といった意味を持つことから、その国の国是(我が国はどのような国か)を法的に定めたものと考えています。
その国是が、我が国の弱体化の思想に基づいていることは、国の在り方としてあり得ないことだと思います。

東京裁判が行われた場所を、じっと見つめるように立つインドネシア独立の英雄・スディルマン将軍。

日本はいかにあるべきか。
スディルマン将軍像を前に厳しく自問し、様々なことを思う機会となりました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?