憲法審査会 2023年4月13日 議事録

各会派代表の発言

新藤義孝(自由民主党・無所属の会)
自民党の新藤義孝です。本日は先週の審査会で提起いたしました憲法9条に関する論点につきまして、さらに意見を申し上げたいと思います。
私たちの9条改正に関する考え方は、日本国憲法の3大原理の1つである「平和主義」を堅持し、9条1項・2項は変えずに、9条の2として、前項の規定は「わが国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つために必要な自衛の措置をとることを妨げず、そのための実力組織として自衛隊を保持する」とこの旨の規定を設けようとするものであります。国民の生命と財産・領土や主権を守り抜く事は、国家最大の責務であり、いずれの国もその固有の権能として自衛権を保持している事は言うまでもありません。日本国憲法における安全保障に関する条項は9条のみであり、この条項を持ってわが国は国家の自衛権に基づく専守防衛を謳っている、とされています。しかし現行の9条を以ってして国防を規定していると言えるのでしょうか。現行の9条は1項で「戦争放棄」2項で「戦力不保持」と「交戦権否認」を定めておりますが、これは平和主義と自衛権行使のあり方に関する規定であり、国防規定そのものではありません。本来であればまず、国防規定と国防の担い手である実力組織についての規定があり、その上で現行9条の1項・2項のような平和主義と自衛権行使のあり方に関する規定を置くのが憲法として本来の姿だと思います。
現行憲法には平和主義の規定はあっても、主権国家が有する固有の自然権である自衛権に基づく国防に関する規定がないままとなっているわけです。これは憲法がGHQの占領下という特異な状況で制定されたからであり、安全保障に関する規定である9条には、その土台となるはずの国防規定が欠落したままとなっているわけであります。
占領下に於いて、制定された憲法が不自然な状態であることは当時、すでにGHQの上位機関である極東委員会も認識をしていた節がございます。
極東委員会はGHQを通じ、日本政府に対し、憲法施行後1年以上2年以内に改正の要否を再検討すること、すなわち日本国憲法が日本国民の自由意志を表明したものであることを確認するための国民投票行ってはどうか、との意思を示しているわけであります。結果として、これまで国民投票は実施されていませんが、日本国民の憲法に関する意思表明が必要であるという認識は、当時のGHQの担当者の証言からも明らかになっております。
実際に日本国憲法の起草に誘わ携わったGHQスタッフのミルトン・エスマン氏は「日本国憲法は外国人が作ったもので、日本国民が受け入れてくれるとは思えず、占領が終わったら残らないだろうと思った」と述べています。
またリチャード・プール氏も、「日本国憲法が全く修正を加えることなく50年続いたことに驚いている。日本の皆さんありがとう」と述べているわけであります。これは1997年に憲法調査委員会設置推進議員連盟が憲政記念館で開催した憲法施行50年を記念したフォーラムでの発言であり、亡き中山太郎先生とともに、私もチャーターメンバーとしてこの運営には関わっておりました。この発言を当時、驚きと共に鮮明に覚えているわけであります。
25年前の日本の国会においては、憲法改正の議論を行う場すらなく、憲法改正について発言することすらタブー視されるような状況だったからであります。このように振りかえると、私たち自民党が提案している国防規定と「自衛隊」を明記する9条改正たたき台素案は、まさしく占領下で制定された憲法の欠落を補うものであることがお分かりいただけると思います。たたき台素案においては、現行法の自衛隊の法的位置づけや、必要最小限度の自衛権行使の範囲について、これまでの解釈に変更を加えるものではなく、現行の9条1項・2項と、新たに追加する9条の2は矛盾しない位置づけとなっており、9条の例外を設けるものではありません。
いかなる場合においても、国民の生命と財産、領土や主権を守りぬくという国家最大の任務について、国防規定として憲法に規定するとともに、この国防を担う実力組織として、自衛隊を憲法に明記することは、国家の基本法である憲法を頂点とした法体系を完成させることを意味し、防衛政策の内容や性質に変更もたらすものでは無いわけです。
以上の憲法9条に関する基本的な考え方について、これまでいくつかのご意見をいただいておりますので、これに対する私たちの考え方を申し上げます。
まず一点目でございます。現在の9条では、激変する安全保障環境に対応することが難しいため、「戦力不保持」「交戦権否認」を定める9条2項を削除して、わが国もフルスペックの個別的・集団的自衛権を行使できるようにすべきではないか、とのご意見をいただくことがございます。憲法9条改正にあたっての大前提となるのは、日本国憲法の3大原理の1つである平和主義の原理を、今後もしっかりと受け継いでいくことであり、2項削除論について、国民の議論は、現時点では深まっているとは考えておりません。
二点目として、現在の9条解釈から導かれる「必要最小限度」は曖昧ではないかとの意見があります。
そもそも安全保障における「必要最小限度」の概念は、相対的なものであって、国際情勢や信頼の内容や、程度によって対応していくものであります。その具体的な内容や対処については、平和安全法制や防衛三文書等の関連政策や防衛予算に関する国会論議を通じ、整理されるものと考えております。
三点目は、たたき台素案は「必要な自衛の措置を取ることを妨げず」としていますが「妨げず」では9条2項の例外規定と位置づけられることになり、フルスペックの個別的・集団的自衛権の行使まで可能となるのではないか、という意見であります。
私たちのたたき台素案にいう「妨げず」は、例外規定ではなく、あくまで9条2項の範囲内にあることを確認する規定であり、この表現は一般的に法令で用いられているものであります。
最後に、たたき台素案の内容では、自衛隊が国会や内閣、裁判所と並ぶ憲法機関となり、通常の行政各部である防衛省の上位機関となるのではないか、との意見もいただいております。しかし防衛省と自衛隊は現行法において表裏一体の行政組織であり、防衛省は組織の管理運営を行い、自衛隊は実力行使を担う機関と位置づけられております。
自衛隊を憲法に明記するのは、国防という究極の実力行使を担うことに着目したものであって、両者が表裏一体の行政組織であるという性格に変更が加えられるものではありません。
このことはたたき台素案において、「法律の定めるところにより自衛隊を保持する」との文言からも明らかになっております。
以上が、私たちの憲法9条改正に関するたたき台素案の内容と、基本的な考え方の整理であります。
今回、私が触れた論点につきまして、次回以降、各会派の委員なりのご意見をお聞かせいただき、さらに作業を深めていきたいと願っております。
今朝の幹事会におきまして、来週の定例日にも審査会を開催し、この議論を継続することを提案したいたしました。今後も憲法審査会が安定的に開催され、充実し、かつ深い議論が行われるよう委員各位のご理解とご協力をお願いして私の発言と致します。


中川正春(立憲民主党・無所属)
立憲民主党の中川正春です。まず国民投票法について整理をしていきたいというふうに思います。
国民投票法が制定された2007年頃は、現状のようにインターネット利用が情報環境にこれほど大きな変革をもたらすという想定はなかったと思われます。
憲法改正国民投票法運動は、原則自由とされて、インターネットを利用した憲法改正国民投票運動を規制するための国民投票法の規定は儲けられなかったと認識をしています。しかし、この間に憲法審査会では、情報化社会の進展とそれから諸外国の情勢を認識していく中で2021年の国民投票法の改正の際に、放送広告やインターネット広告について、付属第4条の検討条項を加えて、これをさらに内容を精査しながら、この観点を組み込んでいかなければならないということにいたしました。付属第4条に書かれたのは、1つ目の投票環境整備のために必要な事項と、2つ目の国民投票の公平及び公正を確保するために必要な事項、これに大別されます。
1つ目の投票環境整備については、2022年4月に衆議院に提出された国民投票法改正案の審議が継続中であり、2つ目の公平公正の確保については、今まさにこの憲法審査会で議論して結論を出していくべきものであります。
その例として、付属第4条では、まず①憲法改正投票国民運動または憲法改正案に対する賛否の意見表明のためのインターネット等を利用する方法による有料広告の制限、その②として、憲法改正国民投票に関するインターネット等の適正な利用の確保を図るための方策、というのが挙げられております。
私たち立憲民主党は、すでにこの分野を含めた改正案を準備していますが、この出発点を踏まえて、ここでは特にインターネット広告についてその論点を整理し、規制の要否について、この審査会で順序建てて結論を見立てていく事を改めて提案したいというふうに思います。
第一には、新たな情報環境に対応するためには、放送広告とは別の観点から、効果的なインターネット広告規制を設けていくことが必要だという認識を共有すること、さらにインターネット広告規制の目的が透明性の確保、公平公正の確保、インターネット上の情報操作対策、の3つであるとすれば、この目的を達成するために、どこまで個人の表現の自由に委ね、どこから規制を設けるか、設ける必要があるのか。これについて、最近、国立国会図書館から非常に参考になる海外事例を整理した報告書が出て参りました。国によって規制のあり方はそれぞれですが、特にEUについては、現在インターネット広告規制の規則案の審議の真っ只中だと報告されておりまして、私たちも同時進行的に議論を進めれば、非常に効果的だというふうに考えております。
インターネット広告規制の入り口の議論として、この国立国会図書館で海外事情を理解するために整理された論点は、私たちの議論の進捗に大きく役立つと判断してここに示してみたいと思います。
まず第一に透明性の確保に係る情報のインターネット広告への表示義務、それから第二に、政治広告に関するオンラインアーカイブの設置等の義務、それから支出規制、そして外国人等に対する規制、偽情報や誤情報等の拡散規制、そしてターゲティング及び増幅の技術の使用規制、インターネットを用いた商業広告の利用の規制、等であります。
ここで改めて国立国会図書館に審査会での報告を求めるように、幹事会で取り上げていただくようにお願いを、提案をしていきたいと思います。
それから、海外の情勢報告を見ていると、こうした論点は今の私たちの議論の対象になっている憲法改正のための国民投票に限らず、一般の国民投票や、選挙そのものを対象にした規制となっていることに、今更ながら日本国内の議論の遅れを感じざるをえません。大阪などで実施された住民投票の場面も含めて、現状、業界によるガイドラインによる規制で運用されていると理解をしています。上記の海外事例に対して、日本の業界のガイドラインがどれほどの位置づけになっているのか、こんなこともぜひ専門家を参考人招致して明らかにしていくべきだというふうに思っています。
令和4年に提出された投票環境整備に関する国民投票法、正案だけでなく、こうした論点の整理をした上で、具体的にどのような規制をかけていくか、各党の合意を作ることが必要であります。もう少し具体的な論点を審査会で固めていった段階で、幹事会での改正案作りを承認していただいて、具体的な国民投票法改正の案のたたき台を幹事会の場で、合意形成して作っていくということを提案していきたいと思います。
次に、安全保障であります。先週、新藤筆頭から、憲法9条への自衛隊明記が提案されました。これについての私たちの考え方を述べます。
結論から言えば、「自衛隊」の明記は必要ないのではないかということであります。現状で自衛隊は合憲、またその役割と必要性については、国民に十分に理解されていると認識しているからであります。
9条議論されるべき論点はここにあるのではない、というふうに思います。私たちにとって、現在最重要だと思われる論点は、想定される自衛隊の運用が、従来から大切にしてきた9条の憲法解釈である「専守防衛」「必要最小限度の自衛力」「集団的自衛権の禁止」という規範をなし崩し的に加えてきているという事実であります。
私たちはこれまでの規範を大切にして、日米安保も含め、現実の安保政策をこの範疇に収めるべきだと言って参りました。これは国民のコンセンサスでもあると思います。私たちの推測では、政府自民党は、安全保障の見直しに係る憲法問題では、これまでの憲法解釈を政府の安保政策の見直しに合わせる形で解釈変更していくか、あるいはまたは、自民党憲法草案にあるように、憲法9条そのものを書き換えることを考えているとしか思えないのであります。私たちはこれには強く反対をしていきたいと思います。その上で、今進めなければならない議論があるとすれば、現実の安保三文書や、日米ガイドライン、中でも敵基地攻撃能力の保持や、43兆円の膨大な予算の積み増しなどが、憲法という枠組みの中で、どのように位置づけられるのか、はっきりさせていくことであります。特に、第三者のここでも意見を聞いていくということから始めることが大切だと思いまして、改めてここの分野についても、参考人の招致を求めていきます。
私の議論は以上であります。ありがとうございました。

岩谷良平(日本維新の会)
日本維新の会の岩谷良平です。本日は憲法9条とりわけ自衛隊の存在の合憲性に関わる憲法改正について、日本維新の会の現時点での考え方を述べます。
その前に先週、沖縄県宮古島付近で行方不明になった陸上自衛隊のヘリコプターに搭乗されていた10名の皆様が、一刻も早く発見されますことをお祈りいたします。
また、本日午前7時半前に、北朝鮮から弾道ミサイルの可能性のあるものが発射されたとの発表がありました。断固として抗議いたします。そして、抗議するだけではなく、この間、議論が重ねられてきた有事に備えた緊急事態条項を憲法に設けることや、これから申し上げる、憲法9条の改正等、国及び国民の安全を守るため、いつまでも「議論、議論」と言わずに、早期に結論を出して前に進めていくことが、憲法審査会の委員たる我々の使命ではないでしょうか。さて、このように、わが国を取り巻く安全保障環境が深刻化する中で、自衛隊を排することが非現実的である事は論を待ちません。一方で、自衛隊の存在が憲法上認められるかについて、自衛のための必要最小限度の実力は、憲法で保持することを禁じられている「戦力」に当たらないので合憲である、との政府解釈には批判も多く、憲法学者の間では、現行憲法の下では自衛隊は違憲とする考えが通説的な地位を占めています。
この現状は、わが国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つ根幹をなす自衛隊が、解釈によって存在していることにより、違憲の可能性が指摘され続けることになり、立憲主義の観点から大きな問題です。よって、現実的に必要な存在である実力組織である自衛隊を、苦しい解釈によるのではなく、憲法に明確に位置づけて、より明らかに合憲の存在とすべきです。
このため、日本維新の会は、現在の9条1項・2項をそのまま維持した上で、憲法に「自衛隊」を明記するために、新たに設ける9条の2で、「前条の範囲内で法律の定めるところにより行政各部の一として自衛のための実力組織としての自衛隊を保持する」と規定すべきと考えます。
9条の2を設けて、自衛隊を憲法に位置付け、自衛隊違憲論を解消すべきとの主旨は自民党案も同様だと理解しています。しかしその際、留意すべきポイントがいくつかありますので、配布した資料に基づいてご説明いたします。
まずポイントの1つ目は、新設する9条の2が9条の枠内であることの明確化です。すなわち、9条の2が現行9条の規範に影響を与えないようにするということです。この点、自民党案では同様の考え方の下、「妨げず」という文言を用いていますが、「妨げず」には、確認規定の意味の他に、例外規定の意味を持つ時があるため、9条に穴を開けるつもりか、と疑念を抱かれることになりかねません。
そこで我々の案では、前条すなわち「9条の範囲内で」という表現を用いることを提案しています。そうすれば、新設する9条の2がどのような規定であれ、現行9条の枠をとび出る事はあり得なくなり、現行9条の重要規範である「必要最小限度」や「専守防衛」が疑念を持たれることなく、より明確に維持されることになります。
なお、「専守防衛」や「必要最小限度」の規範については、昨年12月に岸田総理に提出した日本維新の会の「国家安全保証戦略等の改定に対する提言書」でお示しした通り、専守防衛とは、個々では国民の生命に被害が出た後のみ反撃が可能となることを意味するものではなく、他国の侵略を未然に防ぐに足る十分な抑止力、すなわち、わが党が掲げる積極防衛能力の保持は、専守防衛の理念に合致すること、及び必要最小限度の実力とは、その時々の国際情勢や相手国の状況及びそれらへの対処の選択肢等に応じて変化するものであることに留意する必要があります。
次に、ポイントの2つ目は、自衛隊の保持と任務の明確化です。自衛隊を憲法に位置づけるにあたっては、それが何を任務とするどのような組織なのかを書く必要があります。この点、自民党案では、「わが国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つための実力組織」とされていますが、簡潔な記述を基調とするわが国の憲法においては、他の規定とのバランスからも、シンプルに「自衛のための実力組織」と書くだけで良いと考えます。
すなわち、自衛隊という実力組織の任務が、我が国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つこと、つまり国防」であることを示すには、単に「自衛のため」と書くだけで、必要かつ十分です。
次に、ポイントの3つ目は、自衛隊が行政機関であることの明確化です。
自衛隊を憲法に明記することで、自衛隊が国会・内閣・裁判所や、会計検査院と同じような憲法上の機関となりますが、それに加えて、防衛省と異なる位置づけの機関になったのか、との疑問が出てきます。
そこで、自衛隊と防衛省との関係を明確に整理しておく必要がありますが、この点については、「行政各部の一として」と書けば良いと考えます。行政各部という表現は、現行憲法72条に「内閣総理大臣は行政各部を指揮監督する」という形で用いられており、「行政各部の一」と書くことによって、自衛隊が各行政機関と同格であることが明確となり、防衛省との関係を含めて、現在の位置づけから変わらないことが明確になります。
この視点は自民党の条文イメージにはなく、わが党の独自の緻密な条文作成のポイントでもあります。
ポイントの4つ目は、シビリアンコントロールの明確化です。自衛隊は武力を行使する究極の実力組織であることから、民主的統制に服しめることを明確にすることも重要なことです。
そこで維新の案では、「法律の定めるところにより」と書いています。これにより具体的には、自衛隊法や事態対処法等で規定することになり、既に現行法に規定がある通り、「①内閣総理大臣を最高指揮監督者とする行政府内の統制と②国会承認・報告等による立法府の統制」の両方を機能させることが明確になると考えます。
なお、この点について自民党案は、「内閣総理大臣を最高の指揮監督者とする」や、「法律の定めるところにより国会の承認その他の統制に服する」とされており、行政府と立法の両方の統制を図る点で、同様の趣旨の規定になっていると理解しております。
以上のような我々の案は、現行の政府解釈を前提に、必要最小限の改正によって、自衛隊の合憲性に対する疑義の解消を図るものであり、多くの国民の皆様にも受け入れて頂けるものではないかと考えています。
なお、我々維新の会が提案しているように、憲法改正して憲法裁判所が設置されれば、現行の憲法の下での自衛隊の合憲性に関して抽象的違憲審査が行われることになると想定されます。そして合憲と判断されれば、違憲性の疑義は解消されますし、仮に違憲と判断されれば、現実的な判断として憲法9条を改正し、自衛隊を合憲化する動きが一気に進むものと考えられます。
すなわち憲法裁判所は、いわゆる裁判の政治化や、政治の裁判化を引き起こすのではないか、とのご意見をいただいておりますが、このように憲法裁判所が設置されれば、裁判が政治を動かす、あるいは政治が裁判を動かすダイナミックで動的な権力分立となり、それは望ましいことであるとも考えられることを付言致しまして、私の発言を終わります。ありがとうございました。



浜地雅一(公明党)
公明党の浜地雅一です。本日、反撃能力と専守防衛、また自衛隊の憲法上の位置づけについて私見を述べたいと思います。
まず反撃能力と専守防衛については、私も参加しました安保三文書の与党ワーキングチームでの議論を紹介しつつ、見解を述べたいと思います。今日は1枚、ペーパーをお配りしております。
「専守防衛」とは、言うまでもなく、お配りしました図の下のほうの3つのパーツからなっておりますけれども、このワーキングチームでは先制攻撃は許されないという、専守防衛の1つ目のパーツ、これを端的に表すものとして名称を「反撃」、あくまで相手方の武力攻撃が発生してからのカウンターであることを意識しまして、このような名称を定義致しました。英語で読みますとcounter capabilitiesというふうに表現されます。
また、この反撃の定義の中で、「わが国に対する武力が攻撃発生し」としたため、存立危機事態において、反撃を行使し得るかが、表現されていないのではないかと、「我が国と密接に関係のある他国に対する」と加えるべきではないかとの指摘もございましたが、反撃能力はそもそも政策的な概念で法的な概念ではありません。
また、この「反撃」の定義の中に、「武力の行使の3要件に基づき」と明記することで、存立危機事態も含むと読めると、そのように整理を行いました。
とは言え、確認的に安保三文書の中には、2015年平和安全法制時に示された、自衛の措置の3要件に当てはまる場合に、この反撃能力は行使し得る旨を記載させていただいたところでございます。
次に、反撃に用いるスタンドオフミサイルと、専守防衛との関係について。これは専守防衛の定義の3つ目に関わる問題だと思っております。いわゆる保持できる必要最小限度の防衛力かどうか。この問題につきましては、その時々の国際情勢や科学技術の安全保障の環境によって左右される相対的なものである事は皆様ご承知の通りと思っております。
しかし一方で、安全保障環境が変化すれば、どのような装備も保持できるかというとそうではなく、政府はこれまで保持できる防衛力の限界として、「性能上、もっぱら相手国の国土の壊滅的破壊のためにのみ用いる核兵器や長距離戦略爆撃機など攻撃的兵器は必要最小限度を超える」と答弁をしてきております。ですのでこのスタンドオフミサイルはこの限界を超えないのか、という問題が生じました。
スタンドオフミサイルは、まず通常弾頭を搭載し、その上で精密誘導ミサイルでございます。性能上、目的を的確に捉えることができます。よって相手国の国土全体を五月雨式、網羅的に攻撃するものではない。当然、的確な目的情報や攻撃効果の測定が前提となりますが、いわゆる壊滅的破壊にのみ用いるような装備ではない、というふうに整理をいたしました。
次に、とはいっても、現下の安全保証環境は、反撃能力の保有を質的に必要最小限度を超えないか、ということが問題になります。これは変則型ミサイルやマッハを超える極超音速弾の登場によりまして、BMDを中心とする現在のミサイル防衛網だけでは防ぎきれないかもしれない、国民の生命・安全を守るために、現下の安全保障環境では、ミサイル防衛では、まずはミサイル防衛で防ぎつつ、有効な反撃を加えることが必要だろうということで、整理を致しました。
次に、「専守防衛」の2つ目の、行使の大要としての必要最小限度性の問題でございます。これは自衛権三要件のうちの、相手方の武力攻撃を排除するに必要最小限度というものを超えないかどうか、という事の問題でもございますが、これは裏を返せば、自衛権行使の場合に、必ず反撃能力を行使するのではなく、反撃を加えなければ相手方の武力攻撃を排除できない場合でなければ、行使の大要としての「必要最小限度」を超えるものと理解されます。
これを担保するために、ワーキングチームでは、国会承認の対象となります武力攻撃等の認定における対処基本方針において、時代の経緯や武力攻撃の認定にあたっての前提となる事実を記載する際、反撃まで加えなければ相手方の武力攻撃を排除できないような事態であるのか、もちろん、反撃能力は自衛権の一環ですから、明示的に反撃能力行使の要否までの記載は求めませんが、事態の経緯等から、反撃も含む防衛出動の発動の要否を我々国会が判断できるように、詳細に記載するよう求めたところでございます。
また、軍事目標以外に反撃を加える事は、国際法上違反であるため、これも行使の必要最小限度性の問題として、整理をいたしました。スタンドオフミサイルは、精密誘導弾であるため、軍事目標のみを攻撃することは、性能上可能であり、必要最小限度は超えないと判断したところでございます。ワーキングチームでは「反撃能力は自衛権の一環であるため、自衛の措置の3要件、そしてその前提となる専守防衛との整合性を意識して議論したことを紹介させていただきました。
次に、自衛隊の憲法上の位置づけについて述べますと、まず憲法9条1項2項は堅持すべきです。また、一部にある自衛隊違憲論を払拭するために憲法上明記するという議論ではなく、自衛隊は言うまでもなく、わが国の最大の実力組織であるわけでありますので、これに対する民主的統制の観点から、憲法上に書き込んでいく、民主主義・国民主義と言う観点から、憲法価値を高めていく意味で、ふさわしい書きぶりを求めていくべきだろうと思います。
そこで私は自衛隊法7条の「内閣総理大臣が内閣を代表して自衛隊に対する指揮監督権を有する」という民主的統制を定めた規定、これを憲法価値を高めるために、憲法上明記していく。そうなりますとおそらく、憲法の統治機構の中の72条とか73条の「内閣の職務」として書き込んでいくのも1つ考えられるのではないかと思います。この考え方は、前回、自民党さんも示されました、図の、「自衛隊を国防の担い手としての組織的側面及びシビリアンコントロールの側面から規定する」という部分と重なると思います。
他方、行動的側面、つまり自衛権の具体的な内容を書き込むことについては、慎重さが求められると思います。
ご案内の通り、自衛隊の存在及び自衛の措置の限界については、これまで長い綿密な議論を通して、解釈に解釈を積み重ねて現在確立されたものでございます。特に限定的集団的自衛権を含む自衛の措置の限界を示した平成26年7月1日の閣議決定に於いては、憲法9条と前文、及び憲法13条から、「わが国の存立を全うするために、必要な自衛の措置をとる事は禁じていない」と、砂川判決と軌を一にする、これまでの解釈を紹介しつつ、自衛の措置は国民の生命・自由・幸福の幸福追求の権利が根底から覆される事態に対し、やむを得ない措置として初めて許容されるという、昭和47年10月14日、参議院決算委員会への提出資料を引用して、これが、政府が一貫して表明してきた見解の根幹、基本的論理として、憲法9条下では今後も維持されなければならないと明記をされております。その上で、武力の行使は、わが国を防衛するためのやむを得ない自衛の措置として許容されると、あくまで自国防衛に限る旨が明示されておるわけでございます。
当時の安倍総理も、国会答弁で「憲法9条の解釈に関する従来の政府見解の、この基本的論理を超えて武力の行使が認められるとするには、憲法改正が必要になる」と述べられております。憲法9条下で許容される自衛の措置の限界は、解釈を積み上げて確立したものでありまして、これを正確に表現する事は、私は大変難しいものではないかと思いますし、また、これをあえて表現しますと、返って自衛の措置の必要最小限度性や、専守防衛について新たな解釈が生まれる余地が生じてしまうのではないかと、私は懸念するところでございます。私の見解は以上でございます。



玉木雄一郎(国民民主党・無所属クラブ)
国民民主党の玉木雄一郎です。まず、緊急事態において国政選挙が実施できない場合の対応について述べたいと思います。先週、多くの委員から、立憲民主党は議員任期の延長のための憲法改正は絶対反対では無い、解釈や法改正でできないことが明らかになれば、改憲も当然との意見表明があったことを改めて評価したいと思います。
これまでの議論の中で、繰延投票では対応できないことが明らかになったと思いますので、残された論点は、緊急集会の一時的・臨時的・限界的な射程がどこまで伸び得るのか、ということに収斂されてきたと思います。
前回、日本維新、我が党、そして有志の会の3会派で示した案では、「選挙の一体性が害されるほど広範な地域において、国政選挙の適正な実施が70日を超えて困難であることが明らかな場合に延長を認めること」としております。逆に言うと、70日までは緊急集会の活用をするということで、棲み分けを明確にしています。
今日は公明党の先生方に伺いたいのですが、昨日、参議院の憲法審査会で、御党の議員から、「70日を超えても緊急集会で対応せざるをえない」旨の発言があったと承知しております。本院でのこれまでの主な議論は、あくまで緊急集会は、期間限定かつ事後的に、衆議院の同意がなければ効力を失う臨時的なものであり、取り扱える案件も、浜地議員からも過去の例も示しながら、内閣が求めたある種限定的なものに限定されているという事だったと思います。
仮に70日を超えて対応できるとしたら、逆にどの程度の期間、どのような案件について対応できると考えているのか、公明党さんの考えがあれば伺いたいと思いますし、衆議院と参議院でそこは意見がそもそも違うのか、同じなのか、まだ収斂されていないのか、現状として教えいただければと思います。
次に、立憲民主党の篠原委員に。前議員の身分復活について、改めて伺います。前回、回答頂いたんですが、理解出来なくて夜も眠れないので、改めて伺いたいとおもいます。前回、「前議員に国会と同じような権能を与えてもいいんじゃないか」と述べられて、同時に「すべてのことを憲法にきちんと規定しなくちゃいけないと言うのは理想だ」と、「安全保証の大事な部分だって、違憲だと思われることをもうしているわけですから」と述べられておられます。これは、「選挙できないような緊急事態において違憲だと仮に思われても、前議員に議員と同じような特別の身分を与える法律を作れ」と言う趣旨だと理解したのですが、しかしこれは明らかに、議員でないものに議員と同様の権限を与える立法は、議員任期を定めた憲法45条46条、国会が唯一の立法機関と定めた41条、参議院の緊急集会の対応を定めた54条2項に違反する、違憲立法にならざるを得ないと思います。
本当に係る立法が可能と考えているのか、改めて篠原委員の、或いは立憲民主党の意見を伺いたいと思います。
次に、新藤幹事から説明のあった自民党の9条改正案、先ほど岩谷委員からも、維新の会の説明もありましたので、これについての国民民主党の考えを申し述べたいと思います。
両党から出された案も1案だと思います。ただ、我が党の中で引き続き議論している中で、まず自民党の改憲4項目の9条改正については、立法事実、憲法事実というか、改正の目的は何なのかというとことが重要だと思っています。
解説文書を読ませていただいたのですが、「憲法学者が違憲だと言ってる」「教科書に違憲論がある」、共産党さんだと思うのですが、「違憲だと言っている国政政党がある」と、いう事は、憲法上事実と位置づけられていて、実態的に「是れ是れができないから是れ是れをできるようにするために改正する」という実体的な目的が書いていません。かつては集団的自衛権の行使ができないから改正が必要だという議論でしたが、先程ありました2014年、2015年の議論の中で、平和安全法制の議論の中で解釈変更を行ったので、絶対的な改正の必要性が消失していると思います。逆に言えば、今の自民党案だと、例えば共産党さんが「自衛隊は合憲だ」と認めた瞬間に憲法事実がなくなってしまうということになるので、共産党さんも護憲の立場を維持するのであれば、自衛隊を合憲だと認めれば、今の憲法を一字一句変えなくて済むようになるので、双方ハッピーなのかなと、思いますので、ぜひ護憲のためにも、自衛隊を合憲だと認めた瞬間に、少なくとも自民党案の改憲目的は1つ消えるのかなと思います。
私たち国民民主党はせっかく9条を改正するなら、そうした弱い理由ではなくて、国家・国民を守るために、国家にどのような軍事的公権力の行使を認めるのかといった、本質的な議論が必要だと思います。改正する以上は、追加で
何ができるようになるのか、つまり、自衛権の位置づけを国民に明確に示す改正であるべきだと考えます。
自民党案も、そして維新の案も同様と思いますが、改正文案を示されていますが、自衛権の範囲については結局、従来の9条の解釈に「維持する」あるいは「範囲内である」としているので、何ができるのかは結局、解釈なんですね。
この憲法改正をしようとしているのに、その実態は結局、改正の文案をいくら見てもわからなくて、解釈に委ねざるを得ないと。自衛権の行使の範囲を解釈にゆだねている以上、「戦力不保持」を定めた9条2項との永遠の解釈論争を結局、改正後も引きずるのではないか。つまり自衛隊という組織の違憲性は消えることになりますけれども、自衛隊が行使する自衛権の範囲については、9条2項との関係で、永遠の解釈論争が残り続けて、自民党さんが特に明記されている「憲法学者から違憲だと言われる」とか「教科書に書いてあるとか言われる」あるいは「共産党さんが“違憲だ”と言う」ことが消えないのではないかと。
つまり、ものすごい政治的な労力を経て改正しても、目的である“違憲論に終止符を打つ”ということが達成できず、労を多くして益少なしの改正になってしまうのではないかということを懸念します。
もし、自衛権の範囲の解釈をめぐる違憲論争に終止符を打つのであれば、維持しようとしている、あるいは範囲内としている9条の解釈の内容を、ある程度改正案に明記すべきではないかと考えます。
今、浜地先生からも「全部書くとまたややこしい解釈が出てくる」となるんですが、書かなくても解釈は出るので、だから例えば、新三要件をある程度書くというのは1つの案ではないかということは提案したいと思います。
結局、「条文を読んだだけでは何ができるのかがわからない」という、この根源的な問題が解決しないので、この点についてはこれから議論をぜひ深めていきたいと思います。
私も仮に、自衛権の範囲はこれまで同様解釈に委ねるとして、自衛隊の組織としての違憲性の否定と、シビリアンコントロールの明確化のみを改憲の目的とするのであれば、むしろ第5章の「内閣」の章に「必要な自衛の措置をとる実力組織として、法律の定めるところにより、内閣総理大臣を最高の指揮監督者とする自衛隊を保持する」こういう規定を一文設けた方が改正の目的には合致するのではないかというふうに思います。
9条を改正して、自衛権行使の本質の議論をするのであれば、やはり「戦力不保持」を定めた9条2項を残したままでいいのか、あるいは自衛隊を軍として位置づけなくていいのか、自衛隊は軍人なのかどうか、国際法との関係、その身分も含めて身分の在り方も含めて、より本質的な議論を深め、将来に禍根が残らないような、つまりやり残した感がないような改正にしないと、非常に意味が少ないのではないかと思っています。
なお、我々国民民主党は、2020年の12月にまとめた憲法改正の論点整理の中においては、9条2項を存置する案と、存置しない案の、今、2案を条文イメージ案として取りまとめており、党内でも議論を継続しております。
本審査会でもこうした自衛権をめぐる本質的な議論を提起していきたいと思いますし、また各党・各派の先生方からのご意見も伺いたいと思います。以上です。

赤嶺政賢(日本共産党)
日本共産党の赤嶺政賢です。せっかく玉木先生からアドバイス頂いたわけですが、日本共産党は9条を断固として守り抜くという立場には変わりがありませんので、そういう立場からですね、憲法審査会、改憲のための審査会は、動かすべきではないということを改めて申し上げたいと思います。
日本共産党としては、私は先週に続いて、岸田軍拡とアメリカとの関係について意見を述べます。
前回私は、今の長射程ミサイルの配備計画は、アメリカの軍事戦略から始まったものであり、敵基地攻撃はアメリカの統合防空ミサイル防衛IAMDの一翼を担うものだと指摘しましたが、今の軍拡は、徹頭徹尾、アメリカが起点です。軍事費のGDP 2%も、アメリカの要求に基づくものです。アメリカは同盟国に対し、軍事費をGDP 2%に引き上げるよう繰り返し求めてきました。トランプ前大統領は、就任以来NATO諸国に24年までの2%の目標を早期に達成するよう繰り返し圧力を加え、「今すぐ2%を払わなければならない。最終的には4%に上げろ」などと恫喝してきました。NATOだけではありません。当時のエスパー国防長官は2020年10月に、日本を含むすべての同盟国が最低でもGDP比2%を防衛費に充てることを期待すると述べています。このもとで岸田首相は、昨年5月の日米首脳会談で防衛費の相当な増額を表明し、軍事費のGDP 2%へと踏み切ったのです。岸田首相は、しきりに「必要な防衛力を積み上げた結果だ」と弁明していますが。軍事費を補完する取り組みは、一体何をどこまでやるのか、検討を進めるための仕組みさえまだ決まっていません。首相自身が安保三文書の中身が決まる前から、2%に増額するよう財務大臣や防衛大臣に指示しております。数字ありきそのものです。日本の軍事費がGDP 2%になれば、アメリカ・中国に次ぐ世界第3位となります。「軍事大国ではない」などと言うのは詭弁に過ぎません。
大軍拡の中身はアメリカの言いなりです。23年度のFMS調達は1兆4000億円以上になり、前年度の4倍という破格の金額です。安保三文書ではトマホーク400発を始め、F35戦闘機、イージスシステムなど、アメリカ製の高額兵器が大量に並んでいます。日本国民の血税を、アメリカの巨大軍事企業に差し出すものです。
岸田政権は、この大軍拡の財源を国民の生活に不可欠な予算の削減や所得税の増税でまかなおうとしています。
軍事のために、国民の命と暮らしを犠牲にするものです。この点で、憲法と財政の根幹に関わる重大な問題として、2つの点を指摘しておきます。
1つは、軍事費を公債で賄うことです。岸田政権は戦後初めて軍拡財源のために建設公債を4343億円を発行することを決めました。これは過去の戦争の教訓を全く顧みないものです。日本政府は前の大戦で、戦費を調達するために大量の公債を発行して軍備を増強しました。国家財政も国民生活も破綻に追い込みながら、侵略戦争へと突き進んだのです。この反省から、財政法4条は公債の発行を原則禁止しています。財政法を起案した大蔵省の平井平治主計局法規課長は、1947年に発行された財政法逐条解説で4条について「高裁のないところに戦争は無いと断言し得るのである。したがって本条はまた憲法の戦争放棄の規定を裏書き補償せんとするものである」とのべています。
財政法4条は憲法9条を具現化したものであることを、重く受け止めるべきです。
第二に、予備費の軍拡財源への転用です。岸田政権は、大軍拡の財源として今後5年間で決算剰余金から3兆5000億円を充当し、さらに想定を上回る増加分として9000億円を当て込んでいます。政府は2022年度の予算に、コロナ対策や物価高騰への経済対策を理由に10兆円もの予備費を計上し、約4兆円が不用額として決算剰余金に繰り入れられます。自民党は、この予備費を軍拡の財源に注ぎ込むことを検討していると報じられています。
日本国憲法83条は「国の財政を処理する権限は、国会の議決に基づいてこれを行使しなければならない」と明記しています。予備費は災害等の予見し難い予算の不足に当てるものであり、巨額の予備費を計上すること自体、国会の権能を奪うものです。さらに、これが軍拡財源に使用するなど、幾重にも財政民主主義を蹂躙するものであります。
あらゆる面で憲法を踏みにじり、大軍拡を推し進めることは絶対に許されないことを強調して発言を終わります。

北神圭朗(有志の会)
有志の会の北神圭朗です。先週、参議院の緊急集会の射程、機能、権限に関して優先的に議論すべきだ、という提案がありました。これについては私の考えでは、かなり議論が積み重ねられているというふうに思っています。
直近では、先ほど玉木委員からもありましし、私も発言しましたし、浜地委員からもありました。
その結論を、結論まで行くのかわかりませんが、大体収斂しているのは、緊急集会というのは選挙ができる状況を前提とした平時の制度であって、長期にわたり、選挙が実施できないような緊急事態を想定していないということです。
しかも憲法は両議員を以って初めて国会が構成されることを規定しています。よって、我々の3会派の共同提案では、一時的・暫定的・限定的な緊急対応は、緊急集会で対応することとし、70日を超えるような長期にわたる場合には、議員任期の延長で対応すべきだという整理をしています。
また、任期延長議論に合わせて、国会の閉会禁止・解散禁止・即時召集といった、憲法改正事項についても検討すべきだと言う発言がありましたが、これについても議論をかなり重ねていて、ほとんど反対するものはいないと言うふうに思います。我々3回はでも本日から具体的な条文案の作業に入り、今月中にも纏めてまいりたいと思います。
これらに対して、反論や別の論点があるんだったら、ぜひお示しをして頂きたいと思います。
次に、新藤幹事より、9条に関する発言がありました。自民党案では、これまでの「必要最小限度の実力の解釈を維持する」ということです。この「必要最小限度」という文言、基準については、本日は少し歴史的なお話をしたいと思います。これは東京外国語大学の篠田英朗先生の論文で私も初めて知りましたが、それによると、ことの経緯はこういうことです。
1954年と古い話になりますが、その年の12月に、鳩山一郎率いる日本民主党が政権を取りました。この政権は、9条2項にある「戦力」について、「必要な自衛力であれば禁止されない」という基準を示していました。他方で、日本自由党は、「最小限の実力であれば禁止されない」という基準を掲げていました。
必要な自衛力なのか、最小限の実力なのか、この論争をめぐって、この争点をめぐって両党が国会で真っ向から対立していたと。そして1955年、翌年の6月16日の衆議院内閣委員会で、自由党の江崎真澄委員が鳩山総理を激しく追求します。総理は、答弁に窮し、同義によって委員会は休憩に入る。そして2時間半に及んだ休憩の末、鳩山総理は委員会にやおら再登場し、必要でもない、最小限でもない、「必要最小限度の防衛力を持てる」と宣言したそうです。
自由党側は、これはなかなかの妙案だと評価し、その後に林修造内閣法制局長官は、何事もなかったように「必要最小限度の実力とは、かくかくしかじか、こういうものだと考えることができる」と自説を滔滔と述べ続けます。そして今日に至るわけです。
つまり必要最小限度という言葉は、2時間半の休憩時間内に、国会を切り抜けるために、大慌てで内閣法制局らが作り上げた技術革新の賜物です。民主党の「必要な自衛力」と、自由党の「最小限の実力」の新たな結合であります。
その5ヶ月後に、自由党と民主党が合流して自由民主党ができるので、ある意味では自然な流れではないかというふうに思います。逆に言えば、憲法学者や内閣法制局が法律論を詰めたものでは無いようであります。2時間半の休憩時間の中で見出された苦肉の策をめぐって、わが国は70年、口角泡を飛ばし議論をしてきたのです。こうした政局の濛々たる世界から、より澄み切った国際法の世界に目を転じると、ご案内の通り、自衛権とは、急迫不正の侵害を排除するために、主権国家に認められている固有の権利です。具体的には、国連憲章第51条で、武力行使の一般的禁止を前提に、安全保障理事会が、平和及び安全の維持に必要な措置を取るまでの間、各加盟国に個別的、そして集団的自衛権を認めています。そこで自衛権の制約については、国際法上、「必要性・均衡性の原則」という基準が確立されています。必要性とは、武力行使に訴える以外に自衛の手段がないこと、均衡性とは、受けた武力攻撃に対して均衡のとれた形で武力を行使することです。反撃能力もここに入るんだと思います。
ここで大事なのは、どの兵器は許され、どの兵器は許されないといった、厳密さが不可能なところに厳密さを求めるがゆえに、非現実的な制約は、国際法上は求められていないということです。
新藤幹事はおっしゃるように、当然それはその時の国際状況に応じて、柔軟な解釈するのは私は現実的だというふうに思います。問題は、わが国の憲法では、少なくとも今の解釈では、9条で「装備の種類」とか「軍事作戦の内容」にまで、厳密かどうかわかりませんが、厳密を建前とする制約を設けている。います。だから、おっしゃるような柔軟な解釈をするたんびに、神学論争が起きて、逆に柔軟性が損われる。そして野党側からは、「立憲主義に反している」というような疑いをもたれると、いうところが、私の問題意識であります。
もう一つ、平和主義の話がありました、フルスペックの集団的自衛権との。これは、日本国憲法の平和主義というのはよく1928年の不戦条約の精神を継承するものと言われています。しかしこの条約によって、戦争が国際法上、違法なものとされたものの、武力行使そのものは違法化されていません。また不戦条約と同様に、戦間期に発足した国際連盟には対抗措置、そのルールを守らない国に対する対抗措置の仕組みが、欠けていました。そのため、その後の第二次世界大戦が防げなかったという反省を踏まえて、1945年の国連憲章では、武力行使を違法化しながら、安全保障理事会による強制措置という対抗措置の仕組みを設けました。
しかしながらご存知の通り、安保理の機能不全により、期待された安保理の強制措置が発動される見込みがほぼないのが現状です。そのために、これも国際法上の基準としての個別的・フルスペックの集団的自衛権が依然として私は重要な意味合いを持つものだというふうに考えています。
新藤幹事の話では、フルスペックの集団的自衛権は、日本国憲法が掲げる平和主義に抵触するのではないか、という話なんですが、私は今申し上げた国連憲章の第51条、そしてその個別的自衛権・集団的自衛権のあり方、これも国際法上の平和主義の中身です。だから、日本国憲法の掲げる平和主義と、国際法上の国連憲章上の平和主義、この違いがどこにあるのかということを、今後議論を深めてまいりたいというふうに思っています。
いずれにせよ、「必要最小限」という基準については、政局を離れて、こうした国際法上の観点をも踏まえた議論が求められるということを申し上げて、私の意見とします。

各委員の発言

越智隆雄(自由民主党・無所属の会)
自由民主党の越智隆雄でございます。本日は9条について私の考えを述べたいと思います。
国民を守る事は本来、国家最大の使命であります。にもかかわらず、現行憲法にはその発想が明確ではなく、国家の最重要責務に対する規定とも言うべき、国防規定が存在がいたしません。これは日本国憲法が占領下という主権が著しく制限された状態で制定されたものであり、武装解除により、その能力を保持していない状態では、国防規定を定めようがなかったということなのかもしれません。当時、国際社会は、発足して間もない国連による国際平和維持の仕組みに、より大きな期待を寄せておりました。前文が掲げる「平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」という行が、まさにこの精神を反映したものといえます。
しかし国連発足直後から、東西冷戦構造を背景として、安保理がいわゆる拒否権のために機能不全に陥り、日本国憲法が理想とした、国際平和秩序の維持は実現しないまま、今に至っています。そうした状況の中で、国がどのように国民を守り抜くのかという基本理念について、国の最高規範である憲法に規定しないまま憲法解釈と立法政策にゆだねてしまって良いのか、このような問題意識に立って自民党は、平成30年条文イメージたたき台素案を策定し、「自衛隊」明記を提案しております。
本日は、これを前提に、改めてその内容について私の考えを述べて参ります。
現行9条1項の「戦争の放棄」はいわゆる侵略戦争の放棄を示すものであり、パリ不戦条約に始まり、大西洋憲章、カイロ宣言を経て、国連憲章に至る国際的な平和主義の概念である事は周知の通りであります。一方、9条2項は、我が国独自の徹底した平和主義や専守防衛の精神を表したものであり、今後も大切にしていくべきものと考えております。したがって、現行9条の1項・2項は、一言一句変えずに堅持をいたします。
その上で自民党は、9条の2として、「わが国の平和と独立を守り国及び国民の安全を保つために必要な知恵の措置を取るための実力組織として自衛隊を保持する」との規定を新たに設けて、現行9条1項・2項の解釈を維持した上で、等身大の自衛隊を憲法に明記することを提案しております。
これは国民を守り抜くための国防規定と、それを担う実力組織に関する規定が存在しないという、日本国憲法の最大の欠陥を補うものと位置づけることができます。また、これに加えまして、シビリアンコントロールに関する規定も設け、憲法に明記される自衛隊が、行政権の主体である内閣の指揮監督の下にあつことや、国会による統制に服することを明確にすることも提案しています。
もっとも、憲法改正の原案作りの作業は、各政党・会派が条文案を持ち寄るのではなく、この憲法審査会で議論を深め、論点が整理されていく中で、原案の内容が徐々に作り上げられていくものと承知しております。その意味では、今述べた、わが党の「自衛隊明記案」も、条文イメージたたき台素案でありまして、あくまで考え方を提示しているに過ぎません。わが国を取り巻く安全保障環境が厳しさを増す中で、様々な議論があり得るところであり、審査会においても、そうした議論を活発に行っていくべきだと考えております。
憲法改正により、国の形を整えて、次の世代に引き渡せるように、憲法をアップデートしていく事は、今を生きる私たちの責任ではないでしょうか。そして、その最も重要な一歩が、国家の最重要責務規定とも言うべき、国防規定や、それを担う実力組織に関する規定を設けることだと、確信しています。今後も9条をはじめとする重要事項について、憲法審査会で丁寧に議論を深め、幅広い合意を得ていきたいと考えております。以上でございます。

谷田川元(立憲民主党・無所属)
立憲民主党の谷田川元です。緊急事態であっても、国会の機能を維持しなければならない。そのためにも議員の任期延長が必要だとの意見がこれまで多く出されました。しかしながら、国会機能の維持にそれほどこだわるのであれば、その国会機能を不全にする、時の政権による恣意的な衆議院解散について、なぜ議論しないのでしょうか。
この問題は、緊急事態ではなくても常に生じることです。先に議論するのが筋ではないでしょうか。
岸田総理は、衆議院解散は時の総理大臣の専権事項と何度も発言しています。私はこの表現に違和感を覚えます。
「専権」という字を広辞苑で引いてみますと、「権力を欲しいままにする事。思うままに権力を振るう事」とあります。すなわち専権事項というのは、総理大臣が勝手に決めて、決めた以上は従わなければならないということです。
令和5年度予算が成立して、岸田総理が公明党に挨拶した時に、山口代表が「解散ではありませんね」と発言し、岸田総理を牽制したととの報道を目にしました。
山口代表もかねてより「解散は総理の専権事項」という表現を何度も用いられていますが、総理にあのような発言をするなら、今後「解散は総理の専権事項」という表現は避けた方が良いのではないでしょうか。
総理の専権事項ではないことを示す実例を1つ紹介したいと思います。
戦後行われた26回の衆議院総選挙で、唯一任期満了選挙となったのは1976年の12月のことです。
その3ヶ月前の段階で、三木武夫総理は、解散を行うための閣議を開きましたが、実に15名の閣僚が反対をし、解散を断念せざるをえませんでした。反対する閣僚15名を罷免し、三木総理自身が15名の閣僚を兼務し、解散する手段はありましたが、「自分は議会人としてそれはできなかった」と後に語っておられます。
まして、現在の岸田内閣は自公連立政権です。連立与党である公明党の意向を無視して、岸田総理が解散を強行しようとすれば、公明党の閣僚を罷免せざるをえなくなります。公明党の支持を得て、国会の指名を受け就任した岸田総理がそのような暴挙に出る事は議会人としてありえないことです。解散は総理の専権事項という言葉は、現状ではなおさら誤っています。
また、衆議院議長を務められました堀茂氏が、衆議院解散に関して、とても見識の高い文章を残しています。
福田赳夫内閣が、日中平和友好条約締結という外交的成果を掲げて、解散を検討していた1978年7月に書かれたものです。堀氏は次のように述べています。「憲法上、国権の最高機関であり、唯一の立法機関である国会を、内閣が勝手に助言と承認することによって7条解散を行う事は問題がある。それは憲法の精神を歪曲するものだ。特別な理由もないのに行政府が一方的に解散しようと言うことであれば、それは憲法上の権利の乱用だ」。
また、佐藤内閣によるいわゆる沖縄解散直後の1970年2月の国会の代表質問で、自民党の政調会長であられた水田三喜男氏も、「国会議員の任期が保障されない限り、議員は常に選挙運動に追われて落ち着かず、国会の公正な審議と採決が、常に選挙用のジェスチャーによって妨げられる実情を決して故なしとは思えない」と述べているのです。
こうした良識あるお二人の自民党の政治家が、今生きて居られたら現状をどう思われるでしょうか。残念ながら直近3回の解散は「今やれば勝てる。1週間でも選挙を早くやった方が有利だ」との党利・党略以外の何ものでもありません。
小選挙区制導入等の政治改革を指導した佐々木毅元東大教授は、安倍政権による2回の恣意的な解散を批判し、政治改革の議論の中で、総理の解散権の制限にまで考えを及ばせなかったことに、反省の弁を述べられています。
民主主義の土台である選挙の公正性を確保するという観点からも、総理の解散権の乱用を防止する立法措置を検討すべきです。仮に、法律の射程範囲を超えるんであれば、憲法改正を視野に入れるべきだと私は思います。
国会機能の維持を重視するのであれば、緊急事態という万が一の場合の、議員任期延長を議論するよりも、通常事態における、恣意的な解散権行使の抑止を、先に議論するべきだということを重ねて申し上げ、私の発言を終わります。

小野泰輔(日本維新の会)
日本維新の会の小野泰輔です。本日は、緊急事態条項における司法の関与について、所見を申し述べます。
先々週、先週と、各会派からのご意見で、議員任期の延長の判断に対して、司法がどう関与すべきかのお考えを拝聴することができました。自民党の新藤幹事の先々週のご発言では、緊急事態の認定は、一時的に政治が責任を負うべきであり、その信任は民主主義の根幹である国政選挙によってなされるべき、とする一方、必ずしも裁判所の関与否定するものではなく、現行司法制度においても選挙困難事態により、私人の権利侵害を訴えることができるほか、客観訴訟の対象として選挙困難事態を扱うことも可能としました。同党の柴山委員会からも、同様のご発言があり、加えて既存の裁判所の改革にも言及をされました。
立憲民主党の中川幹事、奥野委員からは、最高裁判所が違憲立法審査権を適切に行使していないという現状認識から、現行の裁判所の改革または憲法裁判所の設立の議論の必要性が示されました。
公明党の北側幹事からは、憲法裁判所は現行の司法制度を大きく変更するもので、憲法改正のみならず、権限の内容、訴訟手続、組織体制、裁判官の資格等、詳細な制度設計が必要であり、ハードルが高いのではないかという旨のコメントをいただきました。その上で、緊急事態下での議員任期延長と、憲法裁判所の問題を切り離して議論すべきとのご意見も頂戴しました。また自民党の皆様と同様、憲法裁判所によらず現行の通常裁判所による選挙困難事態の
判断方法として、法律で要件や手続きを定めてその適法性を判断する客観訴訟の可能性についても触れられました。
その際、選挙困難事態の認定は、内閣が事態の状況等を総合的に勘案して、緊急に判断することに鑑みれば、内閣の判断が合意的な裁量の範囲を大きく逸脱し、極めて明白に違憲であることが必要とも述べられています。
自民党・公明党の皆様からも、司法の関与のあり方について言及されたことについては非常に嬉しく思っています。
選挙困難事態の認定において、立法府の歯止めがきかなくなることについて、私たち議員こそが自らそのような可能性を想定し、制度上の手当てをしていくことが歴史上、幾多の民主主義の限界を見てきた我々の責務ではないかと考えます。
選挙困難事態を国会が認定したことに対するチェック機能を憲法改正を行う憲法裁判所ではなく、現行制度の下での司法の関与に求める方が、より合理的かつ現実的であるとの、新藤幹事のご主張は、各会派が合意できる憲法改正原を取りまとめるという観点からは、理解できます。しかしながら我が国の最高裁判所は統治行為論を採用し、高度な政治的判断を伴う法的紛争については、原則として裁判所は判断を下さないという姿勢をとっています。
選挙困難事態において、時の国会がずっとその事態認定を解除しないという可能性が、全くないと言えない中、仮に客観訴訟の制度を法律で設けたとしても、その判断が高度な政治的判断を含むという理由で審理に腰が引けるといったことも考えられます。そのようなことから、純粋に憲法問題に関する判断を行うことを使命とする憲法裁判所の創設に関して、この機会に検討する価値は大きいのではないかと思っています。
もっとも憲法裁判所の議論は、それ自体が大きな司法制度の変更であり、もっと議論を積み重ねる必要があります。国重委員や吉田委員が指摘されたように、わが国の法文化に照らしフィットするのかという問題も含め、多くの検討が必要です。そういう意味で、今回の私の発言は、司法の形態はともかく、選挙困難事態の認定について、司法自体の関与を認めるべきかという点について、議論を収束させる観点から行って参りました。
すべての委員の皆様も、異論がないことだと思いますが、緊急事態において本来の民主主義を回復するために何が必要かと言うと、可能な限り早期に議員任期の延長という特別な措置を終わらせ、総選挙を実施することであります。それを促すために司法が関与する事は、何ら国会の民主的プロセスを阻害するものではありませんし、むしろ司法による歯止めを設けておくことが、民主主義を守るためのセーフティーネットとして機能するものと考えます。
実は私は、自公両党の皆様が、選挙困難事態の判断に司法が関与することに対して、後ろ向きなスタンスをとっておられることを非常に危惧をしておりました。緊急事態における国会機能の維持という目的は一致していても、議員任期の延長の歯止めのあり方について深い溝があれば、まとまらないと思っていました。しかしながら、ここ2週間の議論で、必ずしもそうではないというふうに私としては感じることができたので、議員任期の延長について、各会派が合意できる改正案まで、たどり着けるのではないかと思っております。
引き続き、他の論点についても議論を詰めていくことができるよう、委員各位のご尽力をお願い申し上げまして、私の発言といたします。

北側一雄(公明党)
先ほど、玉木さんの方から、緊急集会の位置づけについてご質問がございました。これは去年の4月の7日にこの場で私が発言しているんですが、国会というのはあくまで二院制が大前提です。衆議院及び参議院の両議院で構成される。したがって法律とか予算とか条約とか内閣総理大臣の使命、さらには憲法改正の発議等も、両議院の議決で行われます。参議院の緊急集会による国会としての意思決定は、この二院制の例外として、憲法上あくまでも暫定的・一時的な緊急措置というふうに位置づけられるわけです。憲法上、衆議院解散から40日以内に総選挙が実施され、選挙から30日以内に国会を召集し、新しい衆議院が構成されます。解散から新衆議院の構成がなされるまでの、最大70日の間を想定し、緊急の必要がある時は、内閣は参議院の緊急集会の開催を求められるとしたと、いうふうに思われます。したがって、選挙困難事態の定義についても先週述べましたが、国政選挙の適正な実施が、70日間を超えて困難であることというふうに明らかである、と認められるときというふうに考えております。
参議院の安江さんの発言だと思いますが、私も正確に見ておりませんが、彼も「緊急集会の開会は内閣が求め、議員による召集要求はできない、緊急集会が暫定的であることに鑑みれば、国会と同等の権限を認める事は困難ではないか」と言う発言を彼もしておりますので、そう違いはないんじゃないかと、私は理解をしております。
もう一点、先ほど山口代表の発言を通じて、「衆議院の解散は総理の専権事項か」というお話がありましたが、総理の専権事項であると、認識をしております。仮に恣意的な解散が、仮に行われるのであれば、これはその直後の総選挙において、国民の厳しい審判を受ける事は間違いないと考えております。

吉田宣弘(公明党)
公明党の吉田です。発言ご指名いただきまして本当にありがとうございます。前回、私からは前議員の身分復活の論点および緊急政令・緊急財政処分の論点につき、意見表明をさせていただいた後に、憲法裁判所についても意見表明させていただきました。緊急事態条項については、3月9日に自民党新藤筆頭から示された論点整理と、残された論点につき、論点も整理され5会派の意見も出揃い、日本維新の会、国民民主党、有志の会からは共同の条文を示されるなど、議論が進捗しております。まず3会派による条文作成までのご努力に、深く敬意を表します。
さて、残された論点のうち、5会派による結論が共通してない論点が、緊急事態認定に対する国会の関与について、過半数で足るするか、特別を要するかという議決要件の論点、裁判所の関与が必要か、という論点、緊急政令、緊急財政処分という論点です。この点、裁判所の関与が必要かと言う論点については、必要とする3会派については、憲法裁判所か、最高裁判所かの違いはあるものの、いずれも事後統制とすることで、共通です。まず、憲法裁判所の採用については、__も研究を進めてるところでございますが、極めて大きなテーマであり、時間を要しております。
わが党の北側幹事から、先週意見表明がございましたところの、少なくとも緊急事態における議員任期の延長とは、切り離して議論されるべきという意見に、私も同意をいたします。
憲法裁判所については議論の進捗に照らし、適切な時期に複数回にわたり集中して議論すべきであると考えます。
そのようなご対応を望みたいと思いますけれども、ご判断は森会長のもと、幹事会にご一任申し上げたいと存じます。その上で、裁判所には事後統制を図る上で、同じく先週、北側幹事から意見がございました、客観訴訟を適宜できるような法整備を検討することも傾聴に値すると存じますので申し述べておきます。
緊急事態認定に対して、憲法保障を実現するという観点からは、裁判所の関与を必要とする3会派とも、機を一にするのではないでしょうか。
さて、これらの論点はすでに十分、論点が議論が尽くされているように感じております。具体的な文言の検討を行うべき段階に来てるのではないでしょうか。すでに、自民党、日本維新の会、国民民主党、有志の会の3会派からは、具体的な文言も示されておりますし、わが党も北川幹事の発言、意見表明の中で、具体的な文言を提示している部分もございます。その旨、ご提案を申し上げたいと存じますので、森会長にお取り計らいのほど、お願いしたく存じます。以上で私の発言は終わります。

熊田裕通(自由民主党・無所属の会)
自由民主党の熊田裕通です。発言の機会ありがとうございました。私は憲法改正議論の本丸である9条、特に自衛隊明記の必要性について、抱いてきた思いを述べたいと思います。言うまでもなく憲法は国民のものであります。憲法は主権者である国民が、自分たちが生きる社会を運営する仕組みを定め、これによって自由と権利を守り、そして自分たちが目指す社会のあり方、理想の姿を示すという重要な役割があります。したがってそのような憲法には、国民一人ひとりにとって、わかりやすいものでなければならないのではないでしょうか。ある条文について、このような意味を持っているのだと、誰もが同じことを思い浮かべるものでなければならないと思うのであります。
果たして現行憲法はそのようなものになっているのでしょうか。私の事務所では、県会議員時代から毎年、学生のインターンを受け入れ、政治の最前線を経験していただいております。
参加するインターンの学生とは、様々な議論をいたします。特に最近では、安全保障関連や憲法についてのお話もします。その多くの学生が、「9条があるのにどうして自衛隊があるのか」という疑問も抱いております。
この疑問に対し、これまで築き上げられてきた政府解釈をもとに、説明をするのですが、なかなか難しい作業です。この政府解釈とは、9条はその文言からすると、武力の行使を一切禁じているように見えるが、前文の平和的生存権や13条の幸福追求権を踏まえて、憲法全体を整合的に解釈すれば、自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするための必要な自衛のための処置が禁じられているとは、到底解されない。しかしだからといって、9条の平和主義のもとでは、自衛の処置が無制限に認められるものではなく、必要最小限度の範囲にとどまるべきものである。
そして9条2項は、戦力の保持を禁止しているが、この自衛の処置を裏付ける、必要最小限度の実力の保持までも禁止する趣旨ではなく、必要最小限度の実力組織として自衛隊の保持は、憲法に違反しないと言うものであります。
もちろん説明の際にはもっとわかりやすい表現を使いますが、それでも政治に関心を持ち、それなりの知識を持っていると考えられる学生のインターンでさえ、「難しい」と一言、言葉を失います。私も、その姿を見て言葉を失います。多くの国民の皆様にとっても、自衛隊と9条の関係が、分かりやすいものであるとは言えないでしょう。繰り返しますが、憲法は国民のものです。そもそも条文を読むだけでは、理解ができず、説明が必要とされること自体、あってはならないことだと思います。国民全てが、憲法法律の専門家ではありません。社会の有り様を示す憲法が、国民にとってわかりにくいものであっては、政治の主役であるはずの国民を、政治から遠ざけてしまいます。わかりにくいから人々が政治から遠ざかり、遠ざかるから人々によりわかりにくくなる。この悪循環を断ち切らなければなりません。では、9条と自衛隊の関係について、わかりにくさをどう解消するか。それが「自衛隊」の明記だと思います。わかりにくい解釈をなくしても、憲法を読むだけで、疑問を抱かずに自衛隊があることを理解できる。そのような憲法改正が求められているのではないでしょうか。
本日は憲法は国民にとってわかりやすいものではならない、憲法改正議論にはこの視点を欠かせないと言うことを皆様と共有させていただきたく、意見を申し述べました。引き続き本審査会が安定的に開催され、国民のための憲法改正議論が繰り広げられることを期待致しまして、私の発言と致します。ありがとうございました。

大島敦(立憲民主党・無所属)
憲法審査会委員の大島です。憲法審査会での、皆様のご発言に、心より敬意を表します。
憲法改正と党議拘束の関係について、私の意見を述べます。私の考えに基づく発言であり、会派を代表しての意見でない事は、ご理解いただければ幸いです。普段、私たち国会議員は、政党政治の元、政党会派単位で活動を行っており、法案の採決にあたっては、党議拘束がかけられています。しかし、この普段の政治活動の有り様は、憲法改正議論には完全にはなじまないのではないかと考えます。そもそも憲法とは、いかなる政党が、政権についたとしても、守らなければならない共通のルールを定めた国家の基本です。つまり、立法政策や行政統制をめぐる、日々の政治を行うための土台を形作るのが憲法ですから、その改正議論は、与野党対決型の通常の議論とは1線を画するものです。したがって、憲法改正議論は、党派制を重んじながらも、与野党の枠を超えた個々の議員の、識見の積み重ねによるべきだと考えます。この点、我々にはかつて、党議拘束を外して採決に臨んだ経験があります。2009年の臓器移植法の制定採決の際、死生観に関わる問題は、政党政治では国民意識を汲み取りにくいとして、多くの政党で党議拘束が外されました。我々国会議員は、法案への賛否を普段からよく考えて決めておりますが、この時は、党議拘束が外されたことから、特によく考えたこと、そして大いに悩んだことをよく覚えています。まさに、個々の議員の識見が発露された瞬間でした。臓器移植のあり方は、個人の倫理観によるところが大きいことから、また、憲法改正は、選挙で争われにくい国の有り様を問うことから、いずれも個々の議員の識見によるべきだという点で共通しています。
また、憲法学においても、議員と国民の近接性が民主主義にとって重要であるとの見解があり、我々国会議員は、選挙区の人々との結びつきを強く、意識せざるをえない立場にあります。しかし、憲法改正議論にあたっては、選挙で自分に投票していただいた人も、そうでない人も、今を生きる世代も、将来生まれてくる世代も含め、国民の諸々の各層全体を代表する立場であることを自覚した上で、個々の議員が、日本の有り様をよく考え、よく悩むことが欠かせません。そのためにも、憲法改正原案の採決には、党議拘束を外すべきとの意見を述べて、私の意見といたします。私の考えに基づく意見であり、会派を代表しての意見では無い事は、ご理解いただければ幸いです。

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